パラパラ漫画「母のサポーター」を見る
鉄拳のパラパラは4分ほどのものだが
ジワッと涙腺をくすぐるのだ
昔、母物映画というのがあって
映画館でみんな涙を流したものだ
母としての生き方や思いというものは
時代が変わっても 変わらないものなのだろう
90歳の 私の母の人生を想った
私が生まれる前、男の子を赤ん坊の時に亡くしている
私を生んだのは24歳だから 母が22,3歳でのことだろう
「勇一」という名前だったという
「名前負けしたんだ」と いつか母はポツリと言った
年子の弟を産んですぐ 母は結核を患った
私と弟は父方の祖父母に引き取られ 母は離れて療養生活を送った
私が小学校に上がる時 親子4人で暮らせるようになった
父が母のためにまず買った物は 電気洗濯機だった
安サラリーマンの家庭に 洗濯機がでんとしてたのを覚えている
洗濯物を絞るとせんべいのようになるあの絞り機のついたものである
子供のころ母に「何の病気だったの」と聞いたら
「結核」と言い「よその人に言ったらダメだよ、いやがるから」と言った
その後 大病を患うこともなく暮らすことができた
80歳を過ぎて 肩が痛くて診察をうけ
手術をするかどうかということになった
気がすすまない母に対して 手術をした方がいいと言っていた父
全身麻酔のための検査をするうち 母の胸のX写真を見た
片方の肺が真っ白だった
父は絶句し それ以降 手術の話はしなくなった
母の背負って生きてきたものを見せられたような気がした
そして母は肩痛と付き合って暮らしている
肩を上げることができず
手仕事が好きで 器用でいつも手を動かしていたけど
今はベッドで横になっていることが多い
母は90歳
どこにでもいる その辺の人です
みんな それぞれに 人生いろいろ あるのですね
母の人生を思ったら 私も少しは優しくなれるかしらねえ・・・
鉄拳のパラパラは4分ほどのものだが
ジワッと涙腺をくすぐるのだ
昔、母物映画というのがあって
映画館でみんな涙を流したものだ
母としての生き方や思いというものは
時代が変わっても 変わらないものなのだろう
90歳の 私の母の人生を想った
私が生まれる前、男の子を赤ん坊の時に亡くしている
私を生んだのは24歳だから 母が22,3歳でのことだろう
「勇一」という名前だったという
「名前負けしたんだ」と いつか母はポツリと言った
年子の弟を産んですぐ 母は結核を患った
私と弟は父方の祖父母に引き取られ 母は離れて療養生活を送った
私が小学校に上がる時 親子4人で暮らせるようになった
父が母のためにまず買った物は 電気洗濯機だった
安サラリーマンの家庭に 洗濯機がでんとしてたのを覚えている
洗濯物を絞るとせんべいのようになるあの絞り機のついたものである
子供のころ母に「何の病気だったの」と聞いたら
「結核」と言い「よその人に言ったらダメだよ、いやがるから」と言った
その後 大病を患うこともなく暮らすことができた
80歳を過ぎて 肩が痛くて診察をうけ
手術をするかどうかということになった
気がすすまない母に対して 手術をした方がいいと言っていた父
全身麻酔のための検査をするうち 母の胸のX写真を見た
片方の肺が真っ白だった
父は絶句し それ以降 手術の話はしなくなった
母の背負って生きてきたものを見せられたような気がした
そして母は肩痛と付き合って暮らしている
肩を上げることができず
手仕事が好きで 器用でいつも手を動かしていたけど
今はベッドで横になっていることが多い
母は90歳
どこにでもいる その辺の人です
みんな それぞれに 人生いろいろ あるのですね
母の人生を思ったら 私も少しは優しくなれるかしらねえ・・・