475名タクシー労働者一斉に「料金不納同盟闘争」決行! ―1928年の労働争議(読書メモ)
参照・協調会史料
1928年1月19日ついに解決
(3社の立ち上がったタクシー運転手)
東京乗合自動車株式会社実用自動車部 争議参加者 運転手280人、助手90人計370人
小型自動車株式会社 運転手 80人
常磐タクシー 運転手 25人
応援 東京自動車従業員同盟 評議会 労農党
(「雇用関係」から「業務委託主、請負主」への組織変更)
堀内 良平という同一人物を代表とする3社、東京乗合自動車株式会社(本社 東京下谷区北稲荷町)実用自動車部、小型自動車株式会社、常磐タクシーには2千名のタクシードライバーが働いていた。1927年6月に会社はタクシードライバーに対する「組織変更」を一方的に強行してきた。今までの「雇用関係」から「業務委託主、請負主」への組織変更だった。会社のオンボロになったタクシー車輛を法外な頭金で買わせ毎月の給料から償却金として平均140円を差し引き、その上毎月平均120円もの高額な「社費」をドライバーに払わせ、払えないものは車輛を没収するというのだ。その上すべての経費は運転手が払う。
(最初に立ち上がった東京乗合自動車株式会社実用自動車部の370名)
1927年10月18日東京乗合自動車株式会社実用自動車部従業員で組織された組合員370名の「同志会」は、会社に要求を提出し、もし要求が容れられない時は、一斉に「料金不納同盟」を行い会社に対抗することとした。10月20日午後1時より本郷帝大佛教青年会館において従業員大会を開催した。「要求事項と決議」と争議費用として一車輛につき金5円の提出を決め、「団結の歌」を配布した。
(要求事項)
一、スペア4割増撤廃
二、社費、5馬力=70円、10馬力=80円の低下の件
三、車両持ち運転手募集絶対反対
四、ガソリンの品質を数寄屋橋程度にすべき
五、生活費保護
六、赤字(マイナス)に対する日歩10銭を6銭にすべき
七、車両修繕費の明細書を発表すること
八、修繕を迅速にし、工場の能率を促進する事
九、車両没収絶対反対
十、ポーター待遇改善激務に対する特別手当の支給
十一、下級社員の地位擁護に関する件
(大会決議)
我々は以下要求条件を団体の力によりあくまで要求貫徹を期す
一、生活費保障の件
一、スペア4割増撤廃
一、社費、5馬力=70円、10馬力=80円の低下の件
一、車両没収絶対反対
一、車両持ち運転手募集絶対反対
一、赤字(マイナス)に対する日歩10銭を6銭にすべき
一、ポーター待遇改善の件
一、下級社員の地位擁護に関する件
右 決議する
昭和2年10月20日 実用自動車従業員大会
(団結の歌)
民衆(赤旗)の旗の節
一
曙近し労働者 我らの前途を望め
生活の不安無き 社会ぞ我らはつくる
組織せよ組織せよ 団結は我々を
解放の光明へ 導く唯一のものぞ
二
個々の力弱けれど 団結一度ならば
支配者の圧迫も 何かは恐れなるものぞ
組織せよ組織せよ 団結は我々を
解放の光明へ 導く唯一のものぞ
三
来たれ我らの城塞に 正義を愛する者よ
かたき友誼に結ばれて 兄弟共に進まん
組織せよ組織せよ 団結は我々を
解放の光明へ 導く唯一のものぞ
(福岡金次郎作詞)
(2千名ドライバーは「東京自動車従業員同盟」へ加盟)
東京乗合自動車株式会社実用自動車部、小型自動車株式会社、常磐タクシーの3社約2千名タクシードライバーの多くは評議会の山本懸蔵らの援助の下、「東京自動車従業員同盟」に加盟し、1927年(昭和2年)10月23日同じ要求を3社に突きつけた。10月27日には、三社合同大会を上野自治会館において開催した。
(会社の拒絶)
会社は、運転手とは同じ資本家でもあり単なる雇用関係ではないからと交渉を拒み、むしろドライバーが契約に違反する行動にでた場合は契約を解除するとして、支配人山崎行蔵は<従業員諸君に告ぐ>とドライバーの声を露骨に拒絶してきた。
