小天気様、 リクエストありがとうございます。
天保七年七月十八日(西暦1836年8月29日)の天気をお知らせいたします。
季節と言い天気といい、当日は台風が東日本を襲っていたことに間違いありません。
台風は中心に近い程、風は強いと申します。そこで、強風による記事を前後5日の間に上げてみますと、
七月十五日、鹿児島県、鹿児島市で終日風雨、風雨強く傘など差せるような天気ではない。同じく鹿児島県肝属町で大風。
七月十六日鹿児島市で、終日風雨。佐賀県多久市で夜来風烈。福岡県小倉市で曇、風烈
七月十七日、大阪では、東風吹少ハ稲へ障るべし。江戸では、東風頗る大なり。終夜風雨、風波中に臥すがごとし。
七月十八日は、北海道の厚岸では、夜ニ入る存外之風雨、宮城県涌谷では、朝くもり、、八ッ頃より大雨辰巳大風にて大嵐相成候晩方は弥々大嵐にて近年覚無之惣草木ねかり風折れ多く有之候夜中四ッ時より大風やみ。江戸では、早起きすれば、風はますます甚だしく、東北よりし,或は東南、或は正東よりす。山谷はほうこうし,,木は折れ且つ抜く。巳午の間に最も猛。哺はじめて止む、、、哺後、西南風なお披払す、、、戸塚以西もまた風なし。また江戸の他の日記によると、朝より大風雨、雉子町火の見吹き落す。今日大風雨、所々家を倒し怪我人等有之由。朝寄とう南之風吹雨降止事無し、前堀並川筋不残重満いたし往還江押出し。
などとなっています。
これらの日記を総合して見ますと七月十五、十六日は九州地方で台風の影響はあったものの、それ程の被害は無かった様子で、おそらく台風はその後進路を大きく東に変え(別な台風の可能性もある)、十七日の夜、伊豆の新島付近を通過、次第に速度を上げて、東京都の西より上陸し、家屋や樹木、稲などに被害をあたえながら、東北地方をやや太平洋によりながら縦断し、太平洋に抜けていったと考えられます。(各地の風の向きや被害から推定)
台風の姿を現代風に想像してみますと、
おおまかに推測して、台風の中心が江戸付近を通過したのが、午前十一時頃、宮城県涌谷付近を通過したのが、午後六時頃としますと、両地点の距離約350キロメートルを約7時間かけて通過したとしますと、台風は約50キロメートル毎時のスピードで北北東に進んだと考えられます。
台風の強さは、木を引き抜き、家々を倒しと言う記述から、現在の風力10(全強風)程度で台風の大きさは、涌谷町の史料によりますと、強風が午後二時頃から翌日の午前二時頃まで続いた様子ですので、50キロ×12時間となりで600キロ、涌谷通過時には半径300キロ以上になります。
当日の全国の天気は、鹿児島で晴、小倉で曇、鳥取で晴、宮津は晴、大阪で晴、曇り、村雨、金沢で雨天、氷見で曇りのち雨午後四時頃風つよし、甲府は晴、関東、東北、北海道は太平洋側を中心に台風のため大荒れとなっております。
想像ですが、天保7年は4年と並ぶ冷害の年で、太平洋高気圧の張り出しが弱く通常の年より台風が東側を通過したのかも知れません。
簡単ですみませんが、これが私の予想した天保七年七月十八日の天気概況です。
お気付きの点が有りましたら御指摘頂ければ幸甚です。
天保七年七月十八日(西暦1836年8月29日)の天気をお知らせいたします。
季節と言い天気といい、当日は台風が東日本を襲っていたことに間違いありません。
台風は中心に近い程、風は強いと申します。そこで、強風による記事を前後5日の間に上げてみますと、
七月十五日、鹿児島県、鹿児島市で終日風雨、風雨強く傘など差せるような天気ではない。同じく鹿児島県肝属町で大風。
七月十六日鹿児島市で、終日風雨。佐賀県多久市で夜来風烈。福岡県小倉市で曇、風烈
七月十七日、大阪では、東風吹少ハ稲へ障るべし。江戸では、東風頗る大なり。終夜風雨、風波中に臥すがごとし。
七月十八日は、北海道の厚岸では、夜ニ入る存外之風雨、宮城県涌谷では、朝くもり、、八ッ頃より大雨辰巳大風にて大嵐相成候晩方は弥々大嵐にて近年覚無之惣草木ねかり風折れ多く有之候夜中四ッ時より大風やみ。江戸では、早起きすれば、風はますます甚だしく、東北よりし,或は東南、或は正東よりす。山谷はほうこうし,,木は折れ且つ抜く。巳午の間に最も猛。哺はじめて止む、、、哺後、西南風なお披払す、、、戸塚以西もまた風なし。また江戸の他の日記によると、朝より大風雨、雉子町火の見吹き落す。今日大風雨、所々家を倒し怪我人等有之由。朝寄とう南之風吹雨降止事無し、前堀並川筋不残重満いたし往還江押出し。
などとなっています。
これらの日記を総合して見ますと七月十五、十六日は九州地方で台風の影響はあったものの、それ程の被害は無かった様子で、おそらく台風はその後進路を大きく東に変え(別な台風の可能性もある)、十七日の夜、伊豆の新島付近を通過、次第に速度を上げて、東京都の西より上陸し、家屋や樹木、稲などに被害をあたえながら、東北地方をやや太平洋によりながら縦断し、太平洋に抜けていったと考えられます。(各地の風の向きや被害から推定)
台風の姿を現代風に想像してみますと、
おおまかに推測して、台風の中心が江戸付近を通過したのが、午前十一時頃、宮城県涌谷付近を通過したのが、午後六時頃としますと、両地点の距離約350キロメートルを約7時間かけて通過したとしますと、台風は約50キロメートル毎時のスピードで北北東に進んだと考えられます。
台風の強さは、木を引き抜き、家々を倒しと言う記述から、現在の風力10(全強風)程度で台風の大きさは、涌谷町の史料によりますと、強風が午後二時頃から翌日の午前二時頃まで続いた様子ですので、50キロ×12時間となりで600キロ、涌谷通過時には半径300キロ以上になります。
当日の全国の天気は、鹿児島で晴、小倉で曇、鳥取で晴、宮津は晴、大阪で晴、曇り、村雨、金沢で雨天、氷見で曇りのち雨午後四時頃風つよし、甲府は晴、関東、東北、北海道は太平洋側を中心に台風のため大荒れとなっております。
想像ですが、天保7年は4年と並ぶ冷害の年で、太平洋高気圧の張り出しが弱く通常の年より台風が東側を通過したのかも知れません。
簡単ですみませんが、これが私の予想した天保七年七月十八日の天気概況です。
お気付きの点が有りましたら御指摘頂ければ幸甚です。
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