スポーツ選手でも歌手でも芸能人でも職人でも学者でも、誰でも、人生でおそらく一度…極々稀に二度以上する人もいるかもしれない。
歌手。満員になった会場で全力のパフォーマンスを披露しているその姿はやはり輝かしい。彼彼女は自分の中にある情熱や理想や信念を、そして人生の集大成を声や表情や動きに込める。数々の辛苦を乗り越え、自分の殻を破り、立ちはだかる壁や迫る谷を超えて、確かな成果を生み出し続けていくということは、その人は覚醒を済ませているということなんじゃないかと思う。
成りたい自分になっている、それを覚醒と呼んでもいいし、それは成功と同義でも良い。特別or稀有な能力に目覚める前の人は覚醒していない。運動能力、歌唱力、表現力、計算力、発明力、etc。
脚光を浴びなくとも、成りたい自分に成れている人のことが心の底から羨ましい。俺はモブキャラの1人でしかない。まるで若者が「自分探し」でかっこ悪く足掻いているような、そんな懐かしい感覚になる文章を書いている気がして恥ずかしい。昔はこんなことばかり書いてたなぁ。ださい(笑)
そんな時代からもうだいぶ月日が流れた今でも、大した人間には成れていないこの事実を直視すると、膝から崩れ落ちそうになる。なにがって、何を目標にするべきかも分からないでいることほど空虚に感じられるものは無いからだ。
過去の自分と今の自分ではほとんど差が無いどころか、若い分だけ昔のほうが良かった可能性すらあることが更にも増して辛い。
ネットサーフィンはすっかり日常で、覚醒した人たちを目にすることも日常だ。ゆえに、羨望ばかりが募って辛い。だったら動き出せばいいじゃん。
情けないねぇ。ほんと。
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