伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

お知らせ

2010-02-13 08:19:18 | Weblog

今日は、日中に用事がある為に、記事の更新を休みます。
夜には帰宅して、コメントの返答をしたいと思います。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
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柔軟力を育てましょう

2010-02-12 10:50:00 | 不思議な写真解説

人間の人生のハンディに成る物として、色々な意味での「硬さ」が根底に在ります。心の硬さ、肉体の硬さ、どちらもトラブルを呼ぶ前兆です。
自分の心が硬く成っていますと、他人から少しでも嫌な事を言われると、よく響き悪影響を受けます。自分を良く見せたい自我が、自分の心を縛っているから硬く成るのです。
肉体も凝(こ)りが出来ますと、それは万病の元です。血流が悪く成って循環が落ちているサインです。凝りは、肉体の異常を知らせてくれているのです。「このままではダメだよ」とね。
相談者の肉体を霊視しますと、癌は硬い固まりに観えます。肉体が凝り固まって行くのが、癌のイメージです。
心の硬さは、肉体の硬さと連動しています。頑固な人は、腫瘍系の病気に成りやすい傾向が実際にあるので注意しましょう。
この世は、心身共に柔らかく生きる事に、幸福に成れる秘訣が在ります。柔軟な心は、気持ちと肉体を強くさせます。
「柔軟力」を育てる事が、この世を行き易くするカギかも知れません。

初めて伊勢神宮外宮において、神恩感謝(しんおんかんしゃ)の奉納をさせて頂いた時、とても驚いた事がありました。
それは、神官が上げる祝詞の奏上でした。大祓詞(おおはらえのこと葉)を、語り掛ける様に優しく奏上された事でした。
まさに脱力した感じで、小川の優しい水流の様でした。畏(かしこ)まる私の肉体を溶きほぐしてくれました。
神官には、祝詞を上手く聞かせよう、奏上しようと言う力(りき)みがまったくありませんでした。
古語に言祝ぐ(ことほぐ:喜びやお祝の言葉を述べる事)と言う表現がありますが、外宮の神官の祝詞はまさに言祝ぎの祝詞でした。心身共に「ほぐ」してくれました。

古神道では、悪霊の発生を「凝り固まる」事から起こると表現します。自分の心が色々な物事に、こだわり凝りだせば注意をしましょう。
まあ人生には色々と在りますが、1つ1つほぐしながら緩(ゆる)やかに歩いて行くのが最善な道です。

*写真は読者が昨日、伊勢の伊雑宮において写したものです。
非常に珍しいですが、古代の銅鏡(どうきょう)の鏡の紋様のような模様がハッキリと写り、円周が光っています。
これは、天照太御神に仕える眷属神です。神様が鎮まる御宮を守っています。


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星の輝きに同じものは無し

2010-02-11 10:57:10 | Weblog
この現実界では、自分色に輝く心の世界を持つ事が大切です。分かりやすく言えば、売れる芸術家には独自な世界観が作品にあります。
ゴッホの絵には、風景が燃え揺(ゆ)らめく様が浮き出ています。彼の目には、実際の風景が揺れている様に見えていたのです。彼の心の奥には、秘めた燃える様なパッション(情熱)が息づいていました。心の火が燃えていない人が、彼の様式を真似て絵を描いても、不気味な物にしか成りません。
これは芸術家に限ら無い事です。人が幸福に成るには、他人の幸福感を真似たり比較するのでは無く、自分の心の良心を大切にする気持ちが、その人を真の幸福へと導きます。

人間は物事が思い通りに進まない時、良さそうに見える他人の真似をしたく成るものです。
しかし、その成功している人は、他人の真似をしなかった人でもあるのです。
やはり自分の世界=内在神を大切にするのが、万事への最善です。そうすれば自分が昇華(消化)できる、この世の幸福を必ずつかんで行けます。
身に余る一時的な福は、逆に自分自身を辛くさせる結果に成るものです。

世間では、行けば幸福に成れるパワースポットなどが人気がありますが、実際には不幸に成るパワースポットに変化しているのが霊的な実態です。
例えば、自然の湯が湧き出る狭い温泉が在るとします。健康な人が少数で入浴している間は、気持ちが良いものです。ここに多数の悩める皮膚病の方ばかりが押しかけて、接触するように入浴すると如何でしょうか?やはり素晴らしい御湯でも濁り、病気の2次感染も起こるものです。
超人気のパワースポットなどは、霊的には同じ実態に変化しています。

