KKです。
前回は熊本PTA裁判の意見書に
ついてでした。
私のブログをご覧になって
いる方のPTAでの
立ち位置は同じではないと
思っています。
PTAに対して批判的な方、
PTAと今対峙されている方、
PTAとこれから対峙しよう
としている方、
何かおかしいな、と思っている方、
PTA関係者で執行部など
実務をされており特に問題を
感じない方、
実務をされているが問題を感じ、
内側から変えようとしている方、
一般のPTA会員の方、
PTA問題の何が問題なのか
全く理解できない方、
既に退会された方、
以前PTAに関わったが子どもさんの
年齢で卒業した方など
いろいろあると思います。
立場は様々ですがPTAのあるべき姿は
普遍だと私は思っています。
まるおさんの意見書を読むと
今まで私が校長やPTA会長や教育委員
会とやり取りをした事、ある種の闘いを
思い出し感慨深いものがありました。
何度話しても伝えても理解してもらえ
なかった点がきちんと整理され論点が
述べられていました。
私が話しても伝わっていない点、
これは私の力不足であり克服するべき
課題でもあります。
足りない部分を埋める為に
今後も調べたり確認するつもりです。
10月以降、理事会後の会において、
噛み砕いて説明をし、繰り返し伝える
しかない。
よい勉強をさせていただいたと思って
います。
まるおさん、本当にありがとうござい
ます。
たくさんのパワーをいただきました。
まだ考え中のボランティアの続きは
じっくり考えます。結論は何となく
出ているのですが過程が不十分です。
さて、私の学生時代のボランティア
体験をもう少し続けます。
私が所属していたボランティアの会の
ディレクターからいろんな話を聞いた。
ボランティアにおいて役割分担が
明確になればなるほどギスギス
した関係(の団体)になる。
効率で物事を見ればその人の心の
動きを踏みにじんでいる。
効率は人の心の渇きにつながる、
と言われた。
ボランティアというのは自分の意思の
上で行う活動。
自分の意思に関わらず、あらかじめ
決められた内容をただ消化するだけ
であれば得る事はなくただ活動を
しただけになる。
支援をして欲しい人がいて、支援
したい人がいる。
支援を必要とする人に合わせた活動が
求められている。
求める物は一人一人異なっている
かもしれない。
またある一定の年齢などで共通の物が
求められているかもしれない。
何らかのニーズがあり叶えたいと思う
人がいる。
それを支援して欲しい人自身で
叶えられるように下から支えるのが
ボランティアだと思う。
活動はニーズを叶える為の手段で
あって目的ではない。
手段が目的にすり替えられる事により
そもそもの目的が見えなくなってしまう。
ただ機械的に何かの行事をこなすだけで
その目的や趣旨が活動をする人に見え
なくなったり伝わらなくなる。
すると元々の目的からズレたり
おかしな話に変わっていくのではないか。
役割が決められる事により自分に割り
振られた内容しか興味を持たず考えない
ようになる。
効率を優先させたり重視すると
そもそもの目的がかき消されてしまう。
何かイレギュラーな事が起きたら
柔軟に対処せず前例がないので、とか、
慣例では、というような
常套句の台詞が出て来る。
問題を深く考えようとしないのでは
ないか?
誰の為の活動なのか、自分に何が出来る
のか、どう関係出来るか、
という問いかけがボランティアには
常に必要ではないのかと思います。
又評価はボランティアをする人では
なく、ボランティアを受けた人が
する事だ。
独りよがりなボランティアは迷惑な
だけだ。
その理解がないと、せっかくして
あげたのに、とか、してやった、
などのとんでもない言葉になる。
ボランティア2で触れた、
ボランティアをした人が得たものを
紹介したブログがあります。
私が散々こだわってきた夏休みプール
問題の対応を振り返ってみます。
プール問題で考えると、
すべての児童の為の夏休みのプール。
子ども会会員やPTA会員として
子どもが楽しく安全にプールを使用
するには何が必要かと考える。
会員によるボランティア制の
監視当番が出てくるかもしれない。
仕事や家庭の事情もありどこまで
関われるか。
協力出来る保護者が少なければ
PTA活動でなくなるかもしれない。
学校によっては夏休みのプールは
学校行事で先生が監視をしている
例もある。
また夏休みはプールを解放していない
小学校もあると友人から聞いた事がある。
息子の小学校から比較的近くだった。
どれがよいのか決めかねるが、
前例にとらわれず柔軟に考えてみるのが
よいと思う。
難しく考えなくても答えは案外簡単な
事でありシンプルな気がします。
しかしそこがどうも伝わりません。
今回はここまで。
