息子の(小中高等)学校は脱皮中~ホワイトPTA目指して~

PTA問題に目覚めてしまい活動を始めたのは2015年。
私立高校でも、県立高校でもPTAが…。終わらないな。

ボランティア3

2015-08-26 15:03:59 | ボランティア
KKです。
前回は熊本PTA裁判の意見書に
ついてでした。

私のブログをご覧になって
いる方のPTAでの
立ち位置は同じではないと
思っています。

PTAに対して批判的な方、
PTAと今対峙されている方、
PTAとこれから対峙しよう
としている方、
何かおかしいな、と思っている方、

PTA関係者で執行部など
実務をされており特に問題を
感じない方、
実務をされているが問題を感じ、
内側から変えようとしている方、

一般のPTA会員の方、
PTA問題の何が問題なのか
全く理解できない方、
既に退会された方、
以前PTAに関わったが子どもさんの
年齢で卒業した方など
いろいろあると思います。

立場は様々ですがPTAのあるべき姿は
普遍だと私は思っています。

まるおさんの意見書を読むと
今まで私が校長やPTA会長や教育委員
会とやり取りをした事、ある種の闘いを
思い出し感慨深いものがありました。
何度話しても伝えても理解してもらえ
なかった点がきちんと整理され論点が
述べられていました。

私が話しても伝わっていない点、
これは私の力不足であり克服するべき
課題でもあります。
足りない部分を埋める為に
今後も調べたり確認するつもりです。

10月以降、理事会後の会において、
噛み砕いて説明をし、繰り返し伝える
しかない。
よい勉強をさせていただいたと思って
います。

まるおさん、本当にありがとうござい
ます。
たくさんのパワーをいただきました。

まだ考え中のボランティアの続きは
じっくり考えます。結論は何となく
出ているのですが過程が不十分です。


さて、私の学生時代のボランティア
体験をもう少し続けます。

私が所属していたボランティアの会の
ディレクターからいろんな話を聞いた。

ボランティアにおいて役割分担が
明確になればなるほどギスギス
した関係(の団体)になる。

効率で物事を見ればその人の心の
動きを踏みにじんでいる。
効率は人の心の渇きにつながる、
と言われた。

ボランティアというのは自分の意思の
上で行う活動。
自分の意思に関わらず、あらかじめ
決められた内容をただ消化するだけ
であれば得る事はなくただ活動を
しただけになる。

支援をして欲しい人がいて、支援
したい人がいる。
支援を必要とする人に合わせた活動が
求められている。

求める物は一人一人異なっている
かもしれない。
またある一定の年齢などで共通の物が
求められているかもしれない。
何らかのニーズがあり叶えたいと思う
人がいる。
それを支援して欲しい人自身で
叶えられるように下から支えるのが
ボランティアだと思う。

活動はニーズを叶える為の手段で
あって目的ではない。
手段が目的にすり替えられる事により
そもそもの目的が見えなくなってしまう。

ただ機械的に何かの行事をこなすだけで
その目的や趣旨が活動をする人に見え
なくなったり伝わらなくなる。
すると元々の目的からズレたり
おかしな話に変わっていくのではないか。

役割が決められる事により自分に割り
振られた内容しか興味を持たず考えない
ようになる。
効率を優先させたり重視すると
そもそもの目的がかき消されてしまう。

何かイレギュラーな事が起きたら
柔軟に対処せず前例がないので、とか、
慣例では、というような
常套句の台詞が出て来る。
問題を深く考えようとしないのでは
ないか?

誰の為の活動なのか、自分に何が出来る
のか、どう関係出来るか、
という問いかけがボランティアには
常に必要ではないのかと思います。

又評価はボランティアをする人では
なく、ボランティアを受けた人が
する事だ。
独りよがりなボランティアは迷惑な
だけだ。
その理解がないと、せっかくして
あげたのに、とか、してやった、
などのとんでもない言葉になる。

ボランティア2で触れた、
ボランティアをした人が得たものを
紹介したブログがあります。


私が散々こだわってきた夏休みプール
問題の対応を振り返ってみます。

プール問題で考えると、
すべての児童の為の夏休みのプール。
子ども会会員やPTA会員として
子どもが楽しく安全にプールを使用
するには何が必要かと考える。

会員によるボランティア制の
監視当番が出てくるかもしれない。
仕事や家庭の事情もありどこまで
関われるか。
協力出来る保護者が少なければ
PTA活動でなくなるかもしれない。

