ブラジルの詩人アデマール・デ・パロスの、「神われらと共に」という詩です。
別名の『浜辺の足跡』のほうがいい感じですね。
曽野綾子女史のベストセラー「老いの才覚」に引用され、有名になった詩です。
夢を見た、クリスマスの夜。
浜辺を歩いていた、主と並んで。
砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
私のそれと、主のそれと。
ふと思った、夢のなかでのことだ。
この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。
立ち止まって後ろを振り返った。
足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。
ところが、一つのことに気づいた。
ところどころ、二人の足跡でなく、
一人の足跡しかないことに。
私の生涯が走馬灯のように思い出された。
なんという驚き、一人の足跡しかないところは、
生涯でいちばん暗かった日とぴったり合う。
苦悶の日、
悪を望んだ日、
利己主義の日、
試練の日、
やりきれない日、
自分にやりきれなくなった日。
そこで、主のほうに向き直って、
あえて文句を言った。
「あなたは、日々私たちと共にいると約束されたではありませんか。
なぜ約束を守ってくださらなかったのか。
どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
まさにあなたの存在が必要だった時に」
ところが、主は私に答えて言われた。
「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ
」浜辺を歩いていた、主と並んで。
砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
私のそれと、主のそれと。
ふと思った、夢のなかでのことだ。
この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。
立ち止まって後ろを振り返った。
足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。
ところが、一つのことに気づいた。
ところどころ、二人の足跡でなく、
一人の足跡しかないことに。
私の生涯が走馬灯のように思い出された。
なんという驚き、一人の足跡しかないところは、
生涯でいちばん暗かった日とぴったり合う。
苦悶の日、
悪を望んだ日、
利己主義の日、
試練の日、
やりきれない日、
自分にやりきれなくなった日。
そこで、主のほうに向き直って、
あえて文句を言った。
「あなたは、日々私たちと共にいると約束されたではありませんか。
なぜ約束を守ってくださらなかったのか。
どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
まさにあなたの存在が必要だった時に」
ところが、主は私に答えて言われた。
「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ
最初にこの詩に出会ったのは、7-8年前の誕生日にバプテスト教会で洗礼を受けた時。
先輩のファミリーからきれいに印刷された物を頂きました。
先日、大学時代からの大切な友人K氏のご家族の介護談をきいて
彼はクリスチャンではないけれど、バプテスト系の大学で4年間共に学んだので、
この詩を贈りました。
週末、昔大好きだった『カヌーライフ』(元カヌーイング)という雑誌が気になり
検索をかけたら、偶然、当時編集に携わっていた方のブログで
同じこの詩を見つけました。
2011年3月11日の記事でした。
不思議な力を感じる出来事でした。
久しぶりにブログを書こうと思い立ち
過去の記事を眺めていたら、またこの詩に出逢いました。
机の脇には教会学校でどもたちと一緒にゲットしたプレゼント
FOOTPRINTと題されたこの詩のノートが....
昨夜は夫と静かなクリスマスを過ごしながら
来し方行く末とちょっぴりの夢語りをしました。
結婚以来やりたい放題の私を支えてくれた連れ合いも60歳。
そろそろ私が彼を背負っていかれるといいな...
Pic:中国雲南省ロロ湖の1コマ Hubby and I were there in 2019 summer