private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権

2016-03-20 10:29:11 | 連続小説

SCENE 25

「あーら、ほんとに来てたのね」
 背後から声をかけられ、慌てて振り返る戒人。腕を組んで首をかしげている恵がそこにいた。白いスラックスが人ごみの中でもひときわ華やいで見えるのに、残念ながら戒人にはそれが目に眩しく、うまく正視できない。それはけして容姿だけではなく、充実している生活や仕事ぶりから湧き出ているため、戒人には余計に眩しい見えるのだろう。
「でっ、どうするの? 人力車でどこ行くの」
 それだった。自分の… と言うより悠治との共同… と言うのもはばかれるほど、ほとんど悠治に言われるがままに作り上げた成果について自慢したいものの、乗せてどうするかまではノープランなのは戒人ならではだ。そして、それをいままで考えていたけれど、なにも思い浮かばないまま時間がすぎ、いまに至り、目の前には結果をコミットさせようとするやり手の部長が、今や遅しと待ちかまえている。
 何かを生み出すときは無理やりでもその状況を追い込み、逃げ場をなくすことで、クリティカルヒットが生まれると、啓発本で読んだはずなのに。そんなアドバイスを何度も耳にしていたのに、良いアイデアを考え出せる人間は、そんなことしなくても湯水のように出てくるし、追い込まれたら追い込まれたで逆転の一発を打つこともできる。
 自分だって追い込めばできるものと、ひそかに期待していたのに、やはりなにも出てこない現実を見せつけられれば、おのずと自分の限界を知らされ、なりなんともやりきれない。本気を見せないのは、本気になれば自分はもっとできるという、最後の生命線を残しておきたいからでしかない。
「こっちでしょ」
 業を煮やしたふうの恵は、勝手に西口の方へ歩いて行った。戒人もしかたなくついていく。
 目の前を自分の理想が歩いている。自分のやりたいことがわかっている。ゴールが見え、そこへたどりつくために方法がわかっているしアイデアもある。人をどう動かせば力になるかわかっている。自分には何ひとつ持ち合わせていないものを彼女はすべて持っている。そういう人間になりたいなんて思って生きてきたわけじゃないはずなのに、いざそんな人間をまのあたりにすれば、自分はただ、見たくない現実を避けていただけで、相手の大きさと自分の小ささが否応なく比較され、上っ面だけでものごとを判断して知ったかぶっている自分を目の当たりにする。
 人力車はひとつ先の曲がり角の奥に留めてあった。恵は人力車のまわりを一周してなにか変ったところを見つけようとする。引き手にペダルのようなものが付いていて、そこからチェーンが車軸の方につながっていた。
「ふーん、これが改良のあとね。どんな効果があるのか見えないけど、乗ってみればわかるってことかしら? タコス屋にでも連れてってもらおっかな」
「ダメっス。アイツのとこには行けないっス」
 突然、強い口調で否定をするので、恵はたじろいでしまった。仁志貴のタコス屋に行けないのも数少ない戒人の選択肢を狭めている原因のひとつだ。
「なに? どうしたのよ。ケンカでもしたの?」
 そういいながら、瑶子のことでゴタついたのだと察しはついた。どんな諍いになったのかまでは知らないものの、三人の緊張がくずれ不協和におちいっているといったところか。
「いえ、何でもないっス」
 ふーんと、とりあえずは関心なさそうにして人力車に乗りこんだ。
「あらっ、乗り心地いいじゃない。こないだよりなんか、ゴツゴツしてないっていうか」
「板バネの代わりに、エアサスつけたんス」
「へーっ、よくわかんないけど、空気圧で振動を吸収してるってことね」
「木の輪っぱも外して、自転車の車輪付ければもっとよくなるんスけど、間に合わなくて来週ぐらいならできると… 」
「それはやめた方がいいわ。見た目はいまの状態をキープした方がギャップが面白い。この見た目なのに速く走れるってとこに魅力があるでしょ。そうね、せいぜい自転車のタイヤを木輪の周りに貼り付けるぐらいが適当ね」
「廃タイヤならいっぱいあるし、それぐらいならすぐにできるかも」
「それで充分。そのペダルも、チェーンもできれば見えないようにしたいわね。まあいいわ、商店街を流してみて」