従業員諸君に告ぐ
「皆さんは、今までの一タクシー労働者から、今後は業務委託主、請負主で、一資本家なのです。だからこれからはお互いに対等な『相互組織』なのです」
「諸君と会社は同一体ですから、諸君の苦痛とするところは会社の苦痛であり、会社の苦痛とするところは諸君の苦痛とするところでなければなりません。」
「しかるに、今諸君の名によってなされた要求は自己主張のそれであって、みじんも互譲的精神を発揮していないのであります。」
「諸君は破壊の道を選んだのあります。破壊が直ちに自己の滅亡を意味するものであることは冷静に一身の将来を思い致されたならば、諸君は悄然たらしめさる得ないのであります。」
「自己の存在を認めてもらうに為には、まず他人(会社)の存在を認めてもらわなければにりません。」
「都合のいい時には資本家であり、都合の悪い時は労働者であると自家癒着」
「率直に言うならば、諸君を食えるようにすると同時に会社も食えるようにしなければなりません。」
「自己の主張のみを貫徹しようとするのは間違っています。」
「三社は、ただ代表者を一にするというのみでありまして、その資本なり、営業政策なり全然別個のものであります。」
「共存共栄の福祉のために」
昭和二年十月二十九日
小型自動車株式会社
支配人 山崎 行蔵
(「不納同盟戦術」と秘密アジト)
3社のタクシードライバー475名は共同争議団を結成し、大々的に、タクシーの売上金を要求が通るまで会社に提出せず、自ら管理する自治管理(不納同盟)を開始した。官憲の弾圧や暴力団の襲撃を避けるため争議団本部とは別に秘密アジトをつくり、そこから評議会の山本懸蔵らが援助した。また、このアジトから「活動ニュース」「実用戦線ニュース」等のビラをほぼ毎日のように印刷発行し、ドライバーに届けた。
(株主総会闘争)
争議団は、10月29日の株主総会に、株を持つ争議団員多数を入場させ株主総会内部から相当な闘いを起こそうと計画した。争議団は当日は株主総会会場前に争議中のタクシー車全車を並べる大動員をかけ、宣伝ビラを配布しながら大デモンストレーションを決行しようとした。あわてた所轄日比谷警察は争議団に圧力をかけ、会場前のデモを中止させ、また会場に入った争議団株主が撒こうとしていたビラ配布すらも禁止させた。
(争議団ビラ)
「会社の切り崩しに小型従業員嘲笑を浴びせる!
—東京乗合車輛部も奮然起つ― 1927年10月29日
「・・・昨日のことだ。会社は俺たちの堅い決意と団結の力に狼狽し、慌てて甘い言葉で俺たちの陣営を切り崩そうとしはじめた。ガタガタ車を高い値で俺たちに売りつけ、くわえてベラ棒に高い社費を負担させておきながら、手前たちの借金の穴埋めに俺たちを馬同様に酷き使っておきながら、やれ会社と従業員は同身一体だの従業員の不幸は会社の不幸だと白々しく俺たちを欺瞞せんとするのだ。誰が糞ッだまされるもんか。」
「山崎のたぬき野郎!!! 馬鹿奴ッ、俺たちには借金の山を負う自由しかないのだ。」「利益をタラフク得る自由な立場がある」と吐き出しやがった間抜け! 俺たちの生活に必要な最小限度の要求を会社に出すのに、それが悪いと吐きやがる。俺たちの働いた金で遊んで食っている奴には俺たちの苦しみはわかるものか」
「俺たちの要求が通るのは彼奴等の遊興費を減らす事になるから反対するのだ。こんなことぐらい従業員は皆知っているぞ。」
「奴らは俺たちが団結することが恐ろしいのだ。だからこれを切り崩そうとして・・・慈悲深そうな言葉でだまそうとするのだ。俺たちをいつもこの手で誤魔化してきたのだ。だがもうその手には乗らぬぞ。俺たちの要求は生きんがための要求だ。」
「俺たちの要求は自身の叫びだ。奴らの甘言や切り崩しには従業員は一人もだまされないぞ」