心の外の物事に幸福のカギを見つけようとしては生けません。
内在神から離れますと、その人の運気が下がる時代が始まっています。これが良い種を残そうとする自然界の摂理なのです。
深い意味で自分自身の心を大切に出来る人は、他人にも優しく出来ますし、すべてを大切に出来る人なのです。

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神を自分の心に見る

2010-02-10 11:29:00 | Weblog

人は、自分自身の心に神様が居ることを意識して生活をした方が良いです。
でもとてもじゃないが、自分の心に神様が居るなんて思えないし信じられない、と言う方は居られるでしょう。
神様が心に居るならば、もっと自分は色々と幸運で宝くじにも当たるのでは?なんて思われるかも知れません。
ここに誤解があります。
神様=幸運を寄こす、宝くじを当ててくれる、恋人を連れて来てくれる・・・、と言う図式は、誰が決めた思いなのでしょうか。正しく無いのです。
神様が、この世の個人欲の為に走り回る事はありません。
個人にエコヒイキな加担をするのは、交換条件を後から請求する魔物です。値段の表示がされてない、初めての飲食店で食事をするのは注意が必要です。後から好きな値段を言われても戻す事ができませんのでね。

自分の心に神様が居るならば~のハズだ、と思う間は神様は心の奥に隠れてしまっています。決して居ないのでは無く、心の奥に隠れているだけなのです。
これが神話において、太陽神の天照太御神(各人の心の奥の神様、良心)の「岩戸隠れ」として表現されています。
つまり、自分の心の闇が続くのです。
心の神様が隠れているから、先行きが暗くて分からないのです。自分が進む道も間違います。間違った選択もしてしまうのです。

ここで、自分の心にも神様が居ると思って生活をするのです。そうしますと、日常生活の中での細かい自己修正が始まります。心に神様が居ると思いますと、悪い事は出来ません。
神を自分の心に意識することで、実際に神性の磁場形成が成されていきます。心の神様が育つに従って心が明るく成り、自分の現状が明るく照らされて、進むべき先が良く見えるのです。
ここで自分がしたいと自然に思う事を「努力」しますと、この世の物事が上手に進む現象が、副産物としては有ります。
それが仕事であったり、金銭的な事であったりと、この世的な物事です。
社会的な成功者には、自分の心の中の神様を大切にしている人が多いです。これが自分自身を「律する」思いでもあります。
自分を節制し、感謝と反省をする素直な心は、成功や幸運が継続しやすいのです。

自分の心の神様を「育て」(=磁場形成)無いで、副産物ばかりを最初から思うから、自分の思い通りに行かないのです。
先ずは、心に神様を意識して生きましょう。
その為には、感謝の神祭りの水交換と、感謝の先祖供養は非常に有効です。生活の中で、神様と縁ある霊を「忘れない為」の習慣と成ります。


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努力すれば、お任せで進む

2010-02-09 13:10:50 | Weblog

人生には、物事への未練を捨てる練習の意味があります。
これの学びが必要な魂は、他人(=冷静に見る事が出来る)から見ると「なぜ、そんな人が好きなの?」と言いたくなる人を好きに成ったりもします。
釈尊も、すべての人の苦しみの原因は、物事への「執着」から起こると言います。
神道的には、潔(いさぎよ)さと言うものを大変重視します。

ここで大切なのは、自分が出来る努力をせずに中途半端だと不完全燃焼と成り、未練と執着がくすぶると言うことです。
未練を捨てる=執着を無くするとは、努力をせずに諦める事では決してありません。
好きな人や、欲しい物には自分が出来る努力をしながら、その状態と経過を眺める視点が大切です。そして、起きた結果には潔く受け入れる事です。
この気持ちの状態は、実は非常に霊的な作用が働き掛け易い磁場を形成します。
本人にとって本当に必要な物事ならば、潔く受け入れて忘れた頃に、物事が好転する事が多々起こるものです。
執着して思い続けている内は、逆に何も進展しないものです

