Malang Indonesia ジャワ島ぐらし

高原の学園都市マラン。Universitas Brawijayaや街での出来事を綴ります。

阿育王寺(アイクオウジ/アーユィワンスー)

2009-10-06 | Diary
日本流にいうとアショカ王寺。

阿育王寺(アイクオウジ):アーユィワンスーと発音し、
ガイドブックには 
-HEAVENLY KING HALL OF KING ASOKA TEMPLE-と掲載されています。

今日は9月7日(月)新入生入学時・ボランティア活動で一緒だった
2年生の学生と約束した、「阿育王寺と彼女の故郷嘉渓村(jia-xi-cun)に
ハイキングに出かけました。

8時30分に彼女がお迎えに来てくれ、
750番の市内バスに乗り20分、バスはどこまで乗っても片道3元です。
休日のお出かけ日和とあって、学校(モール)前から乗ったバスは
200%ほどの乗車率、しかし都内のラッシュに比べれば、
ご機嫌の観光。

入り口から中ほどに詰めると、新入生歓迎会のステージで知り合った
音楽科の男子生徒が二人ほど乗っていて、
お喋りに講じているうちに目的地に到着しました。

ちなみに、男子学生の幼名は
小秋(今日が誕生日)19歳、と紀huan(又+欠)22歳。
ともに学校の近くに住む1年生のハンサムボーイズです。

ガイドブック情報では:

目的のお寺は、阿育王山の麓にある中国禅宗五山の一つで
かの鑑真和尚もこの地を訪れ、
中国・日本両国の仏教文化交流の要となった土地だそうで、
境内にある舎利殿の石塔には
お釈迦様の遺骨を収めたという木塔が安置いました。

アショカ王についてはあまりに有名なので省略いたします。

当たり前のことなのでしょうけれど、
奈良にある唐招提寺、薬師寺、法隆寺を彷彿(ほうふつ)させるような
静かな境内には、国慶節の旅行で中国各地から人々が参拝されていました。
自家用車でおばあさんを連れてくる家族、
ティーエイジの男の子と両親の3人ずれ。
小さな子どもと一緒にお参りをするお父さん....

そして他の省からの大きな観光バスも私たちと入れ替わりに
到着し、善男善女が法衣に身を包み祈りを捧げていました。
案内をしてくれた学生も10年ぶりぐらいに訪れるとのことで、
一緒におまいり、1300年前の仏教伝来のころのお話を
秋の陽射しの下で楽しみながらの散策は
金木犀の香りに包まれなんとも幸せな時間でした。:-)

食事は山門脇にあるレストランで精進料理
50元のコースを二人分。
団体客が来る前の時間だったので、
持ち込んだオレンジジュースやお寺でもらった仏様のお水と一緒に
ゆっくりと堪能できて大満足。

食べ切れなかった蓮根の甘辛酵酢あんかけ、
きのこづくしの油いためはテイクアウト(自分でやります)しました。

もって帰れませんでしたが、湯葉・岩海苔いりのスープは
薄味で本当においしかったです。:-)

お土産やサンで彼女の双子の甥にデンデン太鼓を買い、
私もほしくなったので1つ10元といわれたのですが、
3つで24元に割り引いてもらいました。:-)
日本人観光客も多いようで、お土産やサンのご主人は
「ありがとう、さよなら...」だって。:-)

さてここからがハイキング。
阿育王寺発祥の地、嘉渓村までどのぐらい歩いたでしょうか。
最初は車がビュンビュン走るバス通りを
途中で電車が行き過ぎたので単線の線路を
まるで映画「スタンド・バイ・ミー」のように
テクテクと歩き、草むらを通ってようやく嘉渓村に到着しました。

手持ちの地図では阿育王寺は載っているのですが、嘉渓村が見つからず、
距離はわかりませんが、結構早足で1時間ほど、
いつも眺めている遠くの煙突を少し高台にある線路から見下ろしながらの
素敵なハイキングでした。

みかん畑(恩州みかんの産地はすぐ近く)、えんどう豆畑、
そのほか色々な作物が実る線路脇の農地、
この立派な港まで続く線路はいつ誰が作ったんだろう....って思いながら

さて、嘉渓村での出来事はまたいずれ....

写真は「寧波市フォトギャラリー」上田ケーブルビジョン提供
から拝借したものです。

http://www.ueda.ne.jp/ninpou/photo.html

寧波市のほかの景色もお楽しみください。:-)

アテブレーベ オビュリガード(ポルトガル語で織田信長風に)





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