Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

西口文也の記憶

2020-04-30 23:27:53 | 他スポーツ
今回は元西武ライオンズ投手、西口文也さんの記憶です。西口は野球ではそれほど有名でない立正大学の出身ですが、これが一つ不運を招くことになります。当時、逆指名ドラフトという、希望球団を書いて指名を待つことができる制度がありましたが、この応募期限が「所属チームの全公式戦終了後」と決められていました。

しかし、西口の立正大は、東都六大学野球1部で最下位になり、2部との入れ替え戦に臨むことになりました。この入れ替え戦が終わったのがドラフトの2日前で、これからプロ球団と交渉するのは物理的に不可能と悟った西口は「12球団OK」と記載せざるを得なくなります。結果的には西武ライオンズにドラフト3位で入団することになります。

もっとも、西口は西武に入って良かったと思います。理由は、当時の東尾監督が投手陣の世代交代を進めていた時期にちょうどうまく乗れたからです。サイドスローから投げ込むスライダーという、明確な武器を持っていた西口はエース格の投手になり、先発で安定して二桁勝てる投手として多くの先発投手の憧れになります。

松坂の台頭でエースこそ彼に譲る格好になったものの、西口はFAなどには興味がなかったようで、西武に引退まで居続けることになります。2008年の日本シリーズでは、第6戦で登板した岸が「尊敬する西口さんに第7戦で先発して欲しい」と意気に感じて巨人打線を空回りさせます。西口は第7戦で先発し、2回で降りたもののチームが一つにまとまり、逆転での日本一につなげることになります。

一時は中継ぎになってでも現役続行にこだわった西口ですが、晩年はストレートがかなり遅くなっていました。それでも、チームの功労者と皆が認めており42歳まで現役を続けました。去年はブルペン担当の投手コーチでした。西口の背番号13を継いだ高橋光成には、是非とも西口レベルの投手になって欲しいものです。
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田島ヶ原の近況4

2020-04-29 15:16:00 | 埼玉
サクラソウはもう見られないだろうと思って出かけた、田島ヶ原の桜草自生地ですが、まだサクラソウを見ることができました。例年、ヨシやオギが伸びて桜草が陰に隠れることによって寿命を終えますが、今年は4月の寒さの影響でヨシやオギの成長が遅かったので、見ることができました。撮ってきた写真を貼っておきます。
















シロバナサクラソウ


アマドコロ


チョウジソウ
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青い原石(平良海馬)

2020-04-29 14:42:06 | 他スポーツ
去年の優勝のビールかけに、未成年という理由で参加できなかった、青い原石とも言える将来の才能、平良海馬選手を取り上げます。平良は沖縄の石垣島出身で、中学時代まで捕手だったという投手としては異色の経歴を持ちます。その体型を見れば一目瞭然で、投手としては珍しいメタボ体型です。

こういう才能が育ったのは、平良が高校時代、県大会で初戦で敗退するなど酷使されていなかったのも理由の一つと思われます。西武にはドラフト4位とそれほどの高い評価ではなかったものの、高校時代の実績を考えるとプロから声がかかっただけでも奇跡的だったでしょう。高校時代の最速は151kmと、剛腕としての将来性は十分でしたが、自らの暴投で夏の大会で敗退するなどこれからの原石でした。

西武というチームは、どうしてもFAで選手が流出するチームなので、常に下から選手が育って行く環境を作らなければいけないという危機感もあるでしょう。プロは剛腕投手をなかなか育てられないというイメージがありましたが、西武の二軍は平良を、最速158kmを出せる剛腕に育て、二年目の昨年に一軍デビューさせるところまで持って行くことができました。

もっとも、まだまだコントロールには不安もあり、一軍では「スピードよりコントロールを重視して投げるように」と指示が出ています。それでも154km出るのはさすがですが、最初の頃は8/13のオリックス戦で死球を与えて危険球で退場になるなど不安定さもありました。それでもストレートを思い切って投げれば打者を詰まらせることができるので、昨年は中継ぎで重要な場面で使われることも多くなってきました。

辻監督が選手を我慢して使うタイプの監督ということもあり、平良も一軍レベルまで育ってきました。問題はこれからです。相手もバントなどでリズムを崩そうといろいろ仕掛けてくるでしょう。そのような仕掛けを、球威で詰まらせることで無にするだけの力が彼には求められます。今季、7回や8回を抑える中継ぎまで育ってくる可能性もある、将来性豊かな選手です。
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山田直輝の記憶

2020-04-28 22:44:21 | 浦和レッズ
元浦和MF、山田直輝選手の記憶です。山田直輝はユース時代からU-16日本代表に入るなど有名な選手で、浦和ユースが2008年に高円宮杯を優勝した当時のメンバーの一人です。他にも浜田水輝、高橋峻希、一学年下に原口元気がいた、浦和ユースの黄金世代です。翌2009年にトップ昇格して、当時のフィンケ監督に認められて出番を増やします。

彼のプレーは、運動量の多さと、どこに行けばボールがよく回るかを理解したポジショニングの良さが武器でした。当時はプロ1年目でありながら当時の岡田監督に日本代表に呼ばれるなど期待は大きく、そういう「動きの質の良さ」が新たな天才の定義になるのではと、小野伸二以来の期待もしたほどです。

当時のフィンケ監督のサッカーは、4-4-2で運動量を多くしてサイドに人数を集めて、そこで短いパスを次々とつなげてチャンスをうかがうサッカーでした。春先はこのサッカーが機能し、その中心に山田直輝がいました。ポンテらレジェンドもいた浦和でしたが、山田直輝が中心選手となり将来は背番号10も背負うのではと思ったほどです。

しかし、そんな山田直輝は幾度もの負傷に泣かされます。2012年に日本代表のイエメン戦で腓骨骨折の重傷を負い、治って練習に合流したのちに同じ箇所を再度骨折し、期待されていたロンドン五輪を棒に振る結果となります。当時就任したばかりだったミシャのサッカーを理解する機会を失い、ミシャにはほとんど起用されず湘南にレンタル移籍することになります。

その湘南では背番号も8になり、中心選手になることができました。当時のチョウ監督の攻守にわたって運動量を多くするサッカーに馴染み、活躍しますが、その契約はレンタルだったので2018年に浦和に戻ってくることになります。しかし、堀監督が率いた浦和では出番に恵まれず、サブ組が出場する天皇杯などで姿を見るのが関の山でした。

今は再度、湘南に完全移籍しています。彼の得意なトップ下が空いているかどうかという、ちょっとした不運もあったでしょうが、浦和ではその期待に応えることはできませんでした。彼も30歳ともうベテランです。湘南での選手生活が、彼にとって良いものであるよう、願うばかりです。
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コサギ

2020-04-27 21:37:17 | 埼玉
地元さいたま市の「コサギ」です。ダイサギとの見分け方はくちばしの色と、頭の後ろにあるとさかです。今日は仕事で疲れて元気が出ないので、穴埋めネタで失礼いたします。
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水内猛の記憶

2020-04-26 20:38:50 | 浦和レッズ
写真がある限り続く記憶ネタで、テレビ埼玉GGRのメインキャスターの水内猛さんの記憶です。水内は神奈川県の旭高校を卒業して当時の日本リーグ三菱に入団しましたが、最初はプロ契約をさせてもらえず「コピー取りをしていた」という社会人生活からスタートします。浦和の前代表の淵田敬三さんが水内の元上司で、当時のことを記憶していました。

そんな水内がブレイクしたのは、負傷者が続出してメンバー編成にも苦労した、1993年でした。当時率いた森監督は「3年分くらい負けた」と当時を悔しそうに振り返りましたが、そのチーム状態でサテライトから抜擢された水内は、スピードと上背の割に強いヘディングで空いたスペースに飛び出し、チームトップの7得点を挙げる活躍を見せました。

しかし、そんな水内の全盛期は長く続きませんでした。翌1994年、日大を中退して浦和入りした岡野雅行の存在も一つの理由でした。当時の岡野は技術的には荒削りでしたが、その爆発的なスピードで駒場スタジアムを沸かせました。そういう、規格外の才能に賭けてみたいと思うのは、当時浦和が弱かったので当然とも言えました。

水内は翌1995年、V川崎戦で岡野のダイレクトボレーシュートのアシストをしていますが、思い切って選手を入れ替えていたオジェック監督の構想から外れ、1996年から当時JFL(現在で言えばJ2相当)のブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に活躍の場を移すことになります。当時の仙台はJリーグ昇格を狙って選手を集めていた時期でした。