学校によっては夏休みのプールは
学校行事で先生が監視をしている
例もある。

また夏休みはプールを解放していない
小学校もあると友人から聞いた事がある。
息子の小学校から比較的近くだった。

どれがよいのか決めかねるが、
前例にとらわれず柔軟に考えてみるのが
よいと思う。

難しく考えなくても答えは案外簡単な
事でありシンプルな気がします。
しかしそこがどうも伝わりません。

今回はここまで。

熊本PTA裁判意見書について1

2015-08-25 18:30:45 | 熊本PTA裁判
KKです。
ここ数日ブログの更新が出来て
いませんでした。

以前毎日更新と書いていたのに…。
個人的な諸事情でした。
正直毎日更新は大変でした。
今後は無理がないように更新予定です。
時々更新がない事もあると思います。

前回はボランティアについてでした。
まだ続きを考える予定ですが
少し煮詰まってます。
まとまったら続きを書きます。

さて以前当ブログで紹介した
熊本PTA裁判ですが現在も
進行中です。
大変関心を持って見守っています。

以前、日本語が通じないのタイトルで
ご紹介したまるおさんが
熊本PTA裁判で意見書を寄せられたと
聞いています。
今回はこの内容を一部抜粋し
ご紹介したいと思います。


なぜPTA問題は起きているのか。
私は、PTAへの加入のあり方に
最大の問題があると考えている。
ごく一部の例外を除き、全国的に
小学校や中学校の保護者には、
PTAに加入しないという選択肢が
実質としては与えられていない。
これは冷静に考えてみれば、異常な
ことではないだろうか。
言うまでもなくPTAは入会の義務の
ない任意団体なので(注4)、
保護者側が明確な意思表示を行えば
入らないことも理屈の上では可能
なのだが、保護者側から特別な
アクションを取らない限り、PTAは
保護者を勝手に会員として扱い、会費を
請求し、そして仕事を割り当てるのである。
しかも、このPTAの行為には学校が
深く関与しているので(注5)、
保護者にとってその体制にあえて
逆らうことは非常に難しい。
PTAの加入率が限りなく
100パーセントに近い現状が
そのことを示している。
~以下略~


まだ本文は続きます。原文のまま
ご紹介の為注の説明はリンクを
貼っていますのでご確認下さい。

私の拙いブログでもPTAの抱える
問題を書いてきました。
まるおさんの意見書は簡潔に、
しかも、分かりやすく書かれて
います。
PTA問題を整理して考えるのに
最適な素晴らしい意見書と思います。

話し合い9のコメントが最近賑わって
います。いろんな立場の方からの
ご意見があります。
そこと合わせて読んで下さると
より問題がはっきり見えてくると
思います。

今回はここまで。
又次回。


ボランティア2

2015-08-22 10:24:05 | ボランティア
KKです。
前回はボランティアの基本的な考えを
書きました。
今回は私とボランティアの関わりに
ついてです。

私は高校生の時に今住んでいる県にある
日本赤十字社の献血ルームで
ボランティアを週1回していた。
高校には確かクラブがあったがそこに
属さず、個人的に半年位お世話に
なった。

