『どん底で歌ふ』
詩集『どん底で歌ふ』 社会評論社 1920年
序
堺利彦
─── 特異なる二人の人物 ───
此の集の著者根岸正吉君が私の家に遊びにきている時、其の姓名だけを云って他の来客に紹介すると、其の来客は大抵、『ア、そうですか』と至極冷淡な、通り一編の挨拶をするが、『昔し新社会に詩を載せたN正吉というのが此人です。』と云うと、『アッ、あなたがソウですか』と、たちまち其の挨拶が意気込みの違った熱心な者になる。彼が工場生活の間から発したウメキ声は、それほど深い印象と感銘とを我々のグループの多くに興へているのだ。彼はその後少し健康を損じて、今は会社の事務員という平凡な職業に就いて、滅多に詩も作らないようだが、その代わり彼は今、ほとんど一身の全力を注いでマルクスの英訳本など読んでいる。彼がもしこの次に新しい著作をする時があるなら、それは詩にしても、他の種類の文章にしても、必ずズット違ったものになるだろう。と私は信じている。そういふ未来を持っている彼れの此の詩集は、単に工場生活のウメキ声というばかりでなく、一個の有力なる社会運動者の産声として特殊の意味を持っているわけである。
此集の今一人の伊藤公敬君は私の直接に知っている人ではないが、横浜における我々のグループでは久しい前から善く知られている人である。彼ははじめ印刷工として指四本の肉税を払い、のち又、波止場人足として起重機の上から落とされ、今でも歩行の困難を忍んで労働しているという。彼れの歌はそういう生活の間から歌ひだされ、そして人さし指の残存している部分と親指との不自由な働きによって書き現らわされたものである。
私は詩歌において門外漢である。この集の詩としての価値を云々し得る者ではない。ただ我々のグループにおけるこういう二個の人物を世間に紹介するの機会を得た事を大いなる光栄とする者である。
大正九年四月
電車ストライキ惨敗の報に接した日
堺 利 彦