笑子のフォト俳句ブログⅡ

写真と俳句で日々を紡ぎます

秋の雲

2023-09-17 00:00:01 | 学び
秋雲とタワー並べて見てゐたり  笑子
しゅううんとたわーくらべてみていたり



行田市の田んぼアートは
このタワーから見下ろしました

古代蓮の里展望タワーは高さ50mです☆



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古代蓮会館へ

2023-09-13 00:00:01 | 学び
田んぼアートを見た古代蓮会館見学の様子です
(俳句はおやすみm(__)m)


蓮の時期をずれても楽しめる展示になっています


映像コンテンツもあって
蓮についていろいろと学ぶことができました



蓮も様々な種類があるのですね!!



とても美しくてオススメできる展示室です
・・・話は全然違いますが(;^_^A
夕べのNHKの夜の天気予報でやっていた
↓猛暑日の日数(~昨日まで)


毎日どうかしそうなくらい暑いと思っていたけど
実際、熊谷って関東でも日数的に突出してんじゃん!!!
千葉の6倍よ!信じられん!地獄の猛暑のはずだよね
いやこれ 熊谷・前橋あたりの人が「暑い・熱い」言っても
そりゃ暑いでしょうよと思って欲しいですわよ、
マジ暑いので、暑さのレベルが1つリードって感じ

仕事柄、他県から来る人と結構お話することがありますが
「この暑さ、おかしいでしょ」「どうかしている」などと皆さん言います
暑さの「質」が違うらしいです

今後は新たに熊谷・前橋あたりに住むの敬遠されそうだよね(◎_◎;)
こんな暑い処、恐ろしいもんね
自分は引っ越せないし
暑いなりに暮らすしかないのか、途方に暮れる・・・
という話でしたm(__)m
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夏の旅へ~その10 田母沢御用邸へ

2023-08-04 00:00:01 | 学び
夏座敷刻ふくよかに滑りゆく  笑子
なつざしきときふくよかにすべりゆく


【夏座敷】夏の季語
夏らしく開放的な座敷
襖や障子戸は葭障子に取り替えられ、風通しのよい座敷である

 

ほぼ12時にお宿をチェックアウトして( ´艸`)
いろは坂を一気に下り 田母沢御用邸に来ました
【田母沢御用邸】
明治32(1899)年から昭和22年まで3代にわたる天皇・皇太子が
利用した御用邸で
江戸・明治・大正と三時代の建築様式をもつ集合建築群です


春はこの丸窓から枝垂桜の景が見事なそうな・・

初めて見学に訪れたのですが想像よりかなり広くてびっくり!

 

部屋数は106室あるそうで
明治期に造営された御用邸の中でも最大規模の木造建築で
本邸が現存する唯一の建物なのだそうです

この日、係の人がいろいろ丁寧に説明してくださって
楽しい時間を過ごしました
係員のかたがとってもユニークで知識満載のお方でした


本当はお庭も散策すればよかったのですが
中禅寺湖から下ってきたら、もう外は暑くて暑くて一休みになり
「御用邸 茶寮」で珈琲をいただきました


このあとは ここからすぐ近くの不思議スポットへ・・・!

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無藝荘

2023-07-12 00:00:01 | 学び
映画好き集ふ夏炉でありしかな  笑子
えいがずきつどうふなつろでありしかな





【夏炉・夏の炉】夏の季語
単に炉では冬の季語
夏であっても北国や標高の高い地域などでは炉を焚くことがあり
冬とは異なる趣がある

私はここ無藝荘の囲炉裏端が大好きです(^_-)-☆



映画が好きだったり、映画に関わる関係のかたや
俳句好きな人、それから観光でぶらり立ち寄る方
ぽつぽつ来客があって みなさん自由に寛がれ
ここでの時間を過ごして帰られていきます

私も最初訪問したとき
「ごろ寝してお昼寝してもいいですよ」って言われて( ´艸`)
益々ここが好きになりました


小津安二郎監督は蓼科を愛し昭和31年には
仕事場を茅ヶ崎から 蓼科に移しました
ここで過ごし作品も作り、そして俳句も多く詠まれたそうです



無藝荘は蓼科湖からすぐ近く
蓼科観光にいらっしゃったときは
是非立ち寄られてください
静かな時間が味わえます(#^^#)
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甘楽町 織田宗家七代の墓

2023-06-28 00:00:01 | 学び
山の辺に吾と老鶯と空と風  笑子
たまのべにわとろうおうとそらとかぜ


今の甘楽町小幡地区
1615年に織田氏の領地となりその後152年間統治されました
織田氏の菩薩寺である崇福寺の隣の公園丘陵地に
御霊屋で守られた初代・織田信雄(のぶかつ)(信長の次男)
から七代目・信富(のぶよし)までの墓が並んであります
信長の長男は本能寺の変でお父上と共に暗殺されたそう

 

元和元年(1615)信雄(織田信長の二男)
大和松山(奈良県宇陀市)と上野(群馬県)小幡の
合わせて五万石(ずいぶんと少ない)の領主となったそうで
初代は奈良にいらっしゃって ここ小幡には来なかったようですが
(;^ω^)・・

その後は明和4年(1767)の事件で 出羽高畠(山形県高畠町)に
移封されるまで、8代152年にわたり小幡藩を統治したそうです

織田氏の墓石はいずれも五輪塔で、初代信雄から、信良-信昌-信久-信就-信右-信富の歴代順に並び
大名家の墓所らしい風格を見せています 

群馬で織田氏の歴史に触れることができるのですね~~~(#^^#)


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