これと同じ様な事が、信仰にも言えます。
自分の欲得な物事を、本当に神霊が鎮まる場において祈願をしますと、霊的に逆の良くない作用が起こります。
そうではなく、神前まで自分が来られた健康に感謝し、自分が生かされている事への感謝だけを神様にしますと、自分が抱える深層意識の物事で神意に叶う事は「丸ごと」好転します。
神様に対して細かい申し付けをする事は全く不要であり、その神を信じていない不敬な行為でもあります。これはすべての信仰に言えます。

神霊に参拝をする行為は、自分の内在神と神霊との出会いの場でもあります。2つの神気が合わさった時に、参拝する肉体に祓(はらい)と禊(みそぎ)の浄化が起こります。
神前にたどり着くまでの自分の行動と人生のすべてが霊的に凝縮されているのが、その人物にとっての参拝です。
人は参道(産道)を通過し、参拝によって再生して生きます。
参道は神社に在るだけでは無く、社会生活の中にも色々と在るのです。
人との出会いの参道、働く縁の参道、楽しむ行為への参道。。。これを執着を持たずに潔く感謝をしながらこなす事で、心の祓が起こっています。

他人と会う事も、内在神同士の出会いです。
自分の良心からの対応をしていれば、後は流れに応じたお任せの関係で良いのです。
そこに自分の執着や未練を持ちますと、魔が刺します。
自分が生きている原点への感謝さえ忘れなければ、この世は良い事ばかりです。
水が流れる様に潔く生きて行きましょう。これが本当の自分にとって最善な道を歩かせます。

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自然との共生が神道

2010-02-08 10:28:53 | Weblog

神道とは何か?と問われれば、大自然に感謝をする教えです。感謝をするだけでは無く、自然の中で「生活」をする教えでもあります。
伊勢神宮などは、まさに自然素材だけで生活をする知恵の実践を、神を祭る神事として毎日実行されています。
五十鈴川の下流の川水と海水が入り混じる川辺には、伊勢神宮の塩田が在り、塩を製造している神社があります。この塩が御祓や御下がりとして実際に使用されています。
伊雑宮では、米を実際に作って神様に奉納されています。
神宮保有の海岸では、伊勢神宮の神官が白装束を着て、アワビやスルメ・魚の乾物を製造して神事に使用されています。
そして、これらの食材を利用して伊勢神宮外宮では毎日、神様に捧げる為の調理がされています。

なんだか家庭菜園で自活する主婦の生活が、伊勢神宮の神事と共通しています。
ただ違うのは、毎日感謝を意識的に捧げる時間が有るか無いかだけでしょうか。これも読者には、クリアしている人が多いですね。
逆に神宮に不足しているものは何か?
これは、先祖霊への感謝の行為が流布されていません。ただ神道的には、先祖も死ねば大自然に同化すると考え、大自然に感謝をする事=先祖霊への感謝、に成るとは言えますが、少し先祖への気持ちがボヤケます。
しかし、皇室にとっては違うのです。内宮への参拝=先祖供養と成っているのです。
皇室にとっての伊勢神宮は、先祖霊への崇拝場であり、神様への感謝の場でもあるのです。
だから私たちも、神様と先祖霊を共に上下に祭り、感謝を捧げる事が正しい理に叶った型なのです。
国家制度が確立されるに従って、神様と先祖崇拝が分けられた悲劇が日本に在ります。
日本が疲弊し始めている現代、皇室を見習って私たちの家庭にも、大自然=神への感謝と先祖霊にも感謝を行う行為が大切なのです。

これからの時代は、自分自身を信じ(=神事)られなくて、他人の有料先生の霊的商品や垢パワーにすがり付いている人間は、ますます不運に襲われます
自分自身を信じて、その中で頑張る魂を地球は残します。
なぜなら、人間は地球自体の写し身であるからです。
自分自身を見捨てる事は、地球を捨てる人間であり、天地から離れます。
逆に言えば、自分を信じて努力すれば復活が起こり始める時代でもあるのです。

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観音様は何処にでも居られます

2010-02-07 11:47:48 | Weblog
TVニュースを見ていましたら、地獄の光を出す視線をした男性が、警察車両に連行される場面がありました。
久しぶりに観る地獄視線だなと思い、どんな事件なのかと見ていました。逮捕者は医師であり、生活保護を受けている入院男性の肝臓を無理に摘出し、出血多量で致死させた容疑でした。
死亡した患者の肝臓は、摘出するような病状は無く、医師は肝臓手術の経験がまったく無かったとの事です。手術未経験の医師が特殊な手術を行う場合は、肝臓手術の専門医を立ち会わせるのが常識との事でした。問題の無い肝臓を摘出する事を、他の医師に指摘されたく無かったのでしょう。
この医師は、不要な治療や手術を繰り返して、国から医療費を不正に搾取した前歴もある人でした。

