実は、私は宮川哲夫という人を知りませんでした。
今回、波浮の石碑を見て初めて、その名を知りました。
ネットで調べてみますと、宮川哲夫は大正11年に波浮で、大きな網本の長男として生まれています。
当時の波浮は日本全国から漁船が集まり、日本でも有数の漁港として繁栄していました。
網本である哲夫の父は演劇が好きで、伊豆の踊り子一座に別荘を貸し与えるほど裕福だったようです。
その後、哲夫が中学へ入る前に家が倒産、母を亡くすなどの中で、哲夫は東京の師範学校を卒業し、小学校の教諭をしながら「街のサンドイッチマン」などの作詞をてがけ、鶴田浩二が唄った「赤と黒のブルース」、フランク永井の「夜霧の第二国道」「羽田発7時50分」などのヒット作品を生み出していったようです。
今回も時間潰しで乗ったバスの旅の、ほんの数十分の散策で、予想もしないものに出会い、印象に残る濃密な時間を過ごすことができました。
以前にも書きましたが、私は時計も携帯電話も持たずに歩いています。
親切なバスの運転手さんは、私の姿が見えなければ、きっと多少は待っていてくれるだろうと思いますが、そろそろバス停へ戻る時間になった気がします。
波浮の港を眺めながら、さっき登ってきた石の階段を下って行きました。
帰りのバスの中でも、先ほどの運転手さんが、波浮にある大島南高校は船乗りのための全寮制高校で、学校が船を持っていて、生徒は毎年、航海実習に出ているとか、ここが三原山が一番よく見える場所です、などのガイドをして頂きながら、予定通りに元町港へ戻ることができました。
お陰様で本当に楽しいバスの旅となりました。
便数こそ多くはありませんが、大島の路線バスには本当に良い思い出を頂きました。
元町港を出港する最終の高速フェリーは16時35分発で、帰りは伊東へ寄港せずに熱海へ直行します。
私は自分の車を伊東の岸壁の駐車場に置いてきましたから、熱海から伊東へはJRで戻ることにして、船上の人となりました。
帰りのフェリーからは、伊豆の山々の向こうへ沈んでゆく夕日が本当に見事でした。
見事な日の出に始まり、見事な夕日で締めくくられた伊豆大島の花旅は、こうして穏やかな海の上で暮れてゆきました。
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