◆「まるで朝貢儀式」 タブー破った“新皇帝”
(習政権ウオッチ)(有料会員限定)
http://mxt.nikkei.com/?4_39678_415255_3
永楽帝に倣う“新皇帝”の儀式 編集委員 中沢克二
- (1/2ページ)
- 2015/9/16 6:30
- 情報元
- 日本経済新聞 電子版
各国首脳らはまず列をつくったうえで、個別に呼びだされ、紅じゅうたんの上を70メートル近く歩かされた。そして最後に中山服姿の習近平と握手し、記念撮影する。隣には紅いドレスを身にまとった夫人、彭麗媛の姿があった。
■毛沢東でさえ避けた皇宮入り
封建統治を批判してきた中国共産党のトップが、天安門ではなく、かつて中華帝国の皇帝の居所だった皇宮内で外国の数多くの賓客の“謁見”に応じるのは初めてだ。あの毛沢東でさえ、天安門には登ったが、壁の内側の皇宮内に足を踏みいれることは一度もなかった。
「中国史や、古来の中華秩序に詳しくない人は気が付かないだろう。習主席は、世界帝国だった明王朝の最盛期の皇帝、永楽帝(明の第3代皇帝、在位1402~24年)に倣ったのだ。中国人として誇りを感じる」
「この接待方式は習主席にこびる形で決まった。かつての中華皇帝への朝貢を思い起こさせ、中国脅威論まであおりかねない。中国の経済力が強いから皆、文句を言わないだけだ。国際社会をよく知る中国人は心配している」
これら2つは、北京在住の知識人の感想だ。正反対の反応なのが面白い。少し説明が必要だろう。各国首脳の謁見の場となった現在の故宮は、明清代の皇帝の居所である広大な紫禁城である。そして習近平が立っていたのは「端門」前の広場だった。
この端門の歴史が意味深い。15世紀の中華帝国の覇者、永楽帝が肝煎りで建設した正門である。永楽帝は、長さ120メートルを超す巨大な木造船も数多く建造した。雲南出身のムスリム、鄭和(1371~1433年)が指揮する大艦隊は、永楽帝の威光を全世界に知らしめるため計7回も送り出された。
大艦隊は今の南シナ海、インドからアラビア半島、そしてアフリカのケニア付近にまで達した。名目は異なるが、まさに現代中国の南シナ海での岩礁の埋め立て、アフリカへの経済進出を思い起こさせる。
再び世界帝国を目指す中国の“新皇帝”が、皇宮で外国首脳の拝謁に応じれば、少なくてもかつて中華秩序の中にいたアジアの国々は身構える。
微妙な力関係の中、ちょっとした珍事があった。端門前の紅じゅうたんを長々と歩いた朴槿恵は、習夫妻と握手し、かなり長く話をした後、記念撮影を拒むかのように夫妻の後方に立ち去った。習近平は朴槿恵の方に振り向きながら伏し目がちに少し困った表情を見せた。
呼び止められた朴槿恵はそこで戻り、ようやく3人での撮影に応じた。結果的に長い間、朴槿恵と習近平は“対等”に会話を交わした。
天安門前の大型スクリーンでこの様子を実況中継で見ていた観衆は、朴槿恵が緊張のあまり3人での記念撮影に関して勘違いしたのだ、と思い、どっと沸いた。集合時間の午前4時前後から5時間も待たされているメディア、そして招待者、市民の緊張もほぐれた一瞬だった。
つづく