鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

攻殻機動隊 新劇場版 見たゾ

2015-06-18 21:11:46 | 感想文


遥か太古より伝わる物語から、教訓を得る者、啓示を得る者、予言だと説く者...etc。

それは神話だったり、童話だったり、伝説だったり。


その殆どは遥か昔に生まれたものだ。

不思議だと思わない?

一体なぜ、当時より遥かに文明が栄えた現代にそういった"話"が生まれないのか。

否。俺は常に生まれ続けていると思う。遥か昔とは比べ物にならないほど高度な媒体を得て。

それは小説・アニメ・漫画・映画。インクを必要としない演劇、語りも同様に。




本日は、映画『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL 新劇場版』の上映開始初日。

見てきました。

自分はライトなファンだが結論から言って一片の文句も無し。ブラボー。「ここはもっとこうしてほしかった」なんて言葉は10回死んでも吐けそうにない。もう一回見に行きたい。

ざっくりの感想はひとまずそのへんで。


それがどうしたのか。

この作品は舞台が2029年。遠くない未来に電脳と義体が開発され、社会が今の何倍にも高度に複雑化した世界で人類が抱える(本編内でも、そして現代から恐らく未だ解決されていない)諸問題にどう立ち向かっていくべきかを、『攻殻機動隊』は視聴者に考えさせたいのではないかと、俺は思う。

仮に、数十年後に電脳と義体が一般化したとして人類の多くが直面する問題と『攻殻』内の舞台で扱う問題が一致とまではいかずともほぼ同一であるならば、マタイの福音書にある予言よりもよっぽど具体的で実際的な"予言"を、この作品はしていると思う。

ならばそれは、神話や伝説や童話や寓話の「現代版」とも言えなくはないだろうか?と思うのだ。


現代版の"それ"はきっと攻殻に限ったことではない。




「科学は生命を定義できない」

"個"の証明とはなんなのか?
ゴーストとは?記憶か、それとも自分と他人と他人を区別するための外殻か?
魂とは?

チャールズ・ダーウィンの『種の起源』を切り口に進化心理学・認知科学・生物学などの学問は目まぐるしい進歩を続けている。本能(或いは遺伝子)の望む目的がヒトにとって如何に不条理で不合理なものなのかが浸透し始めている。因みにその営みで有名な人物はダニエルデネットやリチャードドーキンスやキースEスタノヴィッチ。

電脳と義体を得て、攻殻の世界の住民達のように彼等は「魂の在り処とその定義」を探すようになるのだろうか?

この疑問に対する進化心理学の反応が非常に興味深い。



『攻殻』からは、知性の髄まで震わすような電撃を感じて止まない。

しかし、初見を見終えたところで内容の1割も理解できている自信がない。

見ていても全く処理が追い付かない。

そこで俺が思ったのは、パンフレットなりネット上の資料なりから情報を集めて細かい分析を何かしらのノートにまとめたら少しは理解に近付けるかもしれないんじゃないか、と。

そこまで考えて気付いた。それは出版社のライターなり編集者なりが仕事として行っているものと同じ作業ではないか?と。

登場人物達や彼等の所属する組織群の相関図の作成はまさにそれだ。話の流れや展開を文字に起こすのも然り。

ざっくり言えばそれっぽいことをやろうとしていた。



いいじゃん、やりたい。

俺の知る限り『攻殻』はとにかく"最先端"。そして俺が知りたい答えに最も近いような気がする。これ以外に動機が必要だろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする