我々人間は日々、数えきれない回数と種類のバイアス、又は錯覚に晒されている。
それを応用して相手を騙す者もいる。3D映像や錯視を利用したトリック・アートも然り。
タイトルの「幻術」という呼び方は、古風というかRPGちっくなのだが、今回の記事ではとにかく人間の思考を欺くものは全てその括りであると思ってくれていい。
意図するしないに関わらずこの幻術を、人は誰しもが扱うし、時に利用し、時はその被害に会う。
幻術は、とかく物であれ事であれその本質を隠し、時にその形を歪める。
状況を問わず存在する数えきれないほど多くの錯覚や認知バイアスに、私達は気付けずにいる。
※【認知バイアス】とは、認知心理学や社会心理学での様々な観察者効果の一種であり、非常に基本的な統計学的な誤り、社会的帰属の誤り、記憶の誤り(虚偽記憶)など人間が犯しやすい問題である。認知バイアスは、事例証拠や法的証拠の信頼性を大きく歪める。
今回の記事を冠した「幻術耐性」という言葉の意味について。
人間の知覚が起こしてしまう認知エラーの過程や原因についてある程度の理解を持つと同時にそれへの対処法を心得ている者が持つ能力である。
彼等は生半可で小癪な惑わしならビクともしない。自身の知覚が錯覚に陥っているのを自覚しながらも、その能力によって物事を正しい姿に補正することができる。
この能力を鍛えることに意義を感じる者はまだ少ないと感じて止まない。
「少ない?いやいやそんなことはないでしょう笑」と言う者がいるのなら教えて欲しい。
あらゆるジャンルの業界が、消費者にとって実は損になりやすいシステムへと変化しているのはなぜなのか?
歴史的には戦争が人類の科学を育てたのは事実であっても、戦争をすることに意義がある理由にはならない。生死を問う状況という人々への強制感が人類をここまで成長したのは事実として否定しないが、今の科学を持ってすれば人々の潜在能力を引き出すために血を流す必要はないはずなのだ。
それができないのは何故かと言えば、主に一般市民や消費する側の多くが"騙す者"にとって"騙されてしまう者"であることが大きな要因だと俺は考える。
「騙すほうも悪いが、騙されるほうも悪い」本当にその通りだと思う。
企業のブラック雇用が横行するのも、低賃金に対し泣き寝入りすることを受け入れてしまう者と受け入れざるを得ない者が多いことが原因だ。
意見の主張に消極的な者の多くが病む原因であるとされる「空気」。この無意味な謎の物体が幅を利かせる原因も然り。
アメーバが他者の肉体を喰らい初めた時に生まれた"弱肉強食"のシステムが形を変えて現代社会に今もなお息をしているとすれば、騙される側は奴隷化という淘汰圧から逃れることはできないだろう。
『自由と尊厳を越えて/B・F・スキナー著)』(※未読w)という本で、20世紀において非常に影響力の大きかった心理学者の一人であるスキナーは(うろ覚えだが確か)こう語る。
「人口爆発を食い止めるのは避妊技術の向上ではなく、避妊道具を用いる人間を正しく教育するということ。つまり必要なのは"行動の技術"だ。」
俺はこの本を正しく理解していないし精読もしていないし読了もしていない(爆)。更に言えば10分の1も読んでない。(!?)
しかし、超ざっくりだが本書は「科学が目まぐるしく進歩しているのに対し、人間の内面的な成長がまるで追い付いていないことに警鐘を鳴らしている」的なことを言わんとしているんじゃないかとふんわり感じているw
人々は、人口が爆発的に増加したことと平均寿命が大幅に伸びたことからも分かるように確かな豊かさを得た。環境汚染や生態系の破壊という犠牲を伴って。
「水は低きを流れ、人の心もまた低きを流れる」ことを自覚して自分を律せられる人間が人口の殆どを占めていたらば、気付かなければいけないことは今ほど多くなかったんじゃないかと、切に思う。
今回の記事を書こうと思い至った理由の一つが『大石哲之』という人物について知ったことにある。
株式会社ティンバーラインパートナーズ代表取締役、兼作家、兼ブロガー、兼...色々と活動の幅が広くて彼の職業を一つに絞れないが、彼の背景にはその言動に確かな説得力を感じさせてくれるものがある。
彼の何に惹かれたのか?
きっかけはネットサーフィン中、リンクが貼られていた『なんの取り柄もない文系のノースキルの学生は、ブルーカラーとして就職せよ』という題名の記事である。
内容については省くとして、とにかく彼の考え方に親近感が湧いたのだ。
他の記事に『デフレの時代に、結婚式の単価はなぜ上がり続けるのか?つながり婚を流行らせたい本当の理由』というものがある。割り切れる数字の祝儀は縁起が悪いので三万円といういつから始まってるのかもわからないが常識にもなっているそのしきたりに言及した内容である。
要約すると、「"割り切れず少なすぎず多すぎない数字すなわち三万円"というご祝儀はブライダル業界がこしらえたものであって、当人達の幸せを願って包まれた筈のお金の行き先が実は業界の懐なのだ」と説くものである。(大石哲之殿、ざっくりですがおつむ不足ゆえに間違ってたらごめんなさいw)
実際に、招待された結婚式でご祝儀を払わず理由を訊かれた際にその説で応じたとしよう。見事に百回中百回猛烈な反感を買うこと間違い無し。
過半数以上の人間が通説だと信じるものにメスを入れる。つまりは大衆が触れるのを恐れるタブーに果敢に立ち向かう姿勢を、彼はお持ちなのである。
そして今回のテーマである幻術耐性を持った人間の一人であると思っている。
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