山の辺に吾と老鶯と空と風 笑子
たまのべにわとろうおうとそらとかぜ
今の甘楽町小幡地区
1615年に織田氏の領地となりその後152年間統治されました
織田氏の菩薩寺である崇福寺の隣の公園丘陵地に
御霊屋で守られた初代・織田信雄(のぶかつ)(信長の次男)
から七代目・信富(のぶよし)までの墓が並んであります
信長の長男は本能寺の変でお父上と共に暗殺されたそう
元和元年(1615)信雄(織田信長の二男)
大和松山(奈良県宇陀市)と上野(群馬県)小幡の
合わせて五万石(ずいぶんと少ない)の領主となったそうで
初代は奈良にいらっしゃって ここ小幡には来なかったようですが
(;^ω^)・・
その後は明和4年(1767)の事件で 出羽高畠(山形県高畠町)に
移封されるまで、8代152年にわたり小幡藩を統治したそうです
織田氏の墓石はいずれも五輪塔で、初代信雄から、信良-信昌-信久-信就-信右-信富の歴代順に並び
大名家の墓所らしい風格を見せています
群馬で織田氏の歴史に触れることができるのですね~~~(#^^#)