このニュースを見て思い浮かんだ事は、勤務先が倒産した影響で家庭も崩壊し、一人で孤立している弱者が増加している事です。家族との繋がりの薄い病人が、一人で生活保護の元で入院する件数が増加しています。
ここに来て近年は、たくさんの人間を雇用する必要がある病院経営は大変です。もし、お金の事で精神を病み出している医師に対して、肝臓や腎臓を病む患者から「億の金が掛かっても良いから、とにかく移植する臓器を用意して欲しい」と話があれば、事件が起こる可能性が在ります。現実にアメリカで日本人が臓器移植を受ける事は法律で規制されており、数億円でも手術できない可能性があります。日本国内に居ながら、1億円で移植が出来れば患者にとっては安いかも知れません。
身寄りの無い患者が、犠牲にならない事を思います。

今回の事件が発覚したのも、やはり全てを見ていた看護師の証言があったからでしょう。看護師の「良心」が黙っている事を許さなかったのです。関係者の証言がなければ、多くの事件が闇に消えています。
地獄の中にも観音様は必ず居られます。いや、地獄だからこそ、あえて居るのです。
これからの時代は、神様や観音様に祈り委託するのでは無く、自分自身が観音様の心に成る事で、自分も他人も救われる霊的波動の時代なのです。本当のスピリチュアルは、実生活から離れた夢物語ではありません。
自分の生活の中で、自分自身が神仏の視線を持ちながら生きましょう。これが、自分の悩みを解決させる方向に導かせます。

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けなげな少女に捧ぐ

2010-02-06 10:28:12 | Weblog

読者 :
児童虐待を通報したことがあります。
父の医院を手伝っていたときに、顔も身体も傷だらけの3才ちょっと手前の少女が、ブランコから堕ちたといって母親に連れられてきました。
その少女がとても大人びた瞳をして、言葉も満足に話せないのにニコニコと笑みをたたえていたのが不思議な感じで焼きつきました。今日、2月5日の記事を読んで少女を思い出したのです。残念ながら少女の命は、救うことができませんでした。その上の就学前のお兄ちゃんと、小学生のお姉ちゃんが保護されたのは、彼女が救急に運び込まれて意識を失って…亡くなってからでした。
児童相談所も警察もお姉ちゃんが必死で訴えていた小学校の教諭も校長も…私以外の職員も父もみんな動かなかった。その時、怒りが湧き起こりました。通報した後もカルテを見ながら住所を見て、いけないとは思いながら…マンションへ行ってみようかものすごく動揺した。その二日後くらいに彼女の記事が新聞に載った。診察室でみた小さな彼女の胸に残った生々しい丸い点々は…空気銃の銃創だった。彼女は母親が連れ込んだ悪魔のような男から、すぐ上のおにいちゃんと一緒に「的がわり」に逃げ回るのを追い回して撃たれていたそうです。手足も顔もあざがたくさんあったのを憶えています。何をした!言葉もうまく遣えない自分の力の何百分の一の幼い命に…その男を地獄に突き落としてやりたいくらいの呪わしい気持ちにとらわれたのを憶えています。少女は私の胸に生きている。彼女の身体はこの世から消されてしまったけど、笑顔がこびりついている。
感想 :
2歳の幼女が逃げ惑う姿が目に浮かびます。短い手足で必死に恐怖しながら逃げたことでしょう。クリンとした丸い眼に弾が当たっていれば、どうなっていたことでしょうか。
お姉ちゃんの心の傷も深いです。死んだ妹への想いと共に、生涯背負って歩かれることでしょう。でも、それが妹への、せめてものレクイエム(鎮魂歌)かも知れません。
母親には、子供を選択して欲しかったです。警察に相談して、母子の為の公的な避難施設が在る県に夜逃げすれば良かったのです。生活保護の元で最低限の衣食住は出来ます。