進学をする際ボランティア活動を
しておいた方がよいのではないか
と思った。
福祉系の学校を進路にしていた
からだ。

高校生だった私に出来た事は
少なかった。
献血をする人に用紙を配ったり、
献血を終えた人に希望する飲み物を
聞き、運んだり、おかしの補充をした。

献血のお願いのプラカードを持ち、
呼びかけながら商店街を歩いたり
などもした。

一応自分の意思で始めた事だから
ボランティアではあったと思う。
だがあまりお役に立てなかったと
感じる。

次に進学した学校にあったボランティア
サークルに所属した。
そこは学校にある正式なサークルでは
なかった。

ある宗教系の団体が母体のNGOで
(学生)ボランティアとスタッフの
協働により運営をする所だ。
そこが学生ボランティアを募っていた。

私は県外に進学した為寮生活だった。
寮の先輩が所属しており、子どもと
一緒に夏はキャンプ、冬はスキーに
行けると勧誘され楽しそうだと思い
入会した。

その当時住んでいたのが県庁所在地の
市から電車で1時間位離れた市だった。
1時間かけて県庁所在地にある
その会の事務所に行き説明を受けた。

そこには専従のスタッフが3人いた。
主に活動を管理している
ディレクターは1人。
他の2人は事務担当であり活動自体は
あまり一緒にしなかった。

そのディレクターからまず初めに
ボランティアとは何か?を問われた。
本来の意味は当然知らなかったので
教えられた。

ボランティア1にある志願兵が語源で
あり、自発的に積極的に参加する事で
ある。
自分が所属している会を最後まで
支える事だ。
リーダーシップを取る人について
行く事ではないと聞かされた。

毎月会員の子どもたちで希望する子を
野外活動に連れて行った。
また2泊3日や3泊4日で夏は
キャンプ、冬は4泊5日位でスキーに
行ったり日帰りでスケートもした。

学生ボランティアは交通費を支給
されるのみ。
キャンプ等で発生する私たちの
費用は会が負担した。

自然を舞台に遊びを通し子どもたちの
集団における学びのキャンプだった。
学生ボランティアとスタッフは
子どもたちがいろんな体験をしたり
人間関係を作る事により、
軋轢や醍醐味を体験し気づきを助ける
のが役割だ。

キャンプは疑似(社会)体験だ。
帰宅し親に話したり自分がキャンプの
様子を振り返る。人間関係を考える事で
成長する。


上から子どもを引き上げるのではなく、
下から子どもを支えるのが役割だった。

子どもの良い所を探し、たくさん褒める
ように言われていた。

下は年長から高校生までがキャンプの
対象だ。
小さな子どもでは生活のサポートが
特に大事だ。
夜になると親を思い出す子もいた。

子どもたちは親元を離れ6~7人位の
年の近い子どもとかつての私のような
若い学生のボランティアと寝食を共にする。

夏はテントをグループ毎に張って過ごす。
スキーキャンプは旅館にグループ毎に
宿泊した。親離れの一歩だ。

夜子どもが寝た後、記録の整理が
あり大変だった。
記録を書く事で子どもにどう関わった
のかが分かる。
記録を書けないのは子どもを見ていない
からだ。
手がかからず自分が声かけをしていない
のかも知れない。
自分の抜けている点を認識する為でもある。

キャンプの終わりには、キャンプ修了証
を子どもたち一人一人に渡す。
その修了証を書く時にその記録が
役立つのだ。

修了証を渡す時は寂しさも感じた。
ずっと何日も過ごした子どもたちとの別れだ。
次のキャンプで会える子どももいるし、
会えない子どももいる。

楽しく過ごせなかったり二度と行きたく
ないと思った子どももいたかもしれない。
それでも何か心に残って大きくなって
思い出してくれるといいな、
という気持ちは今でもあります。


なかなか奥が深くきちんと出来ていたの
か自信がない。
子どもが唯一頼れる存在が学生の
ボランティアだ。
話を聞くのが大事だ。

危ない事をする時は全力で注意し阻止する。
分からない事は教えるがそれ以外は
基本見守る。
見守ると言うのが実は一番難しい。

子育てをする時もそうだが、
つい手や口を出し子どもの自主性を
奪う事をやりがちである。


年に何回か研修があった。
キャンプをする上で必要になる
野外で遊ぶ為の知識や技術を
実際に体験し勉強をした。

カヌーやアーチェリーや
スキーなど初体験もあった。
カレーや飯盒炊飯をする際の
火を起こす方法や救急法も
あった。
子どもの命を預かっている
以上必要な事はしっかり
研修を受けた。

キャンプ前には危険予測やミーティ
ングを持ち入念に準備をした。

初めて行く場所の場合は下見も行った。
目印になる場所や時間を記録し、
子どもから後どれ位で目的地に着くのか
や次のトイレ休憩までどれ位かかるなど
聞かれた際は答えられるようにする為だ。
子どもが感じる不安を取り除いたり
信頼関係を築く事は大事だ。

