先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

動画・学習会『野田醤油争議』戦前最長216日間1千名の大ストライキ

2023年10月10日 07時00分00秒 | 1927年の労働運動

 
学習会『野田醤油争議』戦前最長216日間1千名の大ストライキ

動画・学習会『野田醤油争議』戦前最長216日間1千名の大ストライキ

 有志が集って「みんなが教師となり生徒となる」戦前労働運動学習会第10回目(2016年7月23日)は、「戦前最長のストライキ野田醤油争議」でした。この日の教師は菅野存(東部労組委員長)さんです。講演は38分にまとめてありますが、報告と今の私達自身への問題提起です。当日のレジメも了解を得て下記に紹介しました。

 動画の後半39分頃から参加者の感想・討論です。これも今聞いても中々おもしろい。須田光照(東部労組書記長)さん、 中塚大介(連隊ユニオン)さん、菅野さん、長崎(当時東部労組副委員長)など出席者の率直な感想が続きます。

 約1時間の動画ですが、よろしければ覗いてください。戦前最長のストライキを頑張り抜いた1千名先輩たちを身近に感じて頂けたら幸いです。

(レジメ)
2016年7月23日
労働年鑑学習会
第10回 1928(昭和3)年
全国一般東京東部労組
菅野 存

第1 1928(昭和3)年の特徴
1 情勢
(1)弾圧
ア 3.15事件 
・背景:2/20衆院選(初の普通選挙)で無産政党(労働農民党(労農党)、日本労農党、社会民衆党、日本農民党)・諸派が8議席
・経過:3月15日、治安維持法違反容疑により全国で一斉検挙。日本共産党労働農民党などの関係者約1600人が検挙。起訴(東京地裁以外)309名(労働年鑑)
イ 無産団体・評議会の解散
4月10日 治安警察法により労働農民党・日本労働組合評議会・全日本無産青年同盟に解散命令
(2)反動の加速
ア 治安維持法「改正」
・特徴:厳罰化と運用面の「柔軟化」
「国体変革」への厳罰化
「為ニスル行為」の禁止
・「改正」にあたっての強引なやり方
議会で審議未了となった後、天皇の緊急勅令(大日本帝国憲法8条1項)で強引に改正法公布・施行
※ 大日本帝国憲法8条1項
天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
イ 特別高等警察の全国設置
特高警部150名、刑事1500名を増員
内務省警保局保安課直轄の思想警察
 
2 主な争議
(1)野田醤油(別項)
(2)社外船争議(「海上大争議」-労働年鑑)-最低賃金確立の闘い
 経過
・前哨戦(海員組合vs川崎汽船)
 5/7 日本海員組合、「最低賃金制度確立」を大会決議→川崎汽船へ最低賃金の実施、船員の増員要求提出(5/9)→会社側、要求を軽視、組合側、川崎汽船所属船を停船→組合側勝利
・本戦(海員組合vs日本船主協会)
 6/5 交渉決裂:妥結まであと一歩のところで船主協会が「総トン数1500トン以下の船舶の普通船員の賃金については将来、日本海員組合においてこれを問題としない」の条項を提案してきたため
 6/6 海員組合、ストを指令、371隻が停船・1万人近くが参加の大ストライキに
 6/8 組合承知で解決(産業別最低賃金制度の確立)
(3)東京モスリン金町工場ストライキ(6/29-7/1)
(4)天満織物城北工場(大阪)ストライキ 
(5)富士瓦斯川崎工場争議 
  
第2 野田醤油争議
1 前提・背景
(1)組合
 総同盟関東醸造労働組合野田支部(1397名)
 支部長 小泉七造
 主事(争議団長) 小岩井相助
(2)統計からみる争議の概要
  組合員数 1397名
  従業員数 1953名→組織率71.53%
  解雇された組合員数 1047名
  解決にあたっての会社からの支払い金総額(解雇手当金等)45万円
(3)第一次争議(1923)の勝利と組合による職場支配
 1400名参加のストライキで組合勝利
 以降、労働時間短縮、賃上げ、職場集会の開催黙認等、業界他社以上の労働
条件を獲得→会社の組合嫌悪の源泉
(4)総同盟本部と野田支部の関係
 ・野田支部、労働条件改善要求案決定、会社に提出(1927.4)
  賃上げ10%(女工20%) 年末賞与最低1ヶ月分・・・
 ・総同盟 業界他社との「均衡」、当時の経済状況(不況)に「配慮」:野田支部への要求保留、ストライキ中止勧告(1927.5)
 ・関東醸造労組第5回大会(1927.7):要求提出にあたって「原案を本部に提出し、本部が可能と認めた場合に限り会社へ」との「ルール」を確認
(5)会社による組合攻撃準備
 ・並木重太郎工場課長の就任(1923)
 ・第17工場の新設(1926):スト破り、生産続行の拠点(黄犬契約により350名全員が非組合員)