「青バス車両部で従業員大会を開いて要求を会社にたたきつけだぞッ…・・・俺たちの同志は続々と会社の横暴に反抗して起ったのだ。オー奴らの狼狽したザマは何だ!!! 」
「俺たちの団結はますます堅いぞッ。会社の逆宣伝などにビクとするものか、小型争議団の団結万歳!!! 三社合同共同戦線万歳!!! オー熱血の志士よ。
1927.10.29
小型争議団本部
(暴力団)
会社は11月4日の演説会に暴力団10数名をひそかに会場に入り込ませ、演説会がはじまるや暴力団が演壇に駆け上がり妨害し、経過報告中の争議団役員に殴る蹴るの暴行をふるい大けがを負わせた。官憲はすぐに混乱を理由に演説会の解散命令をだしてきた。官憲の陰謀だった。かれらは会社とグルになって暴力団に暴れさせ、これを口実に演説会を解散させて争議団員に一言もしゃべらせまいとしたのだ。争議団は急遽抗議の宣伝地域ビラ約2千枚を市内と友誼団体に配布した。
(争議団本部事務所強行閉鎖)
会社側の暴力団の襲撃と警察による争議団切り崩し攻撃が厳しくなった。会社は暴力団を使い、警官サーベル隊30余名が見張っている下で争議団本部事務所玄関を釘付けする閉鎖を強行してきた。争議団はただちに争議団本部を他の場所に設置した。また会社は暴力団を使って争議団員の車両の没収、契約解除などの攻撃を立て続けにやってきたが争議団の結束は強く、会社の車輛没収攻撃は、自分達の車輛を巧妙に隠したため会社は争議団の車輛没収はほとんどできなかった。
(「遠足旅行」デモ)
11月6日日曜日争議団員269名は、朝6時10分両国駅発列車で千葉成田に向かい、帰途八街の日本農民組合支部を訪問し一泊する一大デモンストレーションを行った。
(暴力団日本刀で襲撃)
11月12日夜9時暴力団2名が新しく移転した争議団本部を襲った。日本刀とドスをを振りかざした暴力団員は、入口のガラス戸を破壊し屋内に侵入し、そこにいた争議団員6名に切りつけ、争議団団長ら二人に大怪我をさせた。ただちに争議団は日本自由法曹団の弁護士をたてて暴力団2名を殺人未遂で、また会社を教唆罪で告訴し、また争議団は今後の襲撃に備えるためその夜は自らも鉄棒で武装した。急を知った千葉八街の農民組合から白米多数が寄せられた。
(裏切り)
会社の解雇攻撃、車輛没収宣言と逆宣伝、暴力団襲撃の中、争議団を裏切る者が現れた。争議団は「旗色の怪しい奴が出てきた。会社の奸策にのせられて同志を裏切る者を徹底的に葬るぞ。団体生活を破壊する者は反逆者だぞッ」と緊急警告ビラで皆に知らせた。
檄 1927.11.10
奴らの欺瞞策は益々巧妙だ
会社側の逆宣伝に乗るな!!!
実用同志会争議団本部
(争議団本部幹部への誹謗)
会社は営業所長らを使い裏から争議団を切り崩した。争議団内部の右派に働きかけ、争議費用の使途が不明だとデマを流させ争議団幹部排斥の声を強めさせた。
(裏切者)
11月15日本郷駒込の料亭花屋にひそかに裏切者の幹部約15名が集まり、会社と争議解決の交渉を開始すること、また争議団本部幹部は横暴だとする反対運動をはじめることを確認した。会社と19日中に調印し、20日には争議を打ち切る手筈を計画した。これを知った争議団員の怒りが爆発し、これら会社から買収された裏切者を弾劾し殴打した。
(会社)
会社は裏切者を使い、本部幹部派の糾合、争議団の切り崩し策動を盛んに続け、一方争議団本部派は必死になって裏切者反対運動を起こした。
(警察)
赤坂表町署は評議会らの秘密アジトをみつけ、争議団団長以下13名と評議会幹部ら14名を大量検束の弾圧。
(御用組合「新友会」の結成)
裏切者一派約100余名は新組織「新友会」を結成し会社と交渉を始めた。争議団本部は裏切者幹部10余名を除名。
争議団宣言ビラ
・・・会社御用組合結成を策せり
見よ! 新友会なるものを! これらは欺瞞重役と札付きダラ幹とゴロ付集団ならずや!