ただ当日思いがけないトラブルや
アクシデントは当然ある。
そのダメージをいかに最小限にするかが
大事だ。

いつも予見を言われていた。

⒈ベスト ⒉中間 ⒊最悪

3パターンの予見だ。
最悪の状況を考え備えていればそれが
無用でも文句は言われない。
1つでもトラブルの可能性が
あるなら準備する考えだ。

晴れでも雨支度。夏でも冬支度と
よく言われた。
山を登る人の基本らしい。

今でもその習慣が抜けず、私は人より
荷物が多いとよく言われる。
身についているのか。
いや染みついているのだ。

事故が起きた場合の自分の動揺を抑える
方法、パニックコントロールも
教えられた。
不測の事態も考え準備をした上で
楽しむ。これが難しかった。


幸い預かった子どもがケガをするような
事はなく活動を終えた。

しかしいろんな失敗もあった。
今振り返っても未熟だった。
最初のキャンプでは私自身も18才の
子どもだった。

でもキャンプに来ている子どもから
すると学校の先生ではない、少し年の
離れたお兄さんやお姉さんだった
と思う。
頼りない存在だったと思うが
それでも子どもと一緒に
過ごすのは楽しかった。

海水浴や白玉団子を作ったり虫取りや
魚釣りをした。
魚釣りのえさはゴカイだ。

18才までゴカイなど触った事はなく
最初は衝撃的だった。
ニョロニョロする海辺にいる水生動物だ。

しかし訓練し場数を踏めば、ゴカイを
素手で触り、針に刺す事も難なく
出来るようになった。
ワイルドになったはずだ。

夜はキャンプファイアーをし歌ったり
ゲームをした。
子どもと一緒に泣いたり笑ったりと
いろんなことがあった。

キャンプを終えた後の子どもの成長を
感じる親御さんが多かったように感じた。
キャンプに行く度に私も少しずつ
成長させて貰ったと今でも感じる。

もう二度と会う事がない、かつての
子ども達や親御さんには感謝の気持ちで
いっぱいだ。
当時の事は今でも忘れてはいない。
大事な思い出として心に焼きついている。

ボランティアは人に施すのが目的ではない。
ボランティアをした人もいろんなものを
貰っているのだ。

もし自分がボランティアをして何も得る
ものがないのなら、ボランティアを
していなかったのではないかと私は思う。

ある程度予想しているものもあれば
思いがけず得るものもある。
その時に一緒にいた人、場所、状況など
条件によりきっと変わる。

同じ場所で同じキャンプをしても
その時々により参加する子ども、
学生ボランティア、スタッフの顔ぶれが
違う。
キャンプに行く度に毎回違うものを
得ていた。
これは絶対自信を持って断言出来る事だ。

私は18才の頃からボランティアを
知っていたし実際に体験している。

そんな私からするとPTAが
ボランティアとは到底思えないのだ。

私の意思は何も聞かれていない。
自発的に参加してもいない。
自分の考えは反映されていない。

そもそも自分の意思で入会などしていない。
こんなおかしな事はないだろうと
今でも思っている。

今回はここまで。
まだまだボランティアについて
考えます。



ボランティア1

2015-08-21 11:24:44 | ボランティア
KKです。
話し合いは長かったですね。
何とか前回で終了して一安心です。

さて、今回はボランティア
について考えます。

PTAは学校とは別組織。
任意のボンティア団体と
言われています。

ボンティアの意味を
こ存じでしょうか?

以前ブログのコメントに
ボランティアについて
ご意見がありました。

そこに私の意見を書きましたが
もう少し詳しく考えてみようと
思います。


ボランティアはウィキペディア
より以下の通りです。

志願兵であり(反語がdraft―徴集兵)、
歴史的には騎士団や十字軍などの
宗教的意味を持つ団体にまで遡る
ことができる。
十字軍の際には「神の意思
(voluntas)に従うひと」を意味した。


ボランティアの特徴、
ボランティア活動の原則として
挙げられる要素は一般的に、
自発性、無償性、
利他性、先駆性の4つである。
1980年代以降、無償性の原則に
関して「無償」の範囲をより
柔軟に考えることによって
実費の弁済や一定の
謝礼を受ける「有償」ボランティアが
出現し、受け入れられてきているのが
現状である。


