のびたとブレイク

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母に聴かせたかった私のピアノ

2015年12月03日 08時52分24秒 | うたごえ

いつくしみ深き 友なるイエスは~ 昨日の下町のうたごえで歌った讃美歌である

そして 私のトークはいつも自分のことを 包み隠さず話してしまう

別に隠さずとも 恥ずかしい話でもない ブログ同様 ありのままを話す

 

もちろん うたごえの場だから 楽しさを削がない様に 時には笑いもあり時にシーンとさせる

下町のうたごえに集まる皆さんは そんなトークもあたたかく聴き拍手が起きたりする

話の途中で 会場の皆さんから突っ込みがあったり それを聴いて爆笑がある

 

 

讃美歌のことだが この伴奏をしている時は いつも母の姿が目に浮かぶのだ

戦後のことゆえ父も定職が無く 日雇いなどしながら私たちの生活を支えてくれた

しかしその父は 時にお酒を飲むと酒乱になり 母に乱暴したり私も殴られたことがある

 

そんな父がある時からキリスト教会に行くようになった

50歳くらいだったか それからは好きな酒も煙草もやめて 好々爺になっていく

もちろん母も一緒に行き 両親は晩年 教会に献身と言って細々と世話をしていた

 

母は讃美歌をたまに口ずさむ もともと歌は好きだったが歌う機会が無かっただけである

ものにはならなかったが 私が大正琴を買ってポツンポツンと弾いて居たら聴き入っている

メロディになりそうだったら 讃美歌を歌って私に合わせていた

 

 

私が独学でピアノを覚えて弾き バンドを作ったり活動したが 母は聴いたことが無い

いつだったか 偶然 グランドピアノを他人から譲り受け 教会の修養所に運んだことがある

母はそれを見て これをお前だと思って これからは磨いて置くからねと言った

 

うたごえで 讃美歌や母の好きな懐メロを弾いていると いつも母に聴かせたかったなと思う

私がピアノを弾く 私自身も思えなかったが 母もそう思っていただろう

それも大勢の方の前で歌の伴奏をしているなんて 見たらきっと涙を浮かべるだろう

 

教会のクリスマス礼拝には行かなかったが 深夜 聖歌隊に入って歌ったことがある

多分 中学1年だったか 何人かの方と24時ころ 街角や信者の家の外に立つ

そしてローソクに灯を点し 讃美歌のコーラスをした

 

きよしこのよる もろびとこぞりて 牧人ひつじを ああベツレヘムよ

ああベツレヘムの曲などは現在まで歌う機会も無いのに いまだに歌えるから不思議だ

なんだが神秘的でしょう? 私もその頃 可愛い顔をしていたんですよ

 

こういうと すかさず声がかかる 今でも可愛いよ~だって もちろん皆さん爆笑だ

こんな風に細やかではないが 私の想いや経験もうたごえのトークになる

聴いて下さるあたたかな皆さんがあってこそ 話せるし 笑ったり出来るのだ

 

 

 

昨日も88名の参加者 皆さんが笑顔いっぱいで楽しみ 時には私と楽しい挨拶だ

こんな光景を母が見たら きっと嬉しそうな顔をして 遠くから微笑んでいるかな

クリスマスケーキを娘が落としたことなど この時期思い出もトークにされる

 

 

 

     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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コメント (14)
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