伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

どこでもカンナガラ

2010-07-29 11:27:41 | Weblog

祖父母は、孫が元気に飛んだり跳ねたり遊ぶさまを見て、喜んでいるものです。祖父母自身は、腰痛のために動くことが出来なくてもです。
昭和の親父ならば、王や長島選手の活躍に喜び、平成ならばイチロー選手の記録を喜んでいます。自分は野球が下手でもです。
女性ならば、好きなスターの幸福を心から願っているでしょう。自分の生活が苦しくてもです。
このような感覚は、動物には有るのでしょうか?親子間では、あるでしょう。ただ、それ以上の枠を超えると難しいかも知れませんね。

他人の喜びや悲しみを、自分のことのように感じられるのは、本人が持つ神性(しんせい:神のような性質)の一部の発露です。この神性が大きい人ほど、全体のことを考えられる人です。
本来の人間の魂は、この神性が神のごとく今よりも大きかったのです。しかし、人類が他を思いやれるのは、国レベルの枠がやっとなのが今までなのです。
現代の日本では、国どころか、県どころか、家族内でも思いやれない事が増えている感じです。
もっと言えば、自分の心の良心=内在神さえも信じられずに、外在する存在への信仰に金銭を掛けている状態です。
本当の神の神性から離れています。

人類が数千年を掛けても、愛国心以上の枠を超えることが出来なかったのは、外在する存在への依存信仰だったからだと感じます。
これを変えるには、今度は逆に一人一人が自分の良心=神性を大切にする信仰に道が在ります。これが逆に国の枠を飛び出る可能性が十二分に在ります。
人間に内在する根源的な神性は、私たちが気付くのを待っています
自分の心に神様が居ることさえ深く自覚できれば、今の自分の環境にある現実的な問題(金銭・他人との関係・・・)を、楽しめるように成れます。
問題が無くならなくても、受け入れて大きな目で見られるのです。そのうちに、本当に問題が解決するものです。
これが、カンナガラ(神様と共に生きる道)と呼ばれる、古神道が目指す道です。

呪文も祝詞も不要なのです。自分の生活を神と共に生きている「自覚」を持つことが、神道の目指すものです。
神道=生活のことです。
神道で言う生活とは、昔は大自然の中での生活でした。現代では大自然が、雑多な社会の中での生活に置き換わっているだけです。
だから都会の中にも、神道は在るのです。自分の心に神様を自覚しながら生活をすれば良いのです。すると、必ず現実的な改善が起こります。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (547)
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