上・東京市従組合ビラ(1927.4)より弁士に労農党本部役員や同東京府聯合会の「島上善五郎」、市電自治会、統一運動同盟等の面々が並ぶ
深川の5人の仲間の溺死事故に激怒した清掃労働者 1927年の東京市従組合ストライキ 1927年の労働争議(読書メモ)参照「協調会史料」 「日本労働組合評議会の研究」伊藤晃
東京市従議員組合1926年争議の惨敗は、3千人いた組合員が三分の二に減 . . . 本文を読む
芝浦製作所鶴見工場1,300名ストライキ 1927年の労働争議(読書ビラ)写真・争議団ビラ1 争議団ビラ参照「協調会史料」 「日本労働組合評議会の研究」伊藤晃
芝浦製作所(現東芝)芝浦製作所本社 1,550人(女120人)鶴見工場 1,300人(女100人)
1925年鶴見海岸埋立地に敷地10万坪を越える大工場芝浦製作所鶴見工場が建設された。芝浦製作所にはもともと1921年頃からアナキスト . . . 本文を読む
埼玉紡績女工のはじめてのストライキ! 富士紡本庄工場争議 1927年労働争議(読書メモ)参照「たたかいに生きて 戦前婦人労働運動の証言」鈴木裕子・渡辺悦次遍 「庄子銀助資料」(提供庄子正紀さん)
会社 富士瓦斯紡績株式会社本庄工場場所 埼玉県本庄町工場 朝6時~夕6時、夕6時~朝6時の12時間勤務1週間ごとの昼夜交代勤務制、女工437人、男工230人(1 . . . 本文を読む
上・日本労働総同盟逓友同志会5.22大会出席の要請状
当時の郵便局先輩たちの要求 1927年の労働運動(読書メモ)参照・協調会史料
1927年(昭和2年)5月22日、日本労働総同盟逓友同志会第3回大会開催。
主な議案(要求)一、夜勤手当の支給と即時実施の要求一、制服の改善と全員に外套を支給すること一、靴代を増額すること一、従業員会規定の撤廃一、取締役と組長を公選で選ぶこと一、一ヵ年皆勤慰労休 . . . 本文を読む
東京市従業員組合の職場ビラ 1927年の労働運動参照・協調会史料
「我々は・・一文の手当すら貰わないで放り出され、・・・年度代わりには常に馘首(クビ)の声に慄(ふる)えながら仕事しているのだ。」 今の非正規公務員の苦しみと同じだ。東京都(市)当局は、100年も前から今日に至るもなお労働者へのいじめ差別分断思想が変わっていないということ。
当局よ! いいかげん悔い改めなさい!&nbs . . . 本文を読む
野田醤油争議(その十) 評議会・労農党の総同盟本部批判 1927年の労働争議(読書メモ)参照「協調会資料」 『野田大労働争議』松岡駒吉
評議会・労農党の総同盟本部批判 評議会・労農党は総同盟本部から野田醤油争議への直接の応援は最初から拒絶され続けた。しかし評議会・労農党は、カンパ活動、野田醤油争議応援演説会、亀甲萬(キッコーマン)ボイコットなど総力で応援した。以下は争議解決後の雑誌『労 . . . 本文を読む
野田醤油争議(その九) 総同盟本部と協調会 1927年の労働争議(読書メモ)参照「協調会史料」 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉 『ぼくたちの野田争議』石井一彦
総同盟本部の姿勢を会社が調査の対象にしないわけがない。1923年には総同盟・反総同盟挙げて野田争議を応援した。しかし1924年以来の総同盟の左右の対立、1925年総同盟の分裂、日本労働組合評議会結成 . . . 本文を読む
野田醤油争議(その八) 「父ト共ニ戦ニ立ツ」546名児童の同盟休校 1927(8)年の労働争議(読書メモ)参照「協調会史料」 「日本労働年鑑第10集/1929年版」大原社研編 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉
1927年12月17日、野田醤油争議団は、野田小学校の学務委員の多数を占める茂木一族と町長が公務上の地位を忘れ争議団攻撃に明け暮れていること、 . . . 本文を読む
写真・争議団と家族会5千、よってたかって宮内省へ大押し出し闘争(1928.4.1)白手ぬぐいの頬かむり、子供を背負う女も少なくない。同盟休校中の子供たちも大挙してきた。
野田醤油争議(その七) 闘い② 「よってたかって宮内省へ大押し出し闘争」 1927(8)年の労働争議(読書メモ)参照「日本労働年鑑第10集/1929年版」大原社研編 「協調会史料」 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野 . . . 本文を読む
写真上①争議団本部(労働学校)に押し寄せた野田支部労働者とバルコニーから演説する小岩井争議団団長
写真上②第十七工場前に座り込むピケ隊(右端には白の制服警官もピケ隊に向いて椅子に座っている)
写真上③スト突入をしらせる東京朝日新聞記事(1927.9.17)写真上④争議団「行商隊出発」
野田醤油争議(その六) 闘い①「工場煙突のてっぺんに突如赤旗ひるがえる」 1927年の労働争議(読 . . . 本文を読む
第十七工場新築披露祝賀会
野田醤油争議(その五) 憎さ百倍となった会社の大巻き返し 1927年の労働争議(読書メモ)参照「協調会」史料 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉 『野田争議の顛末』野田醤油株式会社
1921年以来の野田醤油労働者の決起と闘いの前に、野田醤油株式会社は御用団体結成も失敗し、特に小泉暗殺謀略事件で世間から袋叩きにあい、社会的にもすっかり . . . 本文を読む
野田醤油争議(その四) 資料 1927年の労働争議参照「日本労働年鑑第10集/1929年版」大原社研編 「協調会」史料 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉 『野田争議の顛末』野田醤油株式会社
野田醤油株式会社 千葉野田の地に醤油醸造が始ったのは300余年の昔のことで、特に名が知られたのは徳川時代の中頃であった。特に利根川、江戸川の間にあって舟便の良 . . . 本文を読む
学習会『野田醤油争議』戦前最長216日間1千名の大ストライキ
動画・学習会『野田醤油争議』戦前最長216日間1千名の大ストライキ
有志が集って「みんなが教師となり生徒となる」戦前労働運動学習会第10回目(2016年7月23日)は、「戦前最長のストライキ野田醤油争議」でした。この日の教師は菅野存(東部労組委員長)さんです。講演は38分にまとめてありますが、報告と今の私達自身への問題 . . . 本文を読む
野田醤油争議(その三) 関東醸造労働組合の創立 1927年の労働争議(読書メモ)参照「協調会」史料 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉
関東醸造労働組合創立 1921年12月に野田醤油における日本労働総同盟野田支部の結成と闘いの勝利は、その後行徳町の第16工場労働者も加入したことで野田醤油全労働者の完全なる組織となった。小泉七造と野田支部組合員はつづいて関連会 . . . 本文を読む
写真上・二列目右のネクタイ姿が小泉七造(野田支部長)、中央に小岩井相助(野田支部主事、1927年争議時の争議団団長)下・野田争議団家族慰安子供演劇会(1924年)
『野田の奴隷を解放せよ』と刻苦奮闘した小泉七造。野田醤油争議(その二) 1927年の労働争議(読書メモ)参照「協調会」史料 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉
偉大な先輩小泉七造の努力 北海道の室 . . . 本文を読む