奈良県での出来事日記

青息吐息の老人が、奈良行事も交えながら、日記を投稿しますね・・(^◇^)

朱鳥元年(686)に謀反の罪で刑死し、のちに二上山に葬られた皇子は‥(^_-)-☆

2024-12-18 20:02:55 | 奈良まほろばソムリエ
こんばんは‥(^_-)-☆



今の奈良市は7℃とすこし寒い日になりましたね。

奈良は、最高気温が11℃と寒い日になりましたね?・・

引き続く寒さの性か血圧が上がり下痢がまだ続き体調不良が続いています。

少ししんどいが散歩に励みますね。

しんどいが、少しづつ散歩を増やそうと思いますが増えませんね?・・

奈良まほろばソムリエ奈良通2級の11回目の問題です。

2 奈良県の歴史に関する事柄について最も適当なものを選びなさい。

(10)崇峻天皇 5 年(592)に推古天皇が即位した宮はどれか。 

ア.倉梯宮   イ.豊浦宮   ウ.岡本宮   エ.厩坂宮 

(11)朱鳥元年(686)に謀反の罪で刑死し、のちに二上山に葬られた皇子は誰か。 

ア.舎人親王   イ.草壁皇子   ウ.大津皇子   エ.刑部親王 

(12)次の飛鳥・奈良時代の皇族のうち、天智天皇の子供でないのは誰か。 

ア.大友皇子   イ.元明天皇   ウ.持統天皇   エ.文武天皇

(10推古天皇が○○宮に即位してから、小墾田宮に遷都するまでの宮室である。

飛鳥の地に次々と宮殿が作られる端緒となった宮室で、飛鳥時代はこの宮の造営に始まったともいわれる。

豊浦の地は、推古天皇の母方の祖父・蘇我稲目の向原家のあったところであり、早くから蘇我氏の本拠地であった。

今は向原寺がある。

ヒントは豊かという字が含まれる宮です。

(11)母の大田皇女は、天智天皇の皇女で鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の姉にあたり、順当にいけば皇后になりえたが、○○が4歳頃の時に死去し、姉の大来皇女も斎宮とされたため、○○には後ろ盾が乏しかった。

そのため、異母兄の草壁皇子が681年に皇太子となった。

天武天皇が崩御すると、同年10月2日に親友の川島皇子の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ、翌日に自邸にて自害した。

弟に大来皇女が作った歌
  • うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む
ヒントは二上山に墓(近年では二上山山麓の鳥谷口古墳)のある皇子はこの人だけです。

(12)この天皇は、草壁皇子(天武天皇皇子)の第一皇子として誕生。

天武天皇皇が崩御、時を置いて草壁皇子が皇位につくものと思われたが、草壁皇子は持統天皇3年4月13日(689年5月7日)に薨御する。

祖母・持統から譲位されて天皇の位に即き、同月17日(9月7日)即位の詔を宣した。

当時15歳という先例のない若さだったため、持統が初めて太政天皇を称し後見役についた。

ヒントは、持統天皇の後で、元明天皇の間の天皇です。

今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆

(10) イ (11) ウ (12) エ 

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