風がささやく2
谷田茂
瞳は船が小樽港に近づくまで眠り続けた。
「ボ~~!」
大きく汽笛が鳴った。その音で瞳は目を覚ました。
「もうすぐ着くよ。荷物を取っておいで」
「はい」
そういいながら、瞳は窓の障子を開け、小樽の灯を見つめていた。
その後ろ姿はなんだか哀しげだった。
僕は黙ってそれを見ていた。
車両甲板の出口にほど近い場所に、グリーンのオペル・アストラが停めてある。
トランクを開け、瞳の荷物を積み込んだ。
「わあ、これ、みんな写真機材なの?」
「うん、アナログの中型カメラも入っているからね。ポスター大に伸ばすには最適だ。
それに、銀塩写真はデジタルに比べて発色が違う。」
「私には理解できない言葉だわ。でも、プロだというのは分かった」
「あはは。あまり有名じゃないけどね。さあ、助手席に乗って」
フェリーが接岸する振動が伝わった。下船口が開き、バイクが先に飲み込まれていった。
スタッフが手招きしている。スターターを回し、サイドブレーキを下し、ギアをDに入れた。
小樽はすっかり夜だった。5分もかからずにホテルに着いた。
フロントでシングルの空きがないか尋ねると、フロントマンが答えた。
「ラッキーですね。さっきキャンセルが出たんです」
「お、ついてる。旅の始まりは上々のようだね。荷物を置いて車で集合だ。
夕食を食べにこう」
なじみの小さな鮨屋ののれんをくぐると、大将が顔をほころばせた。
「らっしゃい。また、1年ぶりだね。お、美人の奥さんをもらったね」
「違うよ。今日、フェリーで出会ったばかりだ」
大将はにこっとしただけで、鮨を握り始めた。
鮨屋を出るまで、瞳は無言だった。
「すごい。とても美味しかった。味に圧倒されて何も言えなかったわ。大阪とは大違い」
「え?君大阪なの?」
「そうよ。あなたもでしょう?」
「言ったっけ?」
「車のナンバーが、『なにわ』じゃない。わかるわよ」
「なるほど。降参だ。さて、運河でも歩くかい?」
「もちろん。小樽の目当てはそこだけだもの」
観光スポットになっている橋の付近は駐車できないので、少し北に走ったところで停めた。
「小樽も観光化されたから、昔の運河の風情はこの辺しか残っていない」
僕の言葉に頷きながら、瞳は運河に映った街灯の光と古い倉庫をぼんやり見ていた。
その間、僕は三脚を立て、レンズを交換しながら、何ショットかカメラに収めた。
撮影が終わっても、瞳はまだ運河を見たままだった。
「そろそろ行こうか?明日は早起きして、素敵なところへ案内するよ」
名残惜しそうに振り向いた瞳の目が濡れたように光っていた。
翌朝7時にホテルを出発した。僕は石原裕次郎記念館のパーキングにアストラを停めた。
いい具合に空は晴れ上がっていた。
「まだ、開いてないんじゃない?」
「うん。目当ては外にあるんだ」
僕は瞳を裕次郎のヨットが見上げることのできる場所に瞳を導いた。
そして、カメラを空に向け、シャッターを切った。
そして、撮ったばかりの写真をカメラ背面の液晶に呼び出し、瞳に見せた。
「わぁ・・・この写真、どうなってるの?まるで海の底のヨットから見上げてるみたい。
上の光は太陽よね。どうしてこんなふうに写るの?」
「いちおう、プロだから」
瞳は液晶と実際の空を何度も見比べていた。
「ヨットと太陽。青い空。旅立ちにふさわしいね」
「素晴らしい体験をありがとう。人生が変わりそうだわ」
「大げさだな。これからもっと素敵なシーンを見ることになる。さ、行こう」
3につづく