鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【異端】無宗教と誤謬

2015-06-24 19:39:20 | 日記

自然主義的誤謬(naturalistic fallacy の訳語)』

『誤謬』:論理学における誤謬は、論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。
『瑕疵』:通常、一般的には備わっているにもかかわらず本来あるべき機能・品質・性能・状態が備わっていないこと。法概念としても用いられる。



自然主義的誤謬というのは、大雑把に言えば「自然が○○であるから、人間も○○であるべきだ」という推論が真ではないにも関わらず自然主義的な主張を行う場合に陥る誤りである。(自信がないのでwiki参照。笑)

自然主義的誤謬の例:戦争が人間の本性の一部であると科学的事実が示したなら、人間はみな戦争に賛成しなければならない。

道徳主義的誤謬の例:戦争は誤りであるので、それは人間の本性の一部であるはずがない。

懐古主義的誤謬の例:戦争は遥か昔から行われてきたものなので、それがなくなることはない。(俺オリジナル)


「ヒトにとって善とはなにか?」

「ヒトにとって幸せとはなにか?」

誰しもが一度どころか何度も考えた経験があるだろう。

十人十色、人の数だけ答えがあると思います。そしてそれら全てを一つにすることはできないと思います。

「ヒトは何の為に生きるのでしょうか?」

生物学が言うには、「人類という種をより繁栄させるため」だそうです。

しかしそう思わせるのは遺伝子、或いは本能の為せる業です。

ダニエル・デネット(心の哲学・科学哲学を専門とし、特に進化生物学や認知科学との関わりで人間の意識の問題などについて論じているアメリカ合衆国の哲学者)が考案した思考実験に以下のようものがあります。


『時は西暦2024年。あなたは、医学が進歩して不老不死が手に入るまでその体を冷凍保存することにした。あなたの身体が入った「極低温カプセル」はちょうど2404年になったら解凍されるようになっている。しかし、それまでの間に何が起こるか分からない。激しい天候や地殻変動が起きたり、人々による争いに巻き込まれたりしてカプセルの安全が脅かされる可能性は多いにある。あらゆる可能性を考慮して今のうちにプログラムを仕込みましょう。

名案があります!二足歩行型自給自足ロボットの腹部にあなたを保存しましょう。

更に!著しく変化する環境と時代にその都度臨機応変に対応できるよう、自己学習プログラムを備えましょう。

これで準備は万全です!地殻変動が起きる前に、地理条件が悪い場所を避け、エネルギーが半分を切りそうになったら省エネモードで活動したり、自分で補給場所まで歩いて行かせることができます。他の生物や人間が襲ってきたら自身の機能を損なわない程度の戦闘、或いは逃亡をします。必要であれば、同じような目的を持ったロボットと協定を組んで互いに行動したりエネルギーの貸し借りを行ったりします。』

さあじっくりシミュレートしてみてください。

2024年から2404年の間、極低温カプセルを内蔵したロボットが地球上で闊歩する世界は、現在我々が過ごしている社会とどのくらい違いがありますか?

せいぜい性器を介した生殖活動を行わないことぐらいでしょうか。



最先端の生物学が警鐘を鳴らしています。

気を付けてください!あなたの抱く欲望というのは、全てが遺伝子にとっての利益となるように仕組まれています。

気付いて下さい!あなたの信仰する神などは存在しません。

あなたはただのロボットです!どんな意志も、あなたの体内に宿す遺伝子が備えたプログラムの奴隷なんです。



「遺伝子(本能)の目的は、種の繁栄である」

誰にとってもこれが真であるならば、「支障となるユダヤ人」の絶滅を企てた優生学の信奉者であるナチスドイツの最高指導者であったアドルフ・ヒトラーのような人物は、人類にとって、もしくは生物として極めて効率的な行いをしていたと言えるでしょう。(※ユダヤ人が人類の繁栄にとって損だということを肯定したいわけではないのでくれぐれも悪しからず)

人は誰しも、自身の遺伝子を広く伝播させたいと望むことでしょう。しかし、時には自身の劣等性を自覚することにより、優秀な母体への生殖のチャンスを優秀な他者へ譲ることもあるでしょう。さらに、自身の延命が集団にとって負担となる場合は自ら命を絶つこともあるでしょう。

それらは延命手術を拒んだり安楽死を望む場合や、障害や病気が遺伝する可能性を孕んでいる場合など、現実にも確かに存在しています。

このような例から、人々が種の繁栄を人生における第一目的としていることは確かではないでしょうか。



何が言いたいのか?

冒頭に挙げた自然主義誤謬や懐古主義誤謬などのように、太古の歴史や人類史や自然からは「ヒトにとっての善や幸せ、生きる意味とは何か?」という問いの答えを導くことはできないのではないか、ということを言いたいのだ。

詭弁かもしれないが、自然が正しいとは限らない。然るに、昔の(人々の)考えが正しいとは限らない。

喜怒哀楽という感情さえも、それが遺伝子による効率的な自身の複製手段として備えたものだとしたら、それに抗えないなんてそんな惨めな話しがあってたまるものか。

結婚や出産や出世がめでたいのは、同じ目的(より繁栄)を持った仲間が良い仕事をしたから。

自身の血族が年収の低い(社会的身分が低い)相手と結ばれたがっているのに憤りを感じるのは、自身の遺伝子が劣化していく可能性を無意識に危惧しているから。

尊敬している(或いは大勢に尊敬されている)人物の死が哀しいのは、種がより繁栄していく可能性の低下を嘆いているから。


人々の多くは、遺伝子が巧妙に組んだプログラムとその目的について恐ろしいほどに無自覚かつ無関心である。

その最たるものが宗教の信者だと思っている。信仰によって精神的に救われている人がどの国でも少なからず存在している以上はそれを全否定するわけにはいかないのだが…。

主義主張(あるいは信仰)が人の数と同じ種類だけ存在している以上は、犯罪やテロや戦争は無くならないと思っている。

もし仮に、今回の内容で語る「遺伝子を守り、そして運ぶ存在こそがヒト」という説が真であるとして、それを全人類が自覚したとしたら?

俺が思うに、世界規模の人間選別が行われると思う。



お分かりいただけただろうか?

ヒトにとって、利己主義も利他主義も関係ない。ただただ「その身に宿す遺伝子の繁栄」という目的があるだけでそれに則った善悪という概念が、快苦というプログラムのハンドルによってどちらかに傾くだけなのだ。

聖人悪人教師偉人神なんて存在しない。

人類が地球上で滅びず、他の惑星に移住が成功していって更なる生息可能な環境で栄えてなお、この種を脅かし得る淘汰圧に遭遇しないとなれば……?

ゴールの見えない遺伝子繁栄レースを、永遠に走り続けるだけなのだ。

この緑豊かな地球に対しそうしてきたように、遅かれ早かれ惑星さえも消耗品と化すような想像もつかない時代が来るかもしれない。どんなに悪条件な地表でもヒトの適応を可能にする知性があるならば、天文学的な数量が宇宙に存在する惑星に対して「勿体ない!」などという感情を抱くなんてことがあるだろうか?

そう考えると、優生学も、社会の成長がもたらす質による淘汰も、ある生物の絶滅も、自然破壊も、人種差別も、厭うに足らないものかもしれない。

全ては彼等の種の繁栄にとって踏み台でしかないのなら、だが。

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