しかし、仙台でも2年で戦力外となり、選手としてプレーするのは難しいと判断して引退し、テレビ埼玉のGoGoレッズのMC上野晃氏が退くタイミングで後任に収まります。それから22年、GGRのキャスターを長く務めています。浦和の強いときも弱いときも、ほぼすべて知っている、今やレジェンドです。

現役時代はゴール後に「キャイーン」のパフォーマンスをするなど明るい性格の水内にとって、キャスターという仕事は向いていたのでしょう。トークショーでは司会ができる強みがあり、今後も浦和に関わっていくことになるでしょう。今や、いて当たり前になっていますね。
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鴻沼川トレーニング20200426

2020-04-26 20:04:28 | 他スポーツ
緊急事態宣言の中、数少ない楽しみとして、近所を流れる鴻沼川沿いを走っていました。自分にとっては桜環境センターのトレーニングルームの休止で体力が低下しており、GWを前に少しでも体力を戻したいと挑戦しました。概ねkm6分半で3kmまで行けたことは前向きに考えていいのではと思います。

もっとも、内容を見ればまだまだです。理由は、走ることを嫌いにならないように、どうしてもきついと思ったら休んで水を飲んでもいいことにしているからです。今回は3度休んでおり、休まないで5kmを連続で走れる状態に戻すことはこれからの課題です。もっとも、5kmの練習は桜環境センターのトレーニングルームで何度もやっており、調子が良ければ5km完走する状態まで上げることは可能と思っています。

今回、平均km7分を切って5km行けたので、まずは終盤にペースが落ちない状態に上げて、それから距離を延ばすことも考えればと思います。2か月のブランクは予想したより大きく、体重も82kgとランナーの体ではないですが、GWにまとめて走ることができるので、そこで自信を回復して、緊急事態明けには状態が上がっていることを期待したいです。

S->1km 6:34
1->2km 6:27
2->3km 6:33
3->4km 7:16
4->5km 7:03
total 33:57








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都築龍太の記憶

2020-04-25 22:11:20 | 浦和レッズ
写真がある限り続けたい記憶ネタは、元浦和GK都築龍太さんの記憶です。都築は国見高校出身で、プロ入りはG大阪でした。G大阪時代の2001年、コンフェデ杯のブラジル戦で代表デビューを果たしました。G大阪では都築は松代との併用でしたが、優勝のためには有力なGKが二人必要と判断した浦和が、即戦力として2003年に完全移籍でオファーを出し移籍してきます。

もっとも、当時の都築は関東地方には全く土地勘を持っておらず「埼玉ってどこ?」と思っていたほどですが、「同じ日本だし言葉が通じないわけではない」と浦和に馴染もうとしてくれました。当時の都築は、山岸とのポジション争いの日々でした。ファインセーブを見せるなどのドラマ性は山岸の印象でしたが、都築は安定感で勝負した印象です。

都築がゴールを守っていた時期で、印象的なのは2007年のACL優勝のときです。当時、ベストメンバーを全試合並べようとしてきたオジェック監督の無理な起用でチームは疲労困憊でしたが、準決勝の城南一和戦では「PK戦に持ち込むしか勝てる可能性はない」とチーム全体で守り抜き、最後のPK戦で都築が二人止めて浦和は決勝進出を果たします。

このACL優勝で出場できた、2007年クラブW杯3位決定戦、エトワールサヘル戦でも都築がゴールを守っていました。この試合は坪井がPKを献上して先制されましたが、永井、ワシントンのゴールで一時勝ち越します。その後半戦、相手FWシェルミティが都築が持っていたボールを強引に蹴り落とし、ゴールを奪われる痛恨のプレーが印象的です。「これでファウルを取らないのか」とスタンド観戦だった私は怒っていた記憶です。

また、代表でのプレーで印象的なのは、2009年2月の最終予選の豪州戦でゴールを守っていました。この試合は0-0のまま終盤まで推移し、引き分けが濃厚になった終盤で、DF闘莉王が点を取りたくて上がろうとしていました。それを、中澤と都築が説得して上がらないことにしたようにスタンドからは見えました。この勝ち点1は、最終予選通過に結果的に大きな勝ち点になりました。

もっとも、フィンケ監督が就任した2010年に都築は正GKを外されて大きく出番を減らすことになります。シーズン途中で湘南にレンタル移籍したものの、湘南も浦和も契約を延長しなかったのでこの年で現役引退します。今はさいたま市議会議員です。この写真のOBトークショーでは政治家らしく、埼玉高速鉄道の延伸工事の計画があったことを明かしています。政治の世界で、今後の活躍を期待したいです。
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辻監督の現役時代