故に吾等はこの新友会を叩き潰す事なくして吾等の生活の救われざる事を本大会の名にもって宣言す。
1927年11月23日
実用同志会争議団
(全車抗議ストライキ突入と会社の動揺)
会社のこの間の暴力団、御用組合などの切り崩しに怒った争議団は、ついに11月25日午後から全車ストライキに突入した。あわてた会社はすぐに争議団と交渉をはじめたためストライキは26日中止となった。争議団は新たな要求を追加した。
追加要求
一、争議費用会社負担
一、(暴力団の)切り込み事件への慰謝料
一、契約解除者の復職
(「盗賊団」逮捕)
11月22日争議団の3台の車が何者かによって車のナンバープレートや料金メーターを盗まれ、車両が破壊された。明らかに会社が雇った暴力団のしわざだ。争議団は大挙して会社に押し寄せ抗議。この盗賊団を争議団自らが逮捕し連行し南千住警察に引き渡した。
また会社は、銀行で争議団名を僭称し、争議団の自治管理金の「通牒・印鑑」を無くしたと支払い停止策動を行うが、不審に思った銀行の急報で駆けつけた争議団が逮捕して警察へ突き出す。
(争議団ビラ)
檄
戦備は益々充実
奴等の撲滅は近い
会社のダラ幹、暴力団共同の新友会は益々最後の死に物狂いの策動をやってきた!
奴等の気違い沙汰を・・・・・除名されていながら同志会の名を僭称したり同志会の脱会届けを持って廻ったが、神楽坂の如きは同志会の脱会届と新友会の入会届を持っていったところを頭から怒鳴られて尻尾をまいてコソコソ逃げ帰った。
この意気だ。この意気で野良犬共が吠えてきても怒鳴り返してやれ!!!
俺たちは新友会をブッツブシテ初めて勝利の栄冠は完全に得られるのだ!!!
(1927.11.23)
我々の代表は会社と正式な会見を開始した!!!
26日午後2時より我が同志会の交渉委員は正式な交渉を開始する事となった。
交渉が有利になるか、不利になるか!? 決して交渉の上手下手で定るものでない。我々の団結が固いか弱いかにあるのだ。我々全会員が全部協力一致し、勝手な行動をとらずに、もしも会社が我々の正当な要求に対して頑強な態度をとり、譲歩する意志なくば我々は飽くまでも戦うという勇気と結束さえあれば、必ず譲歩し交渉は我々の方の有利になるのだ。がもし我々の足並みが乱れて弱腰になっていれば、必ず奴らは図に乗り勝手な振舞をするのだ。戦いは力が強い方が勝つのだッ。
見よ!!! 椚が自分から「ナンバープレート」を外したり、検査證や料金表をかっぱらったりして交番に捕らえられ、豚箱に投げ込まれたり、自治管理の金を詐偽せんとして文書偽造で告訴されたり、ひとしくこれは彼奴等が如何に弱り切っているかを如実に物語っているではないか!
(1927.11.16)
・・・・・一時新友会の策謀に乗せられた人々も今は続々と我が同志会に帰って争議費をドンドン納め、今後は必ず本部の統制に基づくと誓っており、新宿の営業所にも新友会脱退の声が挙がっているぞ!!!
あくまで結束して同志会を守れ!!!