2 争議の経過
(1)発端
 ・1927年4月 会社、全員が組合員(100名余)であった下請運送会社「丸三運送店」の一部業務を「川越人夫」を使い直営化
 ・同9月 人夫出しの「川越組」が別会社「丸本運送店」を設立。丸三の業務を次第に浸食
 ・同13日 組合代表者、会社に抗議するも、会社聞き入れず
 ・同15日 組合、緊急総会を開催。丸三問題の解決を要求するとともに、総同盟の勧告で保留していた要求を会社に提出
 ・同16日 ストライキ突入
  第17工場にピケ-以降10日間生産中止
(2)それぞれの動き
 ア 会社
 ・有力者、行政・政府関係者オルグ-「争議への不干渉」引き出す
 ・調停申し出の拒絶
 ・暴力団、右翼団体の動員
 →警察署長もあきれるほどの無法ぶり
  「会社側の態度はことごとに穏当を欠いている。会社は・・・否定しているが・・・会社側としての責任は免れることはできない。他府県における労働争議は、労働者側が不穏であって、取締りの中心もそれに加えられているが、野田の争議はその反対である」(野田警察署長談話)
 ・組合員の解雇(争議終結までに1047名)
 9/30  竹槍事件関係者146名を懲戒解雇・普通解雇
 12/17 出勤催告無視を理由に149名懲戒解雇
 12/20 735名を解雇

 ・第17工場はじめ、工場操業再開
  臨時工員を募集→トラックで工場に強行輸送
  第17工場:9/27より(10/3よりほぼ平常操業)
  第3工場:10/7より
  第9工場:10/16より
  第15工場:10/19より
  第10工場:10/29より
  第1・7・12工場:11/3より
  第14工場:11/21より
  第6・8・13工場:11/29より
 ・組合切り崩し:300名が脱退、仕事に復帰

 イ 組合
  当事者:戦闘性を堅持
   竹槍・硫酸事件(3回)・襲撃・・・
   同盟休校 キッコーマン製品のボイコット

(3)争議終結
  要求白紙撤回、松岡駒吉に争議解決を全面委任(1928.1)
  松岡、会社に解決案提示(同2月)
   ・一部争議団組合員の解雇認容、解雇手当は請求しない
   ・「一部」以外の組合員は復職
   ・復職時の労働条件は会社にまかせる
  争議団副団長堀越梅男が天皇に直訴(1928.3.20)@東京駅→会社も争議解決を決断
  1928.4.19 解決協定調印
   ①1047名中300名の復職(再雇用)
   ②解雇手当(総額45万円)の支払い
   ③争議団の解散
  1928.4.20 争議団緊急大会(5千名参加)
   解決条件の受諾を確認
  組合の敗北-戦後まで野田醤油に組合運動なし

3 なぜ長期争議を闘えたのか
 (1)争議団の戦闘性・組織性
  会社の切り崩しにより300名が脱落するも残1000名は団結を堅持
  裏切り者(スト破り)に対する制裁(弁償金500円)
 (2)経済的支援態勢の確立
  ・野田支部「購買組合」の活用:在庫品を掛け売りで組合員に提供
  ・副業、農業をしていた組合員多数
  ・6年間の組合積立金(1人あたり3円/月)+職場単位での積立金
  ・近隣組合からのカンパ(賃金の半額・3分の1を数ヶ月)
  ・総同盟のストライキ資金からの融資

4 闘いは継承されているか
(1)野田醤油による地域・労働者政策
  ア 興風会の設立(1928.11)
  イ 共済制度の拡充
  現業労働者も対象に
  ウ 野田地方文化団体協議会の設立
(2)戦後の野田醤油における労使関係
  ア キッコーマン労組(連合加盟)
  ・同労組HP「沿革」の記述:「野田争議=キッコーマン労組の活動」
  ・現委員長の野田争議評価
  ・会社への姿勢
   1998 労使共同宣言「新しい時代へ向けた労使の決意」に調印
  イ 会社(キッコーマン)
  ・労使関係の評価(「社会・環境報告書2013」)
   「健全な労使関係の維持」
  「キッコーマンは、1998年に発表した労使トップによる『労使共同宣言』のもと、互いの立場を尊重した、信頼関係にもとづく健全な労使関係を築いています。また、キッコーマンはユニオンショップ制を採用しています」

おわりに-検討課題
(1)総同盟の評価
  ・支援態勢の評価
  ・総同盟の資本家に対する「配慮」
(2)天皇への幻想と階級制の喪失(労使双方)


以上



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