佐賀藩士 姉川伊貞の戊辰戦争従軍日記を読んで、こんなものなのでしょうかと思ったことがありましたので、紹介致します。
姉川伊貞と鍋島藩兵は、慶応四年八月十一日、鍋島藩船甲子丸とイギリス船に乗り込み、羽州を目指して久原村から出発しました。
八月二十一日新潟県北部の島に粟島に到着しました。
着帆ニ而、水少々相談相成候得共、昨今之戦争ニ而其儀難叶
とありまして、粟嶋で水
を貰うため交渉したところ、戦争中なので断られたとあります。
また、夕方七時頃、山形県飛島に着船水
を貰おうとしたところ、
紋付之籏差上、
大鉋打掛る様子ニ御座候得ハ、早速出帆
紋付之籏を上げ、
大砲を打ちかける様子でしたので、すぐさま出帆したとあります。
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この後、秋田領分の男鹿嶋に着帆して上陸しますが、
右トは違、大悦ニ而秋田より役人罷出
とあります、官軍に属する秋田藩の行為としては、当然と思われますが、この後鍋島勢は、秋田に到着後、今泉付近で南部藩との戦争に突入して行きます。
さて、到着する目的の港もなく、姉川伊貞らは水を求めて漂着
しています。 こんなものなのでしょうか。
ただ、粟嶋でも飛島でも、交渉相手は百姓だったと思われます。
力ずくでも水は奪えたと思われますが、相手の言い分を通して佐賀兵は立ち去っています。
そう言えば、戊辰戦争で民衆(農兵は別として)が殺戮されたと言う記事は見たことがありません。
ただ、福島県の日記に土佐藩兵が通行した後は犬
がいなくなって困ると言う記事がありましたが、、
やはり、江戸時代は兵農が分離された、倫理的な社会であったような気がします。
姉川伊貞と鍋島藩兵は、慶応四年八月十一日、鍋島藩船甲子丸とイギリス船に乗り込み、羽州を目指して久原村から出発しました。
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八月二十一日新潟県北部の島に粟島に到着しました。
着帆ニ而、水少々相談相成候得共、昨今之戦争ニ而其儀難叶
とありまして、粟嶋で水
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また、夕方七時頃、山形県飛島に着船水
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紋付之籏差上、
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紋付之籏を上げ、
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この後、秋田領分の男鹿嶋に着帆して上陸しますが、
右トは違、大悦ニ而秋田より役人罷出
とあります、官軍に属する秋田藩の行為としては、当然と思われますが、この後鍋島勢は、秋田に到着後、今泉付近で南部藩との戦争に突入して行きます。
さて、到着する目的の港もなく、姉川伊貞らは水を求めて漂着
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ただ、粟嶋でも飛島でも、交渉相手は百姓だったと思われます。
力ずくでも水は奪えたと思われますが、相手の言い分を通して佐賀兵は立ち去っています。
そう言えば、戊辰戦争で民衆(農兵は別として)が殺戮されたと言う記事は見たことがありません。
ただ、福島県の日記に土佐藩兵が通行した後は犬
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やはり、江戸時代は兵農が分離された、倫理的な社会であったような気がします。
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