今日で阪神淡路大震災から26年。
毎年ブログに書いてますが、この日を忘れないために
今年も書いておきます。
神戸から離れた滋賀でも、震度5強でした。
当時は伯母の家で二人暮らし。資格試験の勉強中でたまたま本を
読みながら寝てしまっていた私は電気をつけたまま寝てました。
激しい揺れで目が覚めましたが、暗闇ではなかったので揺れが
収まってすぐに行動、子供の時に祖母から「地震の時はすぐに
玄関を開けるように」と教わっていたので、まず玄関を開けに行きました。
家の中は被害なし、実家と連絡を取った後はずっと伯母とテレビを
見てました。
当時はまだ携帯電話はなく、会社が始まる頃には電話が使えなくなったので
公衆電話から会社に無事を伝え、JRが開通したら出社すると伝えました。
結局終日運休になり、どんどん被害が広がっていくのをテレビで見てました。
大学時代の友人達は大阪・兵庫に多くが住んでいて、しばらく経ってから
全員無事だと分かりましたが、伊丹に住んでいる友達がいて阪急伊丹駅が
倒壊しているのを見て、友達も死んでしまったかもと連絡できるまで
ずっと心配してました。
随分経ってから友達に会いに行くと、アパート周辺でも更地に
なっている場所がいくつかありました。
まず困ったことは何だったかと聞くと、停電して真っ暗の中
動くことやったと言ってました。
これを聞いてから、ベッド近くと玄関とリビングに懐中電灯を
置くようにしました。そして、毎年この時期に震災グッズの
点検をしてます。
関西は大きな地震はないと、なんの知識もないのに漠然に
思っていた私。その上、生きている間にこれ以上の大きな災害は
ないと思ってました。
1月17日は災害に対する自分の考えを見直す日にしてます。