前回は熊本PTA裁判の意見書に
ついてでした。
私のブログをご覧になって
いる方のPTAでの
立ち位置は同じではないと
思っています。
PTAに対して批判的な方、
PTAと今対峙されている方、
PTAとこれから対峙しよう
としている方、
何かおかしいな、と思っている方、
PTA関係者で執行部など
実務をされており特に問題を
感じない方、
実務をされているが問題を感じ、
内側から変えようとしている方、
一般のPTA会員の方、
PTA問題の何が問題なのか
全く理解できない方、
既に退会された方、
以前PTAに関わったが子どもさんの
年齢で卒業した方など
いろいろあると思います。
立場は様々ですがPTAのあるべき姿は
普遍だと私は思っています。
まるおさんの意見書を読むと
今まで私が校長やPTA会長や教育委員
会とやり取りをした事、ある種の闘いを
思い出し感慨深いものがありました。
何度話しても伝えても理解してもらえ
なかった点がきちんと整理され論点が
述べられていました。
私が話しても伝わっていない点、
これは私の力不足であり克服するべき
課題でもあります。
足りない部分を埋める為に
今後も調べたり確認するつもりです。
10月以降、理事会後の会において、
噛み砕いて説明をし、繰り返し伝える
しかない。
よい勉強をさせていただいたと思って
います。
まるおさん、本当にありがとうござい
ます。
たくさんのパワーをいただきました。
まだ考え中のボランティアの続きは
じっくり考えます。結論は何となく
出ているのですが過程が不十分です。
さて、私の学生時代のボランティア
体験をもう少し続けます。
私が所属していたボランティアの会の
ディレクターからいろんな話を聞いた。
ボランティアにおいて役割分担が
明確になればなるほどギスギス
した関係(の団体)になる。
効率で物事を見ればその人の心の
動きを踏みにじんでいる。
効率は人の心の渇きにつながる、
と言われた。
ボランティアというのは自分の意思の
上で行う活動。
自分の意思に関わらず、あらかじめ
決められた内容をただ消化するだけ
であれば得る事はなくただ活動を
しただけになる。
支援をして欲しい人がいて、支援
したい人がいる。
支援を必要とする人に合わせた活動が
求められている。
求める物は一人一人異なっている
かもしれない。
またある一定の年齢などで共通の物が
求められているかもしれない。
何らかのニーズがあり叶えたいと思う
人がいる。
それを支援して欲しい人自身で
叶えられるように下から支えるのが
ボランティアだと思う。
活動はニーズを叶える為の手段で
あって目的ではない。
手段が目的にすり替えられる事により
そもそもの目的が見えなくなってしまう。
ただ機械的に何かの行事をこなすだけで
その目的や趣旨が活動をする人に見え
なくなったり伝わらなくなる。
すると元々の目的からズレたり
おかしな話に変わっていくのではないか。
役割が決められる事により自分に割り
振られた内容しか興味を持たず考えない
ようになる。
効率を優先させたり重視すると
そもそもの目的がかき消されてしまう。
何かイレギュラーな事が起きたら
柔軟に対処せず前例がないので、とか、
慣例では、というような
常套句の台詞が出て来る。
問題を深く考えようとしないのでは
ないか?
誰の為の活動なのか、自分に何が出来る
のか、どう関係出来るか、
という問いかけがボランティアには
常に必要ではないのかと思います。
又評価はボランティアをする人では
なく、ボランティアを受けた人が
する事だ。
独りよがりなボランティアは迷惑な
だけだ。
その理解がないと、せっかくして
あげたのに、とか、してやった、
などのとんでもない言葉になる。
ボランティア2で触れた、
ボランティアをした人が得たものを
紹介したブログがあります。
私が散々こだわってきた夏休みプール
問題の対応を振り返ってみます。
プール問題で考えると、
すべての児童の為の夏休みのプール。
子ども会会員やPTA会員として
子どもが楽しく安全にプールを使用
するには何が必要かと考える。
会員によるボランティア制の
監視当番が出てくるかもしれない。
仕事や家庭の事情もありどこまで
関われるか。
協力出来る保護者が少なければ
PTA活動でなくなるかもしれない。
学校によっては夏休みのプールは
学校行事で先生が監視をしている
例もある。
また夏休みはプールを解放していない
小学校もあると友人から聞いた事がある。
息子の小学校から比較的近くだった。
どれがよいのか決めかねるが、
前例にとらわれず柔軟に考えてみるのが
よいと思う。
難しく考えなくても答えは案外簡単な
事でありシンプルな気がします。
しかしそこがどうも伝わりません。
今回はここまで。