のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

1月末退職しますと言う 寂しそうだった

2016年01月26日 05時00分00秒 | ボランティア

今年初の顔合わせなんですが 私 今月末で退職します

昨日訪れたディサービスのベテラン女性スタッフが私に挨拶された

まだ定年には遠そうだが 何の理由があったのだろう

 

いつも明るく 利用者さんに接し 私のうたごえでも盛り上げてくれる方だ

良く仕事がきつくて耐えられないと テレビなどで知るが ここにはそんな気配は無い

もしかしたら 自分の親の介護かななんて余計な思案までしてしまう

 

その方が 利用者さんに話したら 泣かれてしまったと言う

そういう人間関係が私にはとても好ましく思った

介護施設で働く方々は方たちは 総じて優しく思いやりに溢れている

 

そんな話をわずかな時間に話されたが 表情は寂しさが漂っていた

自分の仕事を愛し 人との交流にも誠意をもって対したら その深さに比例して感じる

永い間 ご苦労様でしたと 私も労ってきた

 

 

ここは比較的元気な方が多いのと プロジェクターを採用したので 曲数を増やし始めた

今までのように 模造紙を一杯持って行かなくなるのは私も有りがたい

毎日 暇を見つけては 楽譜を探したり この曲はどうかと頭で考える日々だ

 

3月2日に 私のバンド コーヒーブレイクに出演依頼がある

先日 メンバーに話をして そろそろ内容を決めたいと 担当スタッフと打ち合わせた

時間は30分から40分程度の持ち時間である

 

ホールでの皆さんの配置と プロジェクターの位置 バンドの位置を確かめる

30分前には バンドメンバーが到着して 楽器の配置 音出しをしなければならない

始まってしまえば40数年活動を続けてきたな仲間 皆さんに喜ばれる演奏が出来るだろう

 

 

 

 

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福島・川俣 若き日の心旅

2016年01月25日 06時00分00秒 | 旅行

日曜の朝 NHKの「小さな旅」を見る そこにはもう忘れかけていた地名が有った

思いがけない地 「川俣」 福島県・伊達郡の町が紹介されていて感慨に耽る 

原発の汚染にも侵されたが現在は除染済みだ

 

絹織物の町として かなりさびれてきたが 現在でも主要産業である

最盛期は 3千人の女工さんが働いていそうである

ただ これと言って観光地が有るわけでなく 東京の人たち他 知られない土地であろう

 

 

私が福島駅に降り立ったのは 50数年前である 勿論 独身の青年時代であった

旅が好きで 全国の列車を乗り継いだりしていた時でもある

どこへ行こうか あては無い リンゴの産地の伊達のあたりを巡って見た

 

さて そのあと何処に思った時 サークルで知り合った女性のことを思い出したのである

たった一度しか会って居ない 家も名前も覚えていないが 妙に気になっていた

故郷に帰ると言って居たっけ その地が 福島の川俣である

 

バスに乗って向かう 阿武隈川の流れも途中見えた それは かなり細くなっていた

川俣町に降り立ったが行くあてもない 観光地も無い この街のどこかに彼女が居る

今思えば 恋には遠い 淡い想いがあったのだろう

 

ただ さ迷って歩き 小学校の運動会をぼうっと見ていただけだった

そんな想い出が やけに鮮明に蘇ってくるのである

そのあとは 福島あたりの東北道からも見える 「霊山・りょうぜん」に行く

 

 

誰かに聴いて行ったのだと思う ただバスが無く かなりの時間をかけて歩いて行く

特異な山容を見せる霊山 秋は紅葉で有名になるが 麓まで行くが人通りも無かった

時は流れ添乗員で東北道を走る時は あれが霊山ですよと 観光案内をしたものだ

 

福島市のシンボル 信夫山がある お椀を伏せたような小高い山がどこからでも見える

そこには 安洞院という寺があり 信夫文字摺り石があることでも有名だ 

文字摺り≒もちすり は 絹を染める技術のことで 現在でも踏襲されている

 

 

ここには京都の役人がこの地に来て 長者の娘 虎女という女性と恋に落ちた伝説がある

ひと月も愛し合い 再会を約して京都に帰った役人 それを待つ彼女は100日参りをした

しかし その日が来ても彼は来なかった 病に冒された彼女に京から歌が届く

 

万葉集にあり 百人一首でも取り上げられた 誰でも知っている恋歌であった

「みちのくの 信夫文字摺り誰ゆえに 乱れ染めにし我ならなくに」 源融

遠い都で 心が乱れている様が歌われていた

 

私が訪れた時は 悲恋の故 この石が毎晩泣き声がする ゆえに夜泣き石とあった

現在 寺のホームページを見ると この項目は無い 

その日は 夕闇が訪れる頃となって居た

 

住宅地を歩くと ポツリポツリと灯りが点されていく

暗い道を歩いて居ると 何か寂寥感に襲われそうだった

そんな時 ある家からピアノの音が聴こえてきた

 

へートーベンのエリーゼの為に 私は歩くのをやめて 窓辺の下に佇み この曲を聴いた

家の灯りと ピアノの音と 暗い夜道 何故か今でも忘れられない情景だ

何気なく見たテレビの 川俣 から その時の心の旅を私は重ねていた

 

 

