鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【考察】鉄は熱いうちに打て

2016-10-22 04:16:16 | 考察

DVD『UTADA UNITED 2006』のYou Make Me Want to Be A Manは俺史上最も感動したシーンである。

この時の感動は凄まじかった。強烈な感動と共に、宇多田ヒカル本人への羨望や嫉妬などといったありとあらゆる感情が湧いてカオスな状態に陥った。その時を境に、宇多田ヒカルという存在が俺の注意を根こそぎ奪っていった。活字に多く触れるようになったのも、音楽を自分でも始めようと思ったのも、語学に熱心になったのも、全ては彼女が始まりだった。

その時に、自分が身を置いている環境や状況さえ顧みずに全身全霊で宇多田ヒカル一色になろうとしていたら今ここでこういう文章を綴ってはいなかったかもしれず、もっと別のことをしていたかもしれない。タイトルにもあるように、「鉄は熱いうちに打て」その凄まじい感動という熱によって硬度の下がっていた鉄を全力で打ち続けていたのなら。


なぜそうならなかったのだろうか。その時に、俺に力がなかったのか。或いは適した環境ではなかったのか。これがもし、英語が堪能で、いつでもロンドンなり他県なりへ移住できるような経済力があって、楽器演奏や曲編集の能力があったのなら、俺は今ここには住んではいないかもしれない。今ある友人とのつながりも薄く細いものになっていたかもしれない。

この宇多田ヒカル・インパクト(謎)だけに限らず、人は一生のうちに「鉄が熱いうちに打てるとは限らない」。打てる時に鉄が熱くなるとは限らないし、鉄が熱くても打てないこともある。冷めた鉄を打つこともあるかもしれない。

俺はここ最近つくづく「鉄は熱いうちにうつべきだな」と痛感する。こうした唐突に湧く執筆欲も、眠るべき時に訪れるアイディアも、ちょっとした衝動も、何れも等しくタイミングを置換できないものだということだ。

合理的に考えれば、今夜は早めに寝て、体力も十分な明日に行うべきことは明白。しかしこの興奮は今この状況でしか活かせないものだということを翌朝に知ることになる。自分の中の情熱だけに限らず、他者からの依頼や招待も同じものである。必ずしも「明日でいーじゃん」というわけにはいかないのだ。



人の一生のうちに、最低でも数回、多い人ならもっとだろう。鉄が熱くなる時が必ず訪れるように思う。そして環境や状況に限らず打つことを選んだ者や、ちょうど環境や状況が好適だった者が、その鉄の形を変えられるチャンスを得る。加えて、鉄が熱くなるのをじっと待っている者もいるように思う。さらに言えば、自ら鉄に熱を宿す力を持っている者もいるのだろうと思う。

これは決して啓発ではない。単なる教訓である。湧いた情熱すなわち「鉄が熱くなった瞬間」が、他でもない自分の身が起こす現象である限り、それは打つべき鉄なのだと俺は強く思う。

おーわりっ
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