この世は、幸いにも昼間と夜が半分ずつの世界です。
天地が示すこの姿は、森羅万象に反映しています。
人間が生きているのは昼間です。昼間だけでは終わらずに、必ず夜(=死)へと同じ長さが続くのです。
この男にとっては、昼間だけの人生で終わって欲しい事でしょう。しかし、そうは許されません。生きた昼間の「反転が現れる」夜を体験する事に必ず成ります。
見える昼間だけで生きていると錯覚する人間は、恐ろしい事が出来るものです。
魂には死が無いと言う事は、逆に言えば全ての責任は逃れる事が不可能だと言うことなのです。人間は、これの意味を真剣に受け取って生きなければなりません。
この男は自分が死んだ時、奥の奥に隠れていた自分の良心と向き合う事に成ります。自分で自分を何回も裁く事と成るでしょう。
自らの死をもって、兄と姉を助けた少女は、夜の中でも明るい世界で安心しています。彼女なりの人生を生き切ったのです。

もし、この様な悪人を見掛ければ、自分の良心が納得するまで、この世のルールの中で通報を続けることです。
他人がズルイ手段で美味しい思いをしていても、自分自身がヤキモキする必要はありません。
この世は、自分自身と良心との対話が試されている世界でもあるのです。本当に神様は、ハラハラドキドキとさせてくれる最高の次元を造り出したものです。
短い昼間ぐらいは、思いっ切り良心の赴くまま生きて遣りましょう。

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みんな美しく成れますよ

2010-02-05 10:24:50 | Weblog
最近は継続して太陽黒点が出現しています。人間を素(す)に戻させる原始の霊的パワーを感じます。
これからは特に、その人の普段の思いがオーラとも言える霊衣(れいい、霊体を覆う着物)として現れます。つまり、普通に見える人の顔の表情、特に目がその人物の心の中を素直に表す時代の始まりです。
肉体は朽ちて衰えて行き、人は惨めな病気にも成るものです。しかし、心の中の思いが反映する肉体は、たとえ病気であっても気品を漂わせます。特にこれからは、人の外観の是非よりも、心の中身の是非が雰囲気として人に現れる時代の始まりなのです。

20年ほど前にTVで放送された、あるシーンを思い出す事があります。
実際の事故の場面ばかりを集めた内容でした。その中の1つに、南米の田舎町の道路脇で水道管が破裂して起こった事件だったと思います。小さな少女が、水圧により発生した水溜りの中に落ちてしまい、体がハマってしまいました。水圧で挟まれた肉体は、大人が数名で引き上げようとしても無理でした。
少女の首まで水面で埋まり、顔だけを出して懸命に息を吸っていました。周りの大人は、体を引き上げるのを諦めて、懸命に泣き叫びながら水を掻き出していました。その場面が淡々と画像に撮られていました。
その場面の途中から、フッと少女の目の表情が霊的に変わった事に気が付きました。小さい子供なりに死を覚悟した様でした。
その時、少女の目の光の中にイエス・キリストが微笑んでいる姿をハッキリと私は幻視しました。その地域で信仰されている霊的存在が、それなりの形象の姿で人々を導くのだと納得しました。そのキリストの美しさは、少女だからこそ反映したのかも知れません。とても美しい姿でした。
少女は、そのまま水の中に消えていきました。

やはり、どんな思考(=自我)の屁理屈を重ねるよりも、単純な信仰の「行為」そのものが大切であり、自我を凌駕するのです。
今日も、淡々と神棚に水と感謝の気持ちを置き、見えない先祖霊に3本の線香と感謝を置く私でした。

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既に居るんですよ

2010-02-04 11:30:50 | Weblog
日本では高度成長期の社会が終わりつつあります。上に登った物事は、次は下降して行くのが正しい姿なのかも知れません。
大切な事は、経済の上下する「変わる流れ」に対して、自分の心を「売らない」(占い)ことです。これは何にでも言える事です。

