自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

1980年のクリスマス

2020年12月25日 06時01分00秒 | Weblog

丁度今から40年前のクリスマスイブ!

一生忘れられない。自分は大学3年生で、生意気盛りで、クリスマスイブは、自分の部屋で合コンの予定だった。
自分は、姉の結婚式に為秋田に戻っていたが、イブの夕方アパートに戻るので、後輩たちに準備しておくよう言い残しアパートの鍵を託していた。
当時は羽後本荘発の仙台行き千秋2号と米沢行きの急行最上の連結列車がというのがあり、新庄で分列していた。
列車は順調に出発したが新庄に近づくと衝撃の車内放送!
宮城県で大雪のため仙台行き千秋2号は通行不可になり新庄から戻りの臨時列車が出るという事だった。
その放送を聞いて、中年のおじさんが、私と一緒に乗合タクシーで行かないかという声が上がると行きたいという人が集まって、一人2000円でということで、仙台に向かった。
 

河北新聞より
 
 
 
仙台は悲惨な状況だった。停電で真っ暗だった。信号機のほとんどがついていない。スタックした車でたくさんの車が埋まっていた。
大学病院前でタクシーを降りて45分ほど膝まで雪に埋まりながらアパートに着く。
停電で真っ暗だった。
自分の部屋には後輩たちがいるはずだが、あかりは見えなかった。
部屋に着いたが鍵はかかったままで誰もいなかった。
アパートの後輩の一室にあかりが見えたので、尋ねる部屋に入れて貰い他に奴らはどうしたか尋ねると、先輩は来れないので飲みに行くと出かけたという。
奴らが戻るまでここに置かせてもらう、二人でシャンパンを飲んだが、停電のコタツは無能だ。
12時になろうとした頃、いい調子の笑い声で奴らが戻ってきた。その笑い声で、キレる事のない自分が本気でキレた。
自分の姿を見て後輩たちの笑顔が無くなった。
5人全員を雪に投げ捨て、自分の部屋の鍵をとり、明日覚えておけと言い残し部屋に入った。
部屋はクリスマス用にデッコッテいた。
部屋の外で奴らは泣きながら謝っていたが、早く帰れーと叫んでいた。
 


 
停電には無能の電気ストーブ!
ガスでお湯を沸かし暖をとった。
バッフルコートを着たまま布団に入った。
今思い出してもつまらない一日だった。煩悩の三毒に瞋恚がある。これは怒りを指す。今思えば若気の至り以外のなにものでない。
クリスマスになるといつもあの日の事をお追い出す。思い出す。ちなみにこの年のヒット曲はもんたアンドブラザーズのダンシングオールナイトだった。
 
コメント
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