癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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NO492・・・解明できない世界

2016-03-06 | 悟り

          解明できない世界

 

人間の知恵で解明できない世界が神の世界である。今回大分のTさんにミラクルな力が発現した。今行っている行は右手に角の杖を持ち、左手に五鈷杵をもって行う行の為、ジャパマーラーでマントラをカウントすることが出来ない。そこで彼は彼なりに工夫して、頭の中で数字をカウントしていたのであるが、数が多くなるにつれ間違う事が多い。

 

それを見かねたは彼の丹田の前にデジタルのカウント計を出現させたのである。もちろん本物の計器ではなく浮かびあがるのである。マントラを1回唱えると1の数字がくっきりと表れる、50回唱えると50の数字が現れ、絶対間違いのない数字が表示されるのである。そしてマントラを唱え終ると自動的に消える。

 

 

今回行を始める前に、ナターヤFUMIが生き神様の末裔から継承された「開眼法要」の法を授け、空海さんが考案したと思える五鈷杵を使用した為である。この五鈷杵には空海さんの弟子にさえ教えられてない秘密が隠されており、法の仕組みが解明できるものでもある。

 

 

これをどのようにして見つけたか?・・・・これが私に与えられた法力であり、頭の中に秘密が浮き上がって来ることで解明出来たのである。角の中に隠された秘密や黒焼きに隠された秘密も同じ方法で入手したのである。。また、生き神様の縁も同じ方法で縁結び出来たのである。であるから、生き神様の教えで作られた角の杖や五鈷杵は、見かけは同じ物でも中身は次元の違う別物であるのだ

 

 

人間とは、不思議なものであり、これらが現れてくると、苦が苦でなくなるのである。長時間の瞑想が苦痛であった者が、今は発破をかけなくても、寸暇の時間を惜しんで瞑想するのである。これらの法力は、いくら解明しようと思っても解明はできない。それが神の世界の教えだからである。

 

 

解明しようとすればするほどドツボに嵌る。これは頭は良いが理屈が多いと世間から思われている人々が陥りやすい、ドツボなのである。神を知るには脳では無く魂で知るのである。人間の能力で神の能力をはかるような事は時間の無駄である。そのようなものに能力を傾ける時間があれば、マントラの一つでも唱えることである。

 

そのためには、馬鹿になることであろう。霊性修行で成功したいのであれば、人間の知識などは神の能力に比べたら、無に等しい事を心の底から理解することが先決であり、ブッダ(釈尊)のお言葉を疑う事無く、信用することが肝心である。ブッダはこのように言っている。・・・私の6年間の苦行は無駄であった。・・・私にできる全てのことは、私の縁に巡り会える者なら誰にもできるようになる。

 

法と呼ばれる神の世界の真理は、縁のみで継承されるものである。であるから、人間に生まれた者は、何をおいても法の縁を求めなければならないのである。知識を求めるのでは無く、縁を求めなければならないのである。求めない者には、与えることは出来ない。これも真理である。多くの人は、真剣に求めていると言うが、ジーザス(キリスト)の言う「求めよさらば与えられん」とは次元が違うように感じる昨今である。


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