(1927.11.26)
(あらたな裏切者・総同盟派の言い分)
11月27日夜、数寄屋橋支部に属する両国営業所従業員約30名(総同盟派)が突如同志会(争議団本部)を脱会し、御用組合たる新友会にも加盟せず中立を標榜し単独で翌28日会社と交渉し、すでに会社が新友会との交渉案に基づき争議を即時打ち切ることとし、料金の納入を開始した。そのため、他の営業所も単独解決を希望するものが続出し、ついに争議団は四分五裂の状態になった。
脱会理由書
一、同志会本部は・・・あくまで挑戦的なる態度に出づるは、・・・我々をして赤化運動者として社会の誤解を強め益々不利なる立場に陥れるものなり、かくの如き社会に赤化と認められる態度には我々は絶対に反対である。
一、このままではダラ幹新友会に蚕食され、一敗地にまみれ再び起つ能わざるは火を見るより明らかなり。ここにおいて我々は絶対両者に組せず営業を継続し穏健なる態度をもって勇猛躍進するものなり。・・・
昭和二年十一月二七日
数寄屋橋有志一同
各位
(「総同盟の裏切り」)
争議団ビラ
血迷った会社は、なんと今度は前にも俺たちを売った『総同盟』のダラ幹を手先にして切り崩しにかかってきた。
(小型自動車争議解決)
11月30日小型自動車争議団は車輛主大会を開催して、会社の解決提案の可否を投票し、35対3で解決案の受け入れが議決された。ただちに会社と交渉に入り、今回の争議で犠牲者(解雇)を出さないことを約束させ、会社から各自に慰労金百円位が手渡され解決した。
解決内容
一、社費納入金一ヶ月金50円
一、従業員は8月以降の90円から差額を返却する
一、増車の場合は合議とする
一、車両負債は一部免除することに努力する
一、車両更新の頭金は650円とする
一、故障休車の場合の免除額は今迄の「5日以上」を「3日以上」とし、「月額2分の1」を「3分の1」にする
一、ポーターの日給増額は成績を考査し、回数手当等にて改善を実現する
(新友会と総同盟派の話し合い)
新友会、支部独自交渉派の両国営業所と支部聯合派の三者協定の話会いが始まった。総同盟の各支部聯合派は、既成の組合を解体し、新たな労働組合結成を求めたが、新友会は全組合員170余名、一方各支部聯合派は浅草支部51名、数寄屋橋支部18名、虎ノ門3名と少数の上、各支部聯合派の大部分は車両を没収されているが、新友会は全員車輛を有していたため、新友会側は新組合結成をのぞまなかった。また12月5日神楽坂支部員43名は、会社に無条件で謝罪を申し入れ争議解決をした。浅草、数寄屋橋両支部も今後同じ態度をとるとみられている。争議団本部(同志会)は孤立した。
(会社の攻撃が続く)
常盤タクシー争議団に対し、会社は「11月30日までに未納金や社費を納入しない場合は、契約を全員解除する」と強硬な通知書をだしてきた。また新たな車輛主を雇い入れ、「こんどこそ社内の不良分子を一掃する」と公言。その結果、11月30日常盤タクシー争議団から19名が脱退し、新友会に入った。
会社の通知書
一、貴殿を会社従業員として契約解約する
二、会社名義による営業は禁止する
三、車両は車庫に格納しろ
四、貴殿の負債は即時全額罷行しろ
昭和2年12月
常盤タクシー株式会社
(カンパ要請)
趣意書
悪戦苦闘40余日。内部で裏切者続出あり、軍資金の欠乏あり。ますます苦戦の状態に陥りたるも残れる同志250余名は全国無産階級の応援の下に最後の決戦に入らん事を決せリ。
希くは同志階級の諸氏よ! 自階級の勝利のために応援の御寄付あらんことを切望するなり。
昭和2年12月3日
実用同志会争議団本部
全市運転手各位
350名の兄弟諸君!
