密教伝来の秘密
今回は、日本で密かに受け継がれている密教の教えについて発表出来る範囲で綴ってみます。三蔵法師玄奘は何を求めてインド(現在のブッダガヤ)を目指したのでしょうか?当時のヒマラヤ超えは山賊の巣であり、命がけの旅でありました。一説によるとブッダが書かれた経典という事になっていますが?ブッダの書かれた経典はこの世には存在しません。仏教の経典は、ブッダが死んだ後に弟子によって書かれた物で直筆は存在しないわけです。
その後、盲目の中国の僧である鑑真和尚(がんじん)は小型船に乗って日本を目指しました。当時の船はちょっと大きな時化にあうと難破する危険な行動だったのですが、東の国である日本に仏教を広めなければならない使命で日本に辿り着きました。当然当時の天皇に説得できるだけの法具一式は持参していたわけです。
その後、空海さんが自費で遣唐使の船に乗り中国を目指しました。青龍寺の恵果阿闍梨に会いにいったのですが、その青龍寺の初代館長は南インド人でありました。恵果阿闍梨は三代目になるわけですが、初代は南インドからある物を持って教えを始めたのです。そのある物を、空海さんは日本に持ち帰りました。
今、私たちが勉強している密教は、前期の密教である鑑真和尚の流れを汲む生き神様に継承された密教であり、ある物とヤントラとマントラによって釈尊と繋がる方法であるのです。このある物とヤントラとマントラが前期密教の全てであり、仏教の全てであると言っても良いでしょう。でありますから、三法無くして神仏は語れないと、私は思っているのです。そして目に見ないエネルギーが釈尊や功徳を積んだ死後の聖者等から注がれる意味が始めて理解できるのであります。