日本におけるボランティアの概況、
日本独自の意味合いとして、
動員・勧誘・強制を受けての活動への
参加は本人の純粋な自由意志に
基づかないのでボランティアとは
言えないが、日本では奉仕活動の
同義語として、事実上無償労働に
強制的に参加させる、
参加するのが当然という意味で
ボランティアという語が曲解され
用いる場合もある。


~以上 略~

志願兵というのがミソです。
自分の意思で言い出さないと
志願兵にはならないと思います。

日本では無償(無料)奉仕の意味で
理解している方の方が多いかも
しれません。

自分の意思や自由な意志があって、
無償で奉仕するならよいのですが
自分の意思がなく無償奉仕する、
無償奉仕を他人から強制される
のならボランティアではないと
私は考えます。

ボランティアは無償だけでなく
有償の物もあります。
有償であっても目的はお金ではなく
自分が持っている能力を役立てたいと
思いボランティアもする方もいます。

青年海外協力隊や
シニア海外ボランティア(JICA)や
国境なき医師団などが有名ですね。

それ以外でも宗教法人が母体で作られた
NGOやNPOもたくさんあります。
調べるといろんな有償ボランティア
団体があります。

JICAボランティアの
ホームページには、
JICAのボランティアとは?
と下記のようにあります。

JICAボランティア事業は、
日本政府の ODA(政府開発援助)の
一環として、独立行政法人国際協力機構
が実施する事業です。

開発途上国または日系人社会から
の要請に基づき、それ見合った技術・
知識・経験を持ち、
「現地の人々のために活かしたい」と
望む方を募集し、選考、訓練を経て
派遣します。

現地の人々と共に生活し、働き、
彼らと同じ言葉で話し、相互理解を
図りながら、彼らの自助努力を
促進するように活動することを
特色とした草の根レベルの
ボランティアです。



有償であろうと無償であろうと
一番大事な点は
ボランティアをする人が
自分の意思で自発的に
する事です。


またボランティアを必要とする
(支援される)人の
希望に沿った形でその人自身が
問題を克服出来るように
問題の整理や方法論を
教えたり一緒に考える事。
最後は支援される人自身が
自分で決定し行動する。

まだ他にもボランティアが
出来る事があると思います。
決して自分の考えを押し付ける事
ではないのだと思います。

主体や主役は支援される人自身。
ボランティアをする人は
あくまでも後方支援になると思います。
裏から支えて表に出ないのが理想
ではないかと私は思っています。

任意加入によらない、半ば強制加入の
PTAでの活動は、本来のボランティア
とは程遠いと感じます。

もう少しボランティアについて
考えます。
今回はここまで。続きは次回。











話し合い18

2015-08-20 05:32:34 | 話し合い
KKです。
長かった話し合いも今回で
最後になります。
前回の続きからです。

また男性の副PTA会長が、
ただ、それも理事とか
みなさんで議論した上で
どういう形になるのか
私どもも全く分からない。
個人的な意見が全部通るか
というそういうもんでもない。
みんなで議論して形になるとは
思いますと言った。


ここで私が思った事。
議論が好きですね~。
男性の副PTA会長は
議論しか言いません。

個人的な考えではなく、きちんと
根拠のある話をしたつもりですが
伝わっていないようです。

この人は慣例や今のPTAの
運営方法が基本であり
それ以外の考えを示す
私の話は個人的な見解で
片付けているのでしょうね。

とりあえず、会に出ない
事には始まりません。

出て来いと言いつつ、
理事達に伺いを立てないと
とか私が退会するのかどうかで
理事達がざわつくとか言って
ましたね。

会に参加させたいのか
させたくないのか…。
理事会で10月以降会の参加を了承
されないならそれでも私は一向に
構いません。
別の方法を考えるまでです。
話しは戻ります。