豪邸に住んでいようが、狭いアパートに住もうが、心の幸福には関係ありません。
もし豪邸に住んだとしても、人間の心は絶対に満足しません。その人にとっての「アタリマエの基準」が上がるだけだからです。これは、両方を経験された人には良く分かる事です。
結局、この世の見える物事には「楽しみ」は有っても、「心の幸福」は別なのです。楽しみは時間と共に直ぐに消えて行きますが、心の幸福は死後にも持参できる可能性が在る唯一の物です。
今、心が苦しい人が多いです。
自分の心を「変える策」ばかりを考えるから、苦しいままなのです
「このままでは生けない」と焦りますと、結局は行動の1歩が出せ無いまま、心が漏電したまま時間だけが過ぎます。
「このままの中でも感謝すべき事が在るはずだ」に、意識のベクトルを変えると良いです。
その場から逃げる策よりも、その中でも感謝すべき事に「気付き」維持することが、逆に救いの他力を発動させるのです。
現状の中での「有り難い事」に気が付ければ、その人は既に大丈夫です。すると、自然と「頑張ろう」と無理なく歩き出せます。

精神世界の先生の発言で1番滑稽で自身の偽者ぶりを証明している言葉があります。
「悟りましょう」「変わりましょう」「目覚めましょう」「私に会いに来なさい」「どこそこに行きなさい」。。。この様な事を言う先生の両目の奥にはが在るだけです。
今の自分の現状から「変わろうとする」限り、霊的本質から離れているのが真相です。
今の自分の現状の場以外に、悟りの場は無いのです。もう既に、自分は行くべき所に居る事を気付くべきなのです。
だから、慌てないでも良いです。

絶対的な他力は、見えない先祖霊や世話に成った人々、今の自分の周りの方々に感謝の気持ちを持つ事から起こり始めます。
感謝の気持ちだけの神祭りと、寄り代による感謝の先祖供養を実践し、そこから起こる他力の恩寵の中で、自分の内面を観つめる「生活」が1番大切なのです。

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節分は太陽信仰

2010-02-03 11:28:00 | Weblog

節分とは、季節の変わり目を意味します。立春・立夏・立秋・立冬の前日を一般的にさします。
つまり年に4回あるうち、立春の前日の節分が平安期頃より特に重要視されております。日本全国の神社でも、立春の節分の神事が執り行われます。
では、なぜ立春の節分が特に重要視されるのか?
私の感得では、春分(しゅんぶん、3月21日頃)を控えた節分だからだと感じます。
アジアの広い地域でも、節分の前後1ヶ月間ほどの間に、旧正月(きゅうしょうがつ)と言う、西暦の正月よりも盛大に祝う春の行事が古来からあります。中国では、民族の大移動が起こります。

立春の節分は、太陽の位置を表す太陽横経(たいようおうけい)が約315度です。これが春分の太陽横経360度=0の起点に戻る訳です。つまり天文学的に節分は、太陽が最終コーナーを回った感じに成ります。ちなみに、
夏至点の太陽は黄経90度、秋分点は黄経180度、冬至点は黄経270度となります。

少し難しい事を説明しましたが、要は節分=太陽信仰だと言う事なのです。
神界でも重要な節目と切り替えの時が節分だと感じます。
冬至(12月23日頃)に生まれた太陽の体勢が整い、いよいよ本格的に活動をし始める時が節分です。節分を境に、自然界の植物も春分に向けて活動を実際に始めます。
神界では、隠れた「陰の正月」が冬至であり、作用を始める「陽の正月」が節分だと言えます。とても重要な時です。
そして現実界では、この神界の2つの正月の間に、現実の正月を祝う行事が転写されているのです。

古代の人間は、穀物の栽培と収穫から一日の生活のパターンのすべてを、太陽の動きに沿わせ従う事が幸福に繋がるとしていました。これは未だに霊的にも機能している事です。
だから、私たちも今日の節分から心機一転し、春の再生に向けて自分なりに出来る「目の前の事」を努力するのは非常に良い事です。
大きな事よりも、先ずは掃除から始めましょう。これが禊(みそぎ)と祓いと成り、霊的に助けます。
節分の豆まきの心得は、その後の掃除に在ります。
まいた豆の回収時に、家内のホコリを発見する事と成ります。大晦日の年越し蕎麦の風習も、砂金を扱う職人が一年間の掃除をする時、取りにくい場所の落ちた砂金の回収に蕎麦団子を使用した事が起源だとも言われています。
えっ、豆をまく前に掃除をするから大丈夫?最近の節分豆は、小袋入りでもありましたね。

