鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

冗長、無駄に。

2015-07-20 00:46:14 | 日記
思考ゲーム「Before memory」

目前に迫ったAとBの選択肢。
赤い服か青い服か、寝るか起きるか、買うか稼ぐか、白か黒か、快か苦か…。

些細なものから人生を左右する深刻な問題まで。

もし、自分の人生の経緯全てと、選択肢のうちどれが悪いものかを知っていたらば??

俺なら、明らかに悪いと思う選択肢だけをつまんで取り除こうとすると思う。

XX年 X月XX日 X時X分に俺は生牡蠣を食べて酷い激痛に見舞われるのは1周目で分かっている。このあとそれが尾を引いて色んな要素に波紋が広がり状況は悪くなる一方だ。なのでこの時間座標で生牡蠣を食べるという選択肢を排除する。みたいに。

強くてニューゲームと同じで現実にはそんなことは不可能だ。

だがもしも、今過ぎ行くこの人生は、実は"同じ世界の同じ自分の2回目"だとしたら?

我々は実は最低1回以上自分の人生を終えていてそれをまたやり直してるとしたら?

ただ、死と同じでそれを認識できないだけで。
ただ、死と同じでそれを自覚できないだけで。

実は知っているのかもしれないということだ。何を?アンサー、取り除かれるべき選択肢をだ。無論それを自覚できる人間はいない。我々はそれを、洞察や経験を根拠に選択していると思い込んでいるだけで。


因みにここまで語ったようなものは事実としては存在しないだろう。仮にこうしたシステムが存在するとすれば、生物の遺伝子にならあり得るかもしれない。

科学的に言うなら「運動反応」。
・黄色と黒の縞模様への逃避反応
・果実の熟成やメスの発情を発見するための赤色への注視反応
・酸味と苦味からくる吐瀉命令
・旨味と甘味からくる反復命令
・& more

これらは気が遠くなるような長い年月をかけて遺伝子が蓄えた繁殖や生存に有利な情報達だ。

このように、遺伝子は繁殖に有利な情報をその身に蓄えようとする。それらはこの人間社会という高度な秩序の中でも同じだ。

ジャングルでは不要な情報でも、先進国の社会では必要とされる立ち回り方というものがある。

上司や部下やチームとの人間関係、商売相手の心理状態、時代の流れ、などなど。

霊長類が火を扱うようになってからの文明の発達は地球史上において最も目まぐるしいもので、人間の歴史というのは地球にとっては西暦が5桁に到達したところで未だに浅いと言っても過言ではない。

生命が生まれてから数億年は軽く経過していて、人類の歴史はまだ始まったばかりだ。その始まったばかりの歴史の前線の少しの部分で遺伝子が次世代に残したい情報を蓄えようとしてもたかが知れているだろうと思うのは当然なことだ。数億年に比べて二千年程度?冗談もいいとこだ。遺伝子が次世代に有利な習性を与えるための時間がどれだけ必要なのか少し考えれば確信に至らなくとも予想できることだろう。

だが今回のテーマは思考ゲームだ。

親は子供に、自分の愚かさゆえに味わった後悔や挫折を味わって欲しくない。失敗や敗北から得る成長があるゆえに必要な苦しみはあっても、間違った選択肢から生まれた災難や不幸からは遠ざけたい。

大人である親は自身の記憶と経験を頼りにある程度の正解率で選択ができるが、言い聞かされただけで実体験の足りない子供にはどうしても不安が残る。

GPSや防犯グッズなどを利用することで子供の判断が不要な領域で保護できても、横断歩道を安全に渡るには教育と子供自身の学習と成長が不可欠だ。

できることなら既に確立しているこの判断能力をそのまま与えることができればいいのに。強いて言うならこの記憶さえも。

そう。記憶。

年齢とともに後悔が増えていくのだ。やり直しがきくなら是非もないエピソードは誰しもが抱えている。

自分の子供はまさしく自身の写し身である。欠けているのは記憶だけであり、肉体や習性が交配相手の持つ要素とのブレンドであるというだけだ。

可能ならば俺の失敗や後悔を全て回避するために、その苦い経験と記憶をペーストできたらこれ以上のことがあるだろうか?

しかし現実にはそんなことは不可能だ。

けれども現実には同じようなことが実は起きているんじゃないかと、俺は思う。

両親を反面教師として見ることもある。彼らの昔話や生い立ちの話はその質を問わず吸収率が抜群だ。

親達の叶わぬと思っていた願いは実は半分近く或いはそれ以上叶っているのかもしれない。

まぁそんかことはどうでもよい。

もっと言えば、有性生殖なんてかったるい方法に頼らずとも自分自身が不老不死であればあらゆる悩みは解消されるのだ。

記憶や経験を教える必要もない。自分という存在が不老不死であればほぼ半永久的に終わらないのだから。わざわざ伝える必要はない。



おーっと話が逸れた。



思考ゲームね。

俺たちは実は1周以上この人生を過ごしている。

実は今まで周回してきた記憶は知覚できない領域に全て残っていて、無意識のうちにそれらが判断を左右している。

そんなはずはない。うん、俺もそう思う。

ここからが本題。

もしそうであるなら、俺はその都度どういう間違え方をしてきたのだろう?

Aならどういう結末を迎えるのだろう?



今回の内容、つまりこの思考ゲームってみんなが当たり前のようにしてることなんだよね。

単純な話が「後悔したくない」ってこと。

後悔の経験を頼りに、更なる後悔を避ける。これだけ。

ただ、思考ゲームではそのプロセスが逆だっただけ。

既に結末がどうなるのかという情報がある場合が思考ゲーム。予想するしかないのが現実。

厳密に言えば現実にも、ある地点以前の記憶と経験はあるわけだからそれを頼りにするなら前者ともそんな変わらないけどね。

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