こんにちは‥(^_-)-☆
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今の奈良も6℃と少し寒いですね‥(^_-)-☆
最高気温も6℃でほぼ昨日並みに寒いんですね。
今日は漱石の日なんですね?・・(^_-)-☆
1911年(明治44年)のこの日、文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」として辞退する旨を書いた手紙を文部省専門学務局長の福原鐐二郎に送った。
この逸話に由来して2月21日は「漱石の日」と呼ばれる。
また、夏目漱石の忌日である12月9日は「漱石忌」となっている。
夏目漱石は、1867年2月9日(慶応3年1月5日)、江戸の牛込馬場下横町(現:東京都新宿区喜久井町)に生まれる。
本名は夏目金之助。
父の直克は江戸の牛込から高田馬場までの一帯を治めていた名主である。
大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。
帝国大学(現:東京大学)英文科を卒業後、松山の愛媛県尋常中学校、熊本の第五高等学校などで英語を教える。
その後、イギリスへ留学。
夏目漱石は、日本文学史における不朽の名作を数多く残しました。
彼のデビュー作「吾輩は猫である」は、独特の文体と鋭い社会批評で、文学界に新風を巻き起こしました。
「坊っちゃん」「草枕」などの作品は、今もなお多くの読者に愛され続けています。
漱石の作品は、その時代の日本社会を映し出す鏡のような存在です。
その後、朝日新聞社に入社し、文筆活動に専念する。
1910年(明治43年)、『三四郎』『それから』に続く前期三部作の3作目にあたる『門』を執筆途中に持病の胃潰瘍で入院。
大吐血を起こし、生死の間を彷徨う危篤状態に陥る。
この時の一時的な「死」の体験は、その後の作品に影響を与え、後期三部作と呼ばれる『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』へと繋がっていく。
1916年(大正5年)12月9日、胃潰瘍の発作で大内出血し、『明暗』執筆途中に死去。
49歳。
森鴎外と並び日本を代表する文豪の一人である。
1984年(昭和59年)から2004年(平成16年)まで発行された千円紙幣に肖像が採用された。
第一人称が変わったきっかけは?
報告によると、子どもは2歳前後から自分のことを「○○ちゃん」「△△くん」などと呼び、自分と他人を区別できるようになっていくとしています。
「わたし」や「ぼく」と言うようになるのは早くても4歳前後からですので、もし心配されているママがいるとしたら焦らなくても大丈夫です。
「わたし」や「ぼく」と言うようになるのは早くても4歳前後からですので、もし心配されているママがいるとしたら焦らなくても大丈夫です。
だけど子供が意識して使っているとは思われませんね?・・
環境にも寄って変わる物なので、心配はいりませんよね。
だから何をいつから使ったかは覚えていませんよね?・・
受験対策もあって、漱石の本は2~3冊は読んだかも?・・
坊っちゃんにはもうなれませんね?・
だけど気づかない何かを貰ったんでしょうね。
今朝の血圧は146-76、脈拍は81、血糖値は105でした。
体温は36.6℃と少し低いかなあ?・・
昨日の散歩数は、2999歩でした?・・
買い物で出ようかと思いましたが寒いので家にある物で辛抱しますね。
今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆
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