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かんながら生活が大事

2010-02-02 10:30:51 | Weblog
随神(かんながら)とは、神様と共に生きる「生活」自体の事です。
人間には、志(こころざし)が大切です。
1。自分自身の心に神様が居られると意識しながらする生活と行動。
2。自分の心に神などが居るはずが無いと思う人の生活と行い。
この両者では、同じ条件で生まれたとしても、まったく違う人生を歩む結果に成ります。
1番の人の場合、他人からは見えない生活の部分でも、自分の良心=神が見ていると言う自制心があります。
絶えず神様は見て居られると思い、神様ならば「これはどう思われるか?」と日常生活で意識をします。これが進みますと、自分の中に神様の「視点」が確立して行きます。
これが神意識として、実際の霊的な超越した力を持つ事と成る秘密です。自分の生活の中の全てに、神様の視点を意識する事(生活)が、真のマントラ(真言や呪文)を唱える行為と成ります。

大昔の生きるだけでもやっとの人類の時代に、無学な人々の意識を見えない存在=神に向けさせるための方便(うそ)として、マントラを唱える行法が発生しました。
不可思議な言葉を唱える間は、神に対して心のベクトルが「向く」であろうと言う方便です。霊的な意味は、本当に初歩の意味付けしかないのが真相です。
これが現代では変容して、マントラ自体に霊力が在るとか、何万回も唱える事に意味が在るとされてしまっています。
「裸の王様」(冷静に見ると滑稽。常識外れ)の様な行法を、大の大人が真剣に今でもされています。霊的な本質を外しているので、目覚めは絶対に起こりません。逆に、自己に内在する神性が退化します。
全ての宗教的な行法が、カンナガラの視点を無くしてしまっています。
神様の意識と共に生活をするのが、信仰の本質なのです。
神様の視点で、自分が物事を見られる様に成長するのが人生の目的です。
今日も、神様の視点を忘れない為に、この言葉と共に生きます。

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自分の内面からのサインが大切

2010-02-01 11:10:50 | Weblog
飢餓状態にあった人が、いきなり沢山の食事を摂りますと大変な事に成ります。ひどい場合は消化不良を起こし、心臓への負担を増してショック状態にも落ち入りかねません。
断食をした場合は、その回復の過程の食事に最も気を使うと聞きます。少量のお粥から始めるものです。
つまり断食に入るのは簡単ですが、元の食事に戻す過程が重要なのです。これに失敗しますと、体を壊すのです。だから弱った肉体には、それ相応の物が最適なのです。
沢山の栄養分=良い。では決して無いのです。
自分の体の不調=他人からのヒーリングや祈祷(きとう)が良い。では絶対にありません。
必ず本人の寿命を短くしています。

人間は体調が悪い時は、それは肉体からの大切なサインなのです。
1。生活行動や身の回りに、改善するべき事がある。
2。休養が必要な時期のサインである。
人間は、マラソンの様に走り続ける事は不可能なのです。歩く時もあるし、立ち止まる時もあるのが人間の「正しい姿」です。
歩いている時に、慌てて走ろうとして自分自身に負担を掛ける人が多いです。それは、その後の人生のリズムと調子を狂わせる行為と成ります。これは有料霊能者や占術に頼る行為とも同じです。その後の人生が狂い、自分が損をします。

人間は、自分の肉体の声を聞こうとする姿勢が普段から大切です。自分の肉体を「使わせて頂いている」という気持ちで、体が発する微かな声=サインにも耳を傾けるのです。
この姿勢が無い人は、すぐに他人の有料先生に聞き、間違った安心をします。複数の医師の声は聞くべきですが、後は自分の肉体のサインに耳を傾けましょう。
正しく自分の内面からのサインに気付ける為には、余計な他の霊的磁気からの干渉が無い状態が必要です。
やはり、「依り代」を使用した感謝の先祖供養3本の実践が大切なのです。

古神道の奥義は、依り代を自由自在に使える事に在ります。
神道における本殿建物、祭壇、神札もすべて根底に在るのは、神気を寄せる、一時的に宿らせる事を意識した上での形状です。
人間も霊の依り代です。日々、どんな霊的存在を寄せるのかは、自分の普段の心情と行動次第です。
どんな物が寄るのか?は、「自分自身と似た物が寄る」のが答えです。霊的な存在も生きる人間も、自分と似たモノが寄ります。
やはり問題の解決策と答えは、自分自身に全てが在ります。
この言葉の気持ちで生きて行けば、道を誤る事はありません。その言葉は、

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