争議団への応援労組名
東京自動車従業員同盟
統一同盟関東地方同盟
市電自治会自動車支部
関東地方評議会
東京市従業員組合
労農党東京府支部聯合会
関東俸給生活者組合
関東電気労働組合
(常盤タクシー争議解決)
12月7日常盤タクシー争議が解決した。
解決内容
一、今回の争議で犠牲者は出さない
一、社費一ヶ月一台金百円とする(「ただし会社は別に一台金30円を宣伝費として支給する」とあるので実際は一ヶ月70円に値下げ)
一、会社は新年会費として従業員に金200円を贈与する
(行商)
争議団本部(同志会)280名は果物、菓子などの行商を行いながら断固として争議を継続した。12月12日午後7時に「暴圧反対会社糾弾演説会」(実用自動車争議団、労農党東京府支部聯合会主催)を上野自治会館で開催した。
スローガン
一、争議団を圧迫する組織的弾圧に対抗せよ
一、生存権を奪う乗合会社に反対せよ
一、従業員の要求を蹂躙する乗合会社を糾弾せよ
一、御用組合を徹底的に排撃せよ
一、タクシー従業員は一斉に社費値下げを要求せよ
応援弁士
王子電車争議団
市電自治会(篠田八十八)
労農党
関東婦人同盟
自動車従業員同盟
など弁士約20名が登壇し、会社を厳しく糾弾し、無産者解放の演説をした。
(「協和会」)
新友会と総同盟派は「協和会」なる新団体を組織し会社と交渉をはじめた。
争議団同志会ビラ
「奴らは借金で従業員を縛りつけようとしている」
(1927.12.17)
(「タイヤ」襲撃事件の勃発)
1928年1月10日深夜午前1時から2時にかけて虎ノ門営業所に入庫中の会社所有自動車13台の「タイヤ」48本が何者かの小刀によって穴をあけられ破損させられる事件が突然勃発した。すぐに会社は犯人は解雇された争議団員の仕業だと大騒ぎし、日比谷警察署が新たな弾圧を画策しはじめた。
(買収)
1928年1月19日、会社は4200円を新団体「協和会」へ提供することを決めた。
(交渉)
会社の懐柔により御用団体「協和会」が成立し、一方残された280名の本部争議団(同志会)は、車両を没収され、契約解除された者で果物・菓子等の行商で生活を支えてきた。会社との交渉は慰謝料、争議費用を巡り難航したが、最終的には金4千円(争議費用、暴力団切り込みにより負傷した2名への慰謝料など)で争議団はこれを受け入れた。
すでに各社で月平均120円の社費は月平均70円へと値下が実行されている。1月19日午後9時下谷区北稲荷町本社において会社は争議団、協和会と協定を結び、前年1927年(昭和2年)10月23日の争議発生以来約90日にわたる争議が解決した。
記
一、会社側より争議団に支給するもの
金4千円(争議費用、負傷者への慰謝料、争議団一同)
一、争議団が会社へ引き渡す自治管理金
金壱万2千110円
以上
⁂追(市内各社で決起)
1928年6月には芝区愛宕町のツーリング自動車株式会社でも約100名が、「社費130円を80円に値下げ他八項目の待遇改善の要求書」が提出し、「社費不納同盟」を敢行し「社費100円」を勝ち取っている。
また同時期に浅草の三ツ輪タクシー、三徳タクシーも社費値下げの要求書を提出した。また東京乗合自動車会社車輛部(青バス)でも仲間が決起した。
「青バス」車掌の決起!
東京東京乗合自動車実用自動車部(タクシー部)の争議は一旦解決したが、1928年10月25日から東京東京乗合自動車会社車輛部(青バス)で労働争議が勃発した。会社が青バスの28名を解雇したことに反対する東京自動車従業員同盟の組合員は、10月25日を「安全デー」称したサボタージュ闘争に入ったため会社はあわてて各20日分の退職手当を上積みした。
翌29年9月にも東京市営バスの女性車掌100名以上が団結して当局に「男女差別待遇撤廃」の要求をだしたことに合わせ青バスでも健康保険獲得、生理休暇の要求、オーバーの支給などのスローガン掲げストライキに入った。(参照・「山花てるみ 100歳―輝いた日々を刻んで—)