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住職の読経 甘酒の振る舞いも 町会の初地蔵

2016年01月24日 06時00分00秒 | その他

今にも雪の降り出しそうな 寒波襲来の東京・隅田川河畔 厩橋の袂である

一昨日記載した お地蔵様のお守りは 町会挙げて行なわれていた

無味乾燥な最近の世相に有って ここだけは 心のあたたかさが通い合う

 

参加者の寒さを 少しでも和らげるために 温風機も2台設置して暖かい

初地蔵の為に 垂れ幕も新しく飾られ 千羽鶴 生花も彩りを添えている

この地から掘り出されたお地蔵さまと 東京大空襲の犠牲者の鎮魂の供養である

 

 

近くのお寺さんの住職を迎え 厳かに読経が流れ始めた

参加された全員 お線香を手に お地蔵様の前に行き 手を合わせる

どうぞ安らかにお眠りください 平和な時代がいつまでも続きますように祈りを込める

 

 

 

町会の婦人部が用意してくれた甘酒が振舞われる 寒い中に熱い甘酒が嬉しい

これが すこぶる美味しかった 少ししょうがを入れて 麹の本格的甘酒である

神田明神に行くと名物の甘酒が有るが 正直 これよりずっと美味しい

 

 

更に けんちん汁まであり ご馳走だ

フーフー言いながら食べる皆さんの顔もほころんでいる

こうして ずっとお守りして 護られている下町の情景 いつまでも続けて欲しいものだ

 

 

 

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大相撲 日本人優勝は今回逃したら望み薄 桜は咲いている

2016年01月23日 05時00分00秒 | ウォーキング

最近の大相撲 人気は上々で満員御礼の日が続いている

ウォーキングでこの界隈を歩き 国技館正門の のぼりを見た

力士や行事の名前が有り 櫓太鼓と合わせ 盛り上がりを見せている

 

 

チケット売り場を覗くと すでに一般席の当日売りを覗いて全て売りきれている

その当日券でさえ 朝の10時近くで あとわずかですと案内していた

ちょっと私には高い 家に帰って テレビ桟敷席?が一番だ

 

 

大関琴奨菊が全勝で 3横綱全て倒した これで本来は優勝は決まったようなものだ

ところが 昨日 自分より格下の力士に負けてしまった

まだ2日有ると言うものの 優勝が少し遠のいた

 

モンゴル勢が上位の多くを占め 国技である日本人の優勝は数年無い

年6場所もあるのに 全てモンゴルか外国力士が優勝だった

琴奨菊の今回の成績は眼を見張るものが有る

 

 

今まで怪我が多く 大関から陥落寸前で粘ること5場所だった

年齢も考えれば 優勝できるチャンスは 今回しかない 何とか頑張って欲しいものだ

あとの日本人力士 上位のモンゴル勢を倒して 横綱になれそうなのは居ない

 

 

いつだったか 同じこの道を歩いて居た時 あの若貴兄弟が仲良く歩いているのを見た

外国人は なかなか横綱になれないと 僻んでいた時代は全く過去のものとなった

日本人力士よ もっと闘志を見せよ 誇りを持って これが国技だと言って欲しい

 

国技館の後ろあたりに 江戸東京博物館が有る

その横の緑道に 徳川家康公の銅像が有る

この周りの桜は 早くも花が咲いて 優勝を待っているようだ

 

 

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隅田川のそばでお地蔵さまを守る下町人情

2016年01月22日 05時00分00秒 | うたごえ

浅草の近く 隅田川のやや下流対岸に本所の街が有る 江戸時代から続く街だ

ここにかかる橋が厩橋 その袂に小さな祠が有り のぼりが数本はためいている

その祠には いつもお花が供えられており 地元の方が守って居ると言う

 

 

中を覗くと お地蔵さまが3体鎮座 上には首都高速道路が走る 

実は昨日 ウォーキングの傍ら その本所地区の地域プラザ BIG SHIPを訪ねた

うたごえの仲間が 施設内にあるコーヒーショップでボランティア担当している日だ

 

 

月に一度 私もここのランチコンサートを聴きに行く施設でもある

珈琲を飲みながら雑談している時に お地蔵さまの供養の話が出た

毎年1月 初の地蔵に本久寺の住職を呼んで供養をするそうだ

 

町会婦人部の接待で 甘酒も振舞われると言う

ここのお地蔵さまの清掃やお花を毎日供えているのが 彼女だった

予定の無い日だから 今度の土曜日 私も行くことにした

 

 

厩橋地蔵の由来をネットて調べてみた

昔からここに有ったわけではなく 首都高速建設時に掘り出されたものである

下町の人情は厚く 祠を造ってお祀りをすることにした

 

本所1丁目の婦人会の前身 母の会が廃品回収などで資金集めをした

祠も地元の方が 設計から基礎工事 大工の仕事も全部 手仕事で完成させたのである

その後 この地蔵の一体は 江戸初期に この地で亡くなられた女性の墓石と判明した

 

 

この一帯は 東京大空襲で大火災となり 多くの方が亡くなられた

その方たちの慰霊の為に もう一体の地蔵様も建立した

地元の方が守る地蔵様 東京の下町で厚い人情で守られている

 

 

因みに 浅草の観音様は 隅田川から掘り出されたものだ

信州の善光寺も 大阪の川から掘り出されている

そして 我が家には 父が鉄くずを拾って歩いた頃 隅田川から拾い上げたものだ

 

 

 

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