 恵は前のめりの状態で試運転を急がせた。戒人はひょいと引き手を片手で持ち、ゆっくりと歩き出した。
「なに? すごく軽そうね。こないだとは大違いじゃない」
「車軸にベアリング噛ませてあるんで、転がり抵抗が少ないんス。それに、無段階ギアのおかげで走り出しは少しの力で動くし、スピードが乗ってくればこのレバーを引いていくと… 」
 説明しながらスピードを上げて軽快に走りだした。
「同じ力で、進む距離が延びるんス。ペダルを手で回すのも、少ない回転で前に進むから一歩の距離が稼げるというか… 」
 悠治に言われた言葉を、よく意味もわからず、右から左へと説明しただけだった。膝についた両腕で頬杖を付いた恵は目を細め、戒人の説明と乗り心地を楽しんでいた。機械的な意味はわからなくとも、戒人の努力と、周りの協力を得る人間性が伝わってきた。あの運動能力ゼロの戒人が、これほどテンポよく走れているのは奇跡に近い。
「 …やるじゃない」
「えっ?」
 小さくつぶやいた恵の声ははっきりとは戒人に届かなかった。聞き返されてもほくそ笑むだけで同じ言葉は繰り返さない。今の段階で調子に乗せるのもしゃくだ。
「ねえ、あれはナニ屋だったの?」
 ページをめくるようにして流れていく商店街の街並み。戸板でとざされていても、外観で店の印象は伝わってくる。古めかしい風情も郷愁を誘うし味わいもある。
「あれは、畳屋っス。あととりがいなくて5年前に店じまいしました。あととりがいたって、いまどき誰も高い金出して手作りの畳買わないっスよね。大手の住宅メーカーが海外から安いビニール畳取り寄せてますからね」
「そう。店主はご健在なの?」
「健在も、健在。ヒマと体力、持て余してるもんだから、ほうぼうのマラソン大会とか出まくってるらしいっス」
「へーっ、マラソンね。あなたも、ぜんぜん息切れないわね。体力持て余してんるんじゃないの」
「少しの力でラクラク進むからっス。あっ、ここは肉屋だったっところで、あげたてのコロッケがすっげえうまかったんですよ。その向こうは、花屋。一度だけ、決死の思いで母親にカーネーション買ったことがあって、店のおばちゃんにからかわれて、小っ恥ずかしかった思い出があるんス」
 そんな調子で戒人はひととおり商店街の店屋を紹介して回った。これで、人力車を引く間が持ち、助かった思いだった。恵にとっても、改めて商店街の概要がよくわかり、戒人が話すひとつひとつのエピソードもなかなか味わい深く、子供のころの思い出をよく覚えていると感心しつつ、自分の中で新たなアイデアが芽生える予感があった。
 商店街の端まで来ると人力車は静かに止まった。そこは普通よりも大きめの時間貸しの駐車場があり、そうなるまでは広い建物があったと思われる。
「そしてここが、ポルノ映画館と、ストリップ劇場が併設されてたところなんス」
――なぜ遠い眼をする? 子供の時の思い出に。
 少しでも戒人を見直したことを後悔した。それをこらえ、素直に商店街を見て回った感想を述べることにした。
「昔はさぞ賑やかだったんでしょうね。あなたの話しを聞くと、それが映像のように甦ってくるわ。大切な思い出がいっぱいね」
「そうっス」
「それがいつまでも続くと思っていた… 」
「思ってたっス」
「それがこの商店街の、みんなの当然の未来だったはずなのにね」
「でも、そんな未来は来なかったっス」
「でしょうね。消費者の目は厳しいものよ。誰だってもっと良い未来を望んでいるし、自分が望む未来を具現化してくれる何かを求めている。それを夢見させてくれるのは代り映えのしないここではなく、常に変化していく新しい場所なのよ。そんなものはみんな虚像でしかないのにね。でもいいのよ、それで。代り映えのしない現実を見ているより、よっぽど楽しいのは間違いない。新しいものは正義で、変わらないものは悪みたいな風潮は、どうしたってわかりやすい構図でしょ」
「セリフが長いと、合の手が打ちづらいんスけど。どのみちよくわからないから、合の手が打てないスけど」
「漫才じゃないんだから。オチつけるとこじゃないし」
「でも、ほんとに楽しかったっんスよ。子供の時、オレにとっては、ここはすべてが遊び場で学び場だったから。いまでいうところのアミューズメントパークとか、学習体験型エンターテイメントとか… 」
 恵の目が鈍く光った。――つながった!
