上・外池自転車争議団49名検挙
争議団員全員検挙! 小松川の外池自転車工場争議 1926年の労働争議(読書メモ)
参照「協調会史料」
1926年(大正15年)5月、東京南葛飾郡小松川町、外池自転車工場労働者56名(内女性2名)が、会社が「5月1日より歩合を半減とする」と発表したことに反対して立ち上がった。56名は、関東地方評議会関東金属労働組合本所支部外池工場分会の組合員であった。5月6日、労働者代表2名が工場主外池仙太郎と面会し、以下の嘆願申し入れをした。
嘆願書
一、歩合は4分減とすること
二、衛生設備を完備すること
三、皆勤賞として日給2日分を支払うこと
四、公休日の賃金を支払うこと
等
工場主は、「明日7日より2週間、工場を休業して金策するが、もし金策不能の場合は工場を閉鎖する」と通告してきた。労働者代表は、「工場を休業するのは工場主の自由であるが、休業中の日給は全額支給すべきである」と要求すると、工場主は「全額は無理だが、半額なら支給する」と答えた。
5月7日午前7時、労働者一同は「休業中の半額支給」に大多数が異議をとなえ、新たに以下の要求を決めた。
要求書
一、即時就業する事
一、休業中の賃金は全額支給する事
一、争議中の費用は工場主が負担する事
5月8日午前9時40分、労働者代表6名は工場主と面会し、上の要求書を提出した。工場主の不誠実な態度に労働者側は「工場主と何回交渉しても徒労に帰する」と憤慨して退場した。その日、労働者は空家一戸を借り、争議団本部とした。
争議団全員検挙
5月10日夜、外池争議団49名が工場前に押しかけ抗議の声を挙げた。小松川警察署は、労働者が禁止されていた革命歌を高唱したとか暴行・投石をしたなどと、その場で外池争議団員49名全員を検挙した。争議団のほぼ全員が獄に繋がれたのだ。
検挙された49名は小松川警察により厳しい取り調べを受け、5月12日、15名に25日間の拘留処分が決まり、残りの争議団員はその日の午後4時に釈放された。
5月21日午後7時、会社糾弾演説会に250名(外池労働者50名、評議会など友好労組100名、住民100名)が駆け付けた。18名の弁士が次々と登壇し、「団結の必要」を訴えた。4名の弁士が臨監警察官より過激発言をしたと「弁士中止」を命じられた。地域の住民多数も駆けつけた会場から緊急カンパの声があがり、その場で16円13銭が集まり、争議団に手渡された。
妥結
5月26日午前9時妥結した。
覚書
一、争議中は日給の半額を支給する
一、賃金及び歩合は従来通りとする
一、争議費用として金400円を争議団に支給する
一、6月30日付解雇者23名に見舞金として一人宛て金20円を支給する
一、今後職工を募集する場合は、解雇者を優先して雇う
等
35名は5月27日午前7時就業についた。