2020-04-24 22:28:27 | 他スポーツ
緊急事態明けにプロ野球が無観客で始まる可能性があるとの報道です。野球ネタは試合の日にその日のヒーローを取り上げることが多かったですが、試合自体がない今なので記憶ネタの一つとして、写真の西武ライオンズ辻監督の現役時代の記憶を書きます。辻は野球では無名の佐賀東高校の出身で、1984年に社会人野球の日本通運からドラフト2位で西武入りします。

日本通運では4番を打っていた辻ですが、プロ入りした時点で「自分のバッティングは(このままでは)プロに通用しない」と判断して長打を狙わず、バットを短く持って安打狙いの打法に切り替えます。それが当たりました。ちょうど、二塁手のレギュラーだった山崎裕之が全盛期を過ぎていたタイミングの良さと、守備の安定感もあって、西武の二塁手のポジションに収まります。

辻といえば、1986年に就任した森監督に、9番打者で起用されたのが印象的です。DHのあるパリーグでは、9番も野手が打ちますが、それ以前は最弱打者が置かれることの多かった打順でした。辻は1,2番も打てるほどの出塁率の高さを持ち、1番石毛とのつながりで点を取るのが西武の一つの必勝パターンでした。

また、辻で忘れられないのは、1987年の日本シリーズで、巨人中堅手クロマティの返球の緩さを見抜いて、単打で1塁からホームインした奇策です。辻自身にもプロで200盗塁したほどの足がありましたが、これは実況のアナウンサーが「辻はどこの塁にいたのか?」と一時頭が混乱したほどのインパクトがありました。

1989年に近鉄に連覇を止められた西武は、翌年にチーム改革に乗り出します。辻はその後、1番打者として起用されるようになります。中日からトレードで獲得した平野が2番に座り、この1,2番コンビも西武の強みの一つでした。辻が出塁したときの平野の送りバントは、西武では定番といえる手だった時期は長かったです。

その後、辻は2億円という高額報酬がネックになって、自由契約になってヤクルトに移籍しました。今回の監督は、それ以来の西武復帰です。西武黄金時代の選手たちは様々な球団で監督やコーチになっていますが、辻は最も成功している一人だと思います。西武というチームを、打てる特徴を残しながら走れるチームへと変えている、チーム作りが光る監督です。
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福永泰の記憶

2020-04-23 22:12:17 | 浦和レッズ
写真に収めている元選手の記憶は、写真左の元浦和FW福永泰さんの記憶です。福永は1995年に浦和に練習生契約で入団し、その年にFWとしてオジェック監督に抜擢されて、広島戦で貴重なVゴールを決めるなどスターダムにのし上がりました。足元のテクニックが武器の選手で、シンプルに止めて蹴るのが上手かった、シンプルですがいい選手でした。

もっとも、福永が評価できるのはいろんなポジションができるからでもあります。FWとしてデビューしたものの、ボランチやトップ下でもプレー可能でした。さばける選手なので、潰される前にパスが出せるので、使い勝手がいい選手でもあります。のちに千葉や日本代表を率いたオシム監督が「ポリバレント(多様な能力)」として阿部勇樹を重用しましたが、そのポリバレントの走りが福永でした。

そんなテクニシャンの福永でも、1998年の小野伸二の加入は衝撃的だったようで「ものが違う。小野伸二中心のチームを作らないといけない。」と認めたほどでした。その小野伸二加入後はFWに戻り、福田と「福福コンビ」の2トップを組んだこともあります。また、福永はFKも蹴れたので、貴重なゴールを決めることもできました。

背番号も10番を着けていた時期もありますが、2001年のアドリアーノ加入で10番を失い、負傷がちになっていたことで出番も大きく減らしたことで浦和を退団することになります。その後は2002年からJ1の仙台に移籍し、サイドハーフとして出番を得た時期もありましたが、負傷がどうしても治らないことから、翌シーズン途中で現役引退の決断をしました。

その後はサッカー解説者として、サッカーダイジェストではJ2専門の記事を書き、フットサルの指導者としても幅広く活動しています。こういうタイプは引退しても上手く、OB戦などで姿を見かけるとボールさばきの良さを出しています。オジェック監督の下、弱い浦和から脱皮していった浦和を知る、貴重な人です。
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