「遊び場が、学び場ねえ… 」
「それと同時にね、人生の光も影もあったと思うんスよね。いまだったら、見ちゃいけないものだっていっぱいあったけど、誰もそれを隠そうとはしなかった。どうせいつかは知ることだから、隠し立てしたってしょうがないのに、そんないつまでも夢の国の子供ってわけにはいられないのに… 」
「あー、そう、そうね、それはつまり、規制の中できれい事だけ見せられた世界ではなく、何時かは知るであろうダークな部分も、子供の時から目にする人生勉強の場でもあったと考えればいいのかしら」
 こんどは人力車から降りてゆるめに腕を組み、前方に広がる商店街を見渡す。
「あなた、その割にはスレてないというか、悟ってないというか、言うほど人生経験の役立ってないみたいね。やっぱりおバカさんだから? それとも内面はずいぶん歪んでるとか?」
「いやいや、自分はオモテに出さないタイプなんで、奥ゆかしいというか、秘めたる思いを持つ影のある男っていうか。どうっスか、そんなの」
「うーん… 自分で言ってる時点で、ないわ、それ。でも、まあなんも考えずに生きてるわけじゃないってことだけは、あらためることにするわ」
「なんスかー、それ。部長さんも見る目がないっスよ、それじゃあ。ガツガツと意欲ばっかり前面に出して、オレはやってるんだと見せかけているヤツが、すべてイイってわけじゃないんですよ」
 恵の脳裏に重堂の顔が浮かび、頬が軽く痙攣した。
「だからかしら? なにごとにも関心を持たず、積極的にかかわらず、目立たず小さく生きているのは。いわば父親の反動… 」
「あのですね、それは反論しませんよ。親を見て育ったんだから、あんなふうになりたくないと思っても、なりたいって思っても、それに関わりたくないと思ったところですべて影響下にあるんですからね。そう思えばどんな親から生まれてくるかってことも、どんな環境で育っていくかって、実はすんごく重大なことなんだって。残念ながら親も場所も選べないのは不運でもあり、幸運でもあると思いません? かたや家の都合で学校にも行けない子がいると思えば、自動車の送り迎えで行く子もいるのが現実だし」
「あなた、取り合えずネガティブな面から入るのが問題かしらね。それはそうとして、つまりは、この商店街の盛衰とともに自分の成長期があり、その舵取りをしてきた父親の姿を見て、こんな自分になってしまったというエクスキューズが成り立つって言いたいわけなんでしょ」
「えっ、ああ、ぜんぜんそういう意味じゃなかったんスけど、それカッコいいから今度から使わせてもらわせます」
 いいフォローができたと、したり顔で腕を組んでいた恵の右肩が落ちた。
「でも、この商店街でいろんなことを覚えたのは事実っスよ。さっきも言いましたけど、子供の頃から人間のダークサイドな話にはことかかなかったス。店番してるのに寝てばかりいるおばあちゃんの駄菓子屋で、ちょくちょくニシキたちと万引きしたんスけど、実はぜーんぶバレてて、ひとりで行ったときにぼそっと、そんなことしちゃダメだよって、ひとことだけ言われてそれが身に染み、もう二度としなくなったこととか。電気屋の親父とクリーニング屋のおばちゃんが浮気してて、本人たち以外はみんな知ってたとか。繁盛してる八百屋の店先に、繁盛してない八百屋のオヤジがこっそり犬のフンを蒔いてたこととか。あと… 」
 戒人がひとつずつダークなエピソードを話すたびに、恵のあたまが沈んでいった。
「たしかに、普通に子どもには見せたくない多くのサンプルには、こと欠かないようね。そもそも最初の話はあなた自身の子供の頃のダークな話しだし… 」
「あっそっか。でも、それ以外だって、いま思えばすっごくいい経験だったし、でも、そんな大人がイヤだなんて思わなかったっス。選挙運動の街宣車で、皆さんのために働かせてくださいなんていうヤツより、よっぽど信用できたような。アミューズメントってのはなにも商店街の雰囲気だけじゃなくて、そこに住む人たちのキャラも相まみあっての話なんスよね」
「キャラねえ… 」
「オレたち、子供の時にはこの商店街でほとんどの職業体験してるんですよ。たとえばお使いで、肉屋でコロッケ買いに行ったりすると、おばちゃんが急にキャベツたりなくなったからとか言って、八百屋に買いに行っちゃって。そんで、そのあいだオレに店番頼んで行っちゃうから、仕方ないから待ってて、おばちゃん帰ってくると、メンチ一個おまけしてくれたりして。悠治の自転車屋も、新型の子供用の自転車が入ると必ず試し乗りさせてくれるから、感想言うと、おっちゃん、こんどそれメーカーに伝えとくとか言ってくれて。そんなことが一事が万事で、いまじゃ考えられないでしょ。ショッピングモールでそんなことできないし。だから… だからですねえ、こんないい場所が無くなっていってしまう、この国の進歩っていったいなんなのかなって思うと… どうにも… 」
 今度は恵は、なんの遠慮もなく力強く腕を組み、仁王立ちをする。戒人はそれに気付かず自分の仕事体験の続きを語っていた。
――この子、なんだかんだといって、使いようがあるわね。というか私との相性がいいのかしらねえ。本人は一切意識してないはずなのに、会う度に、いいイメージを投影してくれている。
「 …なかでも、ここのストリップ劇場で掃除当番すると、キレイなお姉さんが素敵な衣装で通りかかったりして、たまに、胸の谷間サービスとかあったり、こんないい場所が無くなるなんて… 」
――あーっ、ひとこと多いというか、やっぱそこ?
 しゃがみこむ恵に対し、懲りもせず少年時代の甘酸っぱい思い出を語り続ける戒人だった。