只今、【浜浅葉日記】と言う 横須賀の日記の気象デ-タを入力しています。
この日記の特徴は、ほぼ毎日の風向が書かれていることです。
船を利用するためか、風向が記されているのは、多くは浜の日記です。
風向から古気候を復元する企画は、少ないようですがやってみる価値はありそうです。
風向によって夏に太平洋高気圧が優勢か、オホ-ツク高気圧が優勢かがわかるような気がします。
今回はそのような大作ではなく、嘉永七年四月六日(1854年5月2日)京都大火と風向を考えて見たいと思います。
江戸の大火は殆ど、北西の季節風によって引き起こされると言われますが、京都ではどうでしょうか
それでは、京都の大火はどのようなものだったのでしょうか。高木在中日記によりますと
「正九ツ時よりあき御殿より出火、
仙洞様女院様夫より内侍所、台所、紫シン殿夫より段々御所焼失、
天明已後の大火也、八十八や也凡焼失之場所町数弐百五十町余、落蔵四百三十、、」
とあります、正午の内裏から出火して、二百五十町余も焼けたとあります。
それでは、当日の風はどうだったのでしょうか。
快晴、、東風吹【東久世日記】【京都】
晴南風【公私日記】【立川】
晴天風辰巳より吹【高木在中日記】【京都】
朝より快晴無風、昼頃より少々風吹出、追々曇天ニ相成夕方ニ至細雨降来、暮方ハ余程之雨ニて、、夜快晴少々雲在無風【沼津】
南風雨天上リ曇【新島島役所日記】
北気ニ而晴、後ニは大南ニなり【浜浅葉日記】【横須賀】
天気南風【玄蕃日記】【銚子】
天気よし、風【齊藤月岑日記】【江戸】
朝より快晴少々風なりさむし【大高氏記録】【水戸】
朝晴南風、 午正晴東南風、 昏晴西南風、【江戸】
,,と、ここで格好良く
天気図を出す予定でしたが、パソコンを新しくしましたら 出来なくなりました。
少ない、デ-タですが、大火当日、京都では、東~東南の風が吹いていたと考えられます。
京都の東~辰巳方向は、四日市~伊勢松坂あたりでしょうか、こちらから風が吹きますと
風は鈴鹿山脈、紀伊山地越えとなり、フェ-ン現象
に近いものが京都で起こったのかも知れません。
伊勢松坂では曇り、大垣市では晴夕雨降とあります。
伊勢湾からの風が、上昇気流となり、鈴鹿付近の山系で雨を降らせ、高温で乾燥した風が、京都の大火を引き起こした。
との結論を得たいのですが、史料が不足です。
ただ、江戸と違って、京都では東~東南の風が大火を引き起こす可能性がある。
とは言えるのではないでしょうか。
くわばらくわばら
この日記の特徴は、ほぼ毎日の風向が書かれていることです。
船を利用するためか、風向が記されているのは、多くは浜の日記です。
風向から古気候を復元する企画は、少ないようですがやってみる価値はありそうです。
風向によって夏に太平洋高気圧が優勢か、オホ-ツク高気圧が優勢かがわかるような気がします。
今回はそのような大作ではなく、嘉永七年四月六日(1854年5月2日)京都大火と風向を考えて見たいと思います。
江戸の大火は殆ど、北西の季節風によって引き起こされると言われますが、京都ではどうでしょうか
それでは、京都の大火はどのようなものだったのでしょうか。高木在中日記によりますと
「正九ツ時よりあき御殿より出火、
仙洞様女院様夫より内侍所、台所、紫シン殿夫より段々御所焼失、
天明已後の大火也、八十八や也凡焼失之場所町数弐百五十町余、落蔵四百三十、、」
とあります、正午の内裏から出火して、二百五十町余も焼けたとあります。
それでは、当日の風はどうだったのでしょうか。
快晴、、東風吹【東久世日記】【京都】
晴南風【公私日記】【立川】
晴天風辰巳より吹【高木在中日記】【京都】
朝より快晴無風、昼頃より少々風吹出、追々曇天ニ相成夕方ニ至細雨降来、暮方ハ余程之雨ニて、、夜快晴少々雲在無風【沼津】
南風雨天上リ曇【新島島役所日記】
北気ニ而晴、後ニは大南ニなり【浜浅葉日記】【横須賀】
天気南風【玄蕃日記】【銚子】
天気よし、風【齊藤月岑日記】【江戸】
朝より快晴少々風なりさむし【大高氏記録】【水戸】
朝晴南風、 午正晴東南風、 昏晴西南風、【江戸】
,,と、ここで格好良く
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少ない、デ-タですが、大火当日、京都では、東~東南の風が吹いていたと考えられます。
京都の東~辰巳方向は、四日市~伊勢松坂あたりでしょうか、こちらから風が吹きますと
風は鈴鹿山脈、紀伊山地越えとなり、フェ-ン現象
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伊勢松坂では曇り、大垣市では晴夕雨降とあります。
伊勢湾からの風が、上昇気流となり、鈴鹿付近の山系で雨を降らせ、高温で乾燥した風が、京都の大火を引き起こした。
との結論を得たいのですが、史料が不足です。
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ただ、江戸と違って、京都では東~東南の風が大火を引き起こす可能性がある。
とは言えるのではないでしょうか。
くわばらくわばら
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