今回は元西武ライオンズ投手、西口文也さんの記憶です。西口は野球ではそれほど有名でない立正大学の出身ですが、これが一つ不運を招くことになります。当時、逆指名ドラフトという、希望球団を書いて指名を待つことができる制度がありましたが、この応募期限が「所属チームの全公式戦終了後」と決められていました。
しかし、西口の立正大は、東都六大学野球1部で最下位になり、2部との入れ替え戦に臨むことになりました。この入れ替え戦が終わったのがドラフトの2日前で、これからプロ球団と交渉するのは物理的に不可能と悟った西口は「12球団OK」と記載せざるを得なくなります。結果的には西武ライオンズにドラフト3位で入団することになります。
もっとも、西口は西武に入って良かったと思います。理由は、当時の東尾監督が投手陣の世代交代を進めていた時期にちょうどうまく乗れたからです。サイドスローから投げ込むスライダーという、明確な武器を持っていた西口はエース格の投手になり、先発で安定して二桁勝てる投手として多くの先発投手の憧れになります。
松坂の台頭でエースこそ彼に譲る格好になったものの、西口はFAなどには興味がなかったようで、西武に引退まで居続けることになります。2008年の日本シリーズでは、第6戦で登板した岸が「尊敬する西口さんに第7戦で先発して欲しい」と意気に感じて巨人打線を空回りさせます。西口は第7戦で先発し、2回で降りたもののチームが一つにまとまり、逆転での日本一につなげることになります。
一時は中継ぎになってでも現役続行にこだわった西口ですが、晩年はストレートがかなり遅くなっていました。それでも、チームの功労者と皆が認めており42歳まで現役を続けました。去年はブルペン担当の投手コーチでした。西口の背番号13を継いだ高橋光成には、是非とも西口レベルの投手になって欲しいものです。
しかし、西口の立正大は、東都六大学野球1部で最下位になり、2部との入れ替え戦に臨むことになりました。この入れ替え戦が終わったのがドラフトの2日前で、これからプロ球団と交渉するのは物理的に不可能と悟った西口は「12球団OK」と記載せざるを得なくなります。結果的には西武ライオンズにドラフト3位で入団することになります。
もっとも、西口は西武に入って良かったと思います。理由は、当時の東尾監督が投手陣の世代交代を進めていた時期にちょうどうまく乗れたからです。サイドスローから投げ込むスライダーという、明確な武器を持っていた西口はエース格の投手になり、先発で安定して二桁勝てる投手として多くの先発投手の憧れになります。
松坂の台頭でエースこそ彼に譲る格好になったものの、西口はFAなどには興味がなかったようで、西武に引退まで居続けることになります。2008年の日本シリーズでは、第6戦で登板した岸が「尊敬する西口さんに第7戦で先発して欲しい」と意気に感じて巨人打線を空回りさせます。西口は第7戦で先発し、2回で降りたもののチームが一つにまとまり、逆転での日本一につなげることになります。
一時は中継ぎになってでも現役続行にこだわった西口ですが、晩年はストレートがかなり遅くなっていました。それでも、チームの功労者と皆が認めており42歳まで現役を続けました。去年はブルペン担当の投手コーチでした。西口の背番号13を継いだ高橋光成には、是非とも西口レベルの投手になって欲しいものです。