盆栽の桜が満開になりました。
先日、知人が入手した「道中大寶恵」を読んでくれと依頼されました。
いつ、どこで、誰が書いたものか全く分からないと言うことでした。
このままでは、せっかくの古文書も利用できそうにありません。
また、手にとって色々推理するのは、結構面白そうです。
まず表紙には、「道中大寶恵」(どうちゅうおぼえ)とかいてあります。
裏表紙には「弓矢法印」とあります。「弓矢法印」とはペンネームでしょうか。
年代や書いた人の名前など全く分かりません。
一枚目をめくりますと、冒頭に「閏三月六日出立」とあります。
閏月があるのは、旧暦ですから明治五年より古い日記である事がわかります。
内務省地理局編纂の「三正綜覧」によりますと、
閏三月がありますのは、万延元年、天保元年、安永二年などです。
古文書の量も、道中記も幕末に近づくにつれて多くなって来ますので万延元年が最有力です。
日記には天気の記述がありましたので、書き抜いてみます。
また道中覚の右側に、他の日記から、万延元年の近くの天気を書き出してみますと、
十日 八ツより雨 (京都知恩院) 昼後雨【小森氏日記】【京都】
十一日 雨 (京都知恩院) 雨【小森氏日記】
十二日 雨 (祇園、東本願寺) 雨後止【小森氏日記】
廿九日 大雨 (高砂) 雨降、、大雨【高関堂日記】【揖保川】
四月朔日 天気 (兵庫八幡) 小雨降、曇夕方晴【高関堂日記】【揖保川】
七日 雨 (大阪) 天、、後雨【小森氏日記】【京都】
八日 雨 (大阪) 雨【小森氏日記】
九日 雨、折節川水多し(大阪) 雨【小森氏日記】
十日 天気成 (大阪) 天【小森氏日記】
ほとんど同じ天気記事であることが分かります。
としますと、この「道中大寶恵」は、万延元年の桜田門外の変の翌月の閏三月から書かれたものであることが分かりました。
また筆者はよく駕籠に乗っており、この記事から
久米、亀屋―久保田―関―坂下―土山―、、、京都、、―久米、亀屋 となっていますので、
おそらく、弓矢法印は桑名市久米から四日市久保田、と通って行った様子なので、(土地勘がないため自信はありません)桑名市付近の人だとおもわれます。
従いまして「道中大寶恵」は、万延元年に桑名の人 弓矢法印によって書かれた道中記であったろうと思われます。
裏表紙を閉じて、このような流浪の古文書が多いことに思いを馳せました。
この道中記も流浪を終えて桑名市博物館にでも入れば、もっと輝いてくるのかも知れません。
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先日、知人が入手した「道中大寶恵」を読んでくれと依頼されました。
いつ、どこで、誰が書いたものか全く分からないと言うことでした。
このままでは、せっかくの古文書も利用できそうにありません。
また、手にとって色々推理するのは、結構面白そうです。
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まず表紙には、「道中大寶恵」(どうちゅうおぼえ)とかいてあります。
裏表紙には「弓矢法印」とあります。「弓矢法印」とはペンネームでしょうか。
年代や書いた人の名前など全く分かりません。
一枚目をめくりますと、冒頭に「閏三月六日出立」とあります。
閏月があるのは、旧暦ですから明治五年より古い日記である事がわかります。
内務省地理局編纂の「三正綜覧」によりますと、
閏三月がありますのは、万延元年、天保元年、安永二年などです。
古文書の量も、道中記も幕末に近づくにつれて多くなって来ますので万延元年が最有力です。
日記には天気の記述がありましたので、書き抜いてみます。
また道中覚の右側に、他の日記から、万延元年の近くの天気を書き出してみますと、
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十日 八ツより雨 (京都知恩院) 昼後雨【小森氏日記】【京都】
十一日 雨 (京都知恩院) 雨【小森氏日記】
十二日 雨 (祇園、東本願寺) 雨後止【小森氏日記】
廿九日 大雨 (高砂) 雨降、、大雨【高関堂日記】【揖保川】
四月朔日 天気 (兵庫八幡) 小雨降、曇夕方晴【高関堂日記】【揖保川】
七日 雨 (大阪) 天、、後雨【小森氏日記】【京都】
八日 雨 (大阪) 雨【小森氏日記】
九日 雨、折節川水多し(大阪) 雨【小森氏日記】
十日 天気成 (大阪) 天【小森氏日記】
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ほとんど同じ天気記事であることが分かります。
としますと、この「道中大寶恵」は、万延元年の桜田門外の変の翌月の閏三月から書かれたものであることが分かりました。
また筆者はよく駕籠に乗っており、この記事から
久米、亀屋―久保田―関―坂下―土山―、、、京都、、―久米、亀屋 となっていますので、
おそらく、弓矢法印は桑名市久米から四日市久保田、と通って行った様子なので、(土地勘がないため自信はありません)桑名市付近の人だとおもわれます。
従いまして「道中大寶恵」は、万延元年に桑名の人 弓矢法印によって書かれた道中記であったろうと思われます。
裏表紙を閉じて、このような流浪の古文書が多いことに思いを馳せました。
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この道中記も流浪を終えて桑名市博物館にでも入れば、もっと輝いてくるのかも知れません。