KKです。
やっと夏休みが終わりましたね。
以前の静かな環境が戻ってきました。
宿題の丸付けやら、もろもろで
8月後半はそれにかかりきりでした。
なんで息子は自分で宿題を済ませて
おかないのだろうか…。
そろそろ一人で計画的にして欲しいと
息子に言いました。
しかし自分の子ども時代を振り返ると
自発的に宿題を取り組んではおらず
最後の数日はいつも地獄を見ていました。
自分が出来ない事を息子に求めるのは
間違っていると気づいた次第です。
9月になり仕事が忙しくなり
時間を作れず時間ばかり経ちました。
さて、今回もボランティアについて
考えます。
ボランティア2で私の学生時代
所属した会のディレクターから
ボランティアの意味として、
自分が所属している会を最後まで
支える事だと聞いた話を紹介しました。
私は会に所属する前提が自分の意思で
入会する事とずっと思っていました。
PTAの入会に関しては、どの段階でも
意思確認をされていない。
自分から進んで入会したいと思った
訳ではないので自分がPTAを支える事は
ないと思っていました。
それどころか、騙して入会させられた
PTAをなぜ私が支える義理があるのか
と思っていました。
しかし会を支えるや寄り添う意味が
そうではない事が最近分かりました。
久しぶりに学生時代のディレクターに
連絡をしそこで判明しました。
ボランティアグループにはそのグループ
をメンテナンスする人(保護者)が
必要。
その役割は「何かの目的をなしとげる
こと」ではなく「グループの成長に
添い遂げること」。
結果としてそのグループが良いことを
達成すればそれはそのグループメンバー
の手柄であってメンテナンスをする人の
手柄にはならない。
PTAを良いものにしたいのなら、
遠回りだがそのグループ自体を
良いものにしないといけない。
役員になり仲間を増やし、グループの
保護者になる。
また寄り添うという事は相手が
変わろうが変わるまいがそれでも
一緒にいるという意思表示。
はじめはその考えがよく理解出来ず
混乱しました。
数度やり取りをし、ディレクターの
考えが分かりました。
私にとってPTA執行部や校長を
支えるや寄り添うのは考えられない
事です。
人を騙して入会させたのにそんな
おかしな話はないと思いました。
ただ10月には理事会後の会に私の参加が
了承された場合は同じテーブル
に着き話し合いをします。
それは結果としてPTA執行部や校長を
支える事になるのではないか?
と今は思っています。
支えるという言葉じりに囚われるのでは
なく今後を見据えるしかないのか…。
『支える』を『最後まで見届ける』に
置き換えれば納得出来ます。
どんな結果になろうが最後まで
見届けるつもりです。
おかしな方向に話が行くのなら何度でも
しつこく話し合いをするつもりです。
そういう私のスタンスが保護者なのかも
しれないと思います。
別に一緒にいたい訳ではないですが
きちんと結論が出るまでは一緒に
考えていくので同じだと感じています。
今後の事は分かりませんが、恐らく
息子の小学校は何らかの変化が
生じる事と思います。
その時に私の名前を出すつもりは
ありません。
手柄にしようなどはじめから思って
いません。
今のPTA会長を始めとした執行部や
理事達で議論し改革をした結果と
堂々と発表すればいいと思って
います。
支えるという言葉の意味を何日も
いろいろと考えさせられました。
今回はここまで。まだ考えていきます。
そろそろ7月末話し合いで男性の
副PTA会長が気にしていた件の
その後を書きたいと思います。
では、次回!
やっと夏休みが終わりましたね。
以前の静かな環境が戻ってきました。
宿題の丸付けやら、もろもろで
8月後半はそれにかかりきりでした。
なんで息子は自分で宿題を済ませて
おかないのだろうか…。
そろそろ一人で計画的にして欲しいと
息子に言いました。
しかし自分の子ども時代を振り返ると
自発的に宿題を取り組んではおらず
最後の数日はいつも地獄を見ていました。
自分が出来ない事を息子に求めるのは
間違っていると気づいた次第です。
9月になり仕事が忙しくなり
時間を作れず時間ばかり経ちました。
さて、今回もボランティアについて
考えます。
ボランティア2で私の学生時代
所属した会のディレクターから
ボランティアの意味として、
自分が所属している会を最後まで
支える事だと聞いた話を紹介しました。
私は会に所属する前提が自分の意思で
入会する事とずっと思っていました。
PTAの入会に関しては、どの段階でも
意思確認をされていない。
自分から進んで入会したいと思った
訳ではないので自分がPTAを支える事は
ないと思っていました。
それどころか、騙して入会させられた
PTAをなぜ私が支える義理があるのか
と思っていました。
しかし会を支えるや寄り添う意味が
そうではない事が最近分かりました。
久しぶりに学生時代のディレクターに
連絡をしそこで判明しました。
ボランティアグループにはそのグループ
をメンテナンスする人(保護者)が
必要。
その役割は「何かの目的をなしとげる
こと」ではなく「グループの成長に
添い遂げること」。
結果としてそのグループが良いことを
達成すればそれはそのグループメンバー
の手柄であってメンテナンスをする人の
手柄にはならない。
PTAを良いものにしたいのなら、
遠回りだがそのグループ自体を
良いものにしないといけない。
役員になり仲間を増やし、グループの
保護者になる。
また寄り添うという事は相手が
変わろうが変わるまいがそれでも
一緒にいるという意思表示。
はじめはその考えがよく理解出来ず
混乱しました。
数度やり取りをし、ディレクターの
考えが分かりました。
私にとってPTA執行部や校長を
支えるや寄り添うのは考えられない
事です。
人を騙して入会させたのにそんな
おかしな話はないと思いました。
ただ10月には理事会後の会に私の参加が
了承された場合は同じテーブル
に着き話し合いをします。
それは結果としてPTA執行部や校長を
支える事になるのではないか?
と今は思っています。
支えるという言葉じりに囚われるのでは
なく今後を見据えるしかないのか…。
『支える』を『最後まで見届ける』に
置き換えれば納得出来ます。
どんな結果になろうが最後まで
見届けるつもりです。
おかしな方向に話が行くのなら何度でも
しつこく話し合いをするつもりです。
そういう私のスタンスが保護者なのかも
しれないと思います。
別に一緒にいたい訳ではないですが
きちんと結論が出るまでは一緒に
考えていくので同じだと感じています。
今後の事は分かりませんが、恐らく
息子の小学校は何らかの変化が
生じる事と思います。
その時に私の名前を出すつもりは
ありません。
手柄にしようなどはじめから思って
いません。
今のPTA会長を始めとした執行部や
理事達で議論し改革をした結果と
堂々と発表すればいいと思って
います。
支えるという言葉の意味を何日も
いろいろと考えさせられました。
今回はここまで。まだ考えていきます。
そろそろ7月末話し合いで男性の
副PTA会長が気にしていた件の
その後を書きたいと思います。
では、次回!