女性の副PTA会長が、校長ではなく
こちらの誰かと電話番号なり連絡先を
教えていただけるとありがたい
のですが…と言った。

私は、そうですか。お忙しいですね。
校長もPTA会長も、と言った。

PTA会長が、次回の日程が分かれば
お伝えは出来ますがと言った。

女性の副PTA会長が、一番いいのは
PTA会長と思いますが…と言った。

私は思わず笑ってしまった。友達では
ないのに連絡先を交換するのか。
交換日記のくだりを思い出して
仕方なかった。

女性の副PTA会長たちはPTA会長が
いいという考えのようだ。

私はPTA会長の自宅の番号を聞き、
逆に自分の携帯と自宅の番号を伝えた。

校長が次回の理事会の日時を言った。
だが次回の理事会には私はまだ
参加しない。

男性の副PTA会長が何か言いた
そうだった。

私は、次回の理事会で理事会後の
会に私が参加する事をみなさんが
了承してからですね、
と言った。

了承を貰ってからでないと
まずくないですか、
と男性の副PTA会長が言った。

私は、そうですね。参加するとしたら
10月以降ですね、と言った。

まずい、って本人を前にして
よく言うなぁ~と感じたが
黙っておいた。

PTA会長が、次回の理事会で
こういった話でよいかどうかで
了解を取った上で次々回の
理事会の日時をあなたに
お伝えしましょう、
と言った。

最後に私は、PTAはこういうのが
いいのではないのかという資料を
持ってきたのでご参考までにと置いた。

女性の副PTA会長が、
私の子どもの事を気にかけて
夜出かけることを心配してくれた
ような話があった。

私は、理事の中にも理事会のある夜に、
子どもを誰かに預けられない事情の人が
いるのではないかと思い聞いた。

女性の副PTA会長が、小さい
お子さんがいらっしゃる時は一緒に
連れて来られてるんですよ。

部屋の中ですが一緒にいます。
ご近所や親御さんがいる方は
預けられたりとか中学生位の
お子さんに面倒見て貰ったりとか。
長くて1時間位なんですがと言った。


私は、そうですか、と言った。

子どもの為のPTAだがいろんな
事情で一人で子育てをしている人も
実際にいる。
恐らく本来は役員をするのが難しい
人ではないかと思う。

その子どもが親と一緒に理事会に
来ているのか。
任意加入を徹底すればそういう無理を
する必要がなくなるのではないかと
考えていた。

少し沈黙があって、校長が締めの
挨拶をして話し合いは終わった。

話し合いの前にどんな目に遭うのかと
心配したがお互いの努力もあり
穏便に終わった。

ただ納得の出来ない事はたくさんあり、
次回全執行部と理事達と話す時は
今回の疑問や反論をしっかりしよう
と思った。

来年度に任意加入をするとして
気になる事がある。
2学期末の保護者会
(いわゆるPTA)で
一人一役の各専門部の学年の代表を
一人選出する。
誰もやりたがらないからジャンケンや
くじ引きが多い。

12月中旬位に各学年の代表が集まり、
そこで立候補やジャンケンかくじ引きで
理事を決定するようだ。

この例年の流れからすると遅くても
11月の理事会後の会できちんと
任意加入を決めないと恐らく
間に合わない。

又準備不足だったと言い訳をされては
たまらない。
プールの二の舞になる事を危惧している。
スケジュール管理を出来る人間が
執行部にいるのか大変疑問だ。
心配は尽きない。

反論の前にまだやるべき事が
いろいろある。
教育委員会に行き報告が必要だと
思った。

結局今年も子ども会非会員の児童は
慣例通りプール使用を禁止された
ままだった。
理事会で非会員の児童もプール使用
するとしながらも事務連絡の
準備不足で出来なかったそうだ。
挙句に本当は今年は許可するべきでは
なかったと言われた。
PTA行事のプールなのにそんな考え
らしいですよ。

これはある一人の副PTA会長の
個人的な考えかもしれませんが、
話し合いに参加した
他の執行部3名と校長から
反対意見はありませんでした。

話し合いの時私は絶望的な
気持ちだった。
10月に全執行部と全理事達と
話す機会を持てそうだがどういう風に
話すのがよいのか、
と相談に行こうと思う。

また情報公開室にその後の
様子を聞きに行く必要もある。

話し合いの時に出た内容で私が拾い
きれてなかった事で今疑問に
感じている点を情報公開室で
確認しようと思う。

相変わらず市役所通いは続く気がします。
いい加減駐車場の守衛さんに顔を
覚えられそうですが…。

ここ3ケ月は休みなく走り続けてきました。
10月まで一息つけます。
英気を養いつつ準備に励みます。

今回はここまで。