おれが朝比奈との今後を極めて真剣に、若干自分に都合のいいように妄想していたら、いつのまにか子ネコを強く抱きしめていたらしく。朝比奈からいただいたミルク、、、 牛乳を飲んだネコは、安心感もあって、溜まりに溜まったモノをなんの躊躇もなく、おれの胸に、、、 まあ、朝比奈の胸じゃなくて良かったけど、、、
いやまてよ、もしそうだったら、濡れたシャツから透けた、、、 いやいや、そうじゃなくて、ウチに上がってもらって、おフロでもって、そのあとにおれがいただいて、、、 うーん、さっきまでの殊勝な気持ちもどこへやら、おれの変態妄想も加速するばかりだ。
「アンタ、ほんとにドンクサイわねえ。子ネコ一匹に手間取って、挙句の果てにお釣りまで貰っちゃってりゃ世話ないわよ。早く服脱いじゃなさい。あっ、洗濯機に直接入れるんじゃないわよ。洗面で流してからでないと、他の洗濯物に移っちゃうからね」
どうやら今日は洗濯物に縁があるようで、マサトの小言に続いて母親からも指南を受けることになった。それがこの夏の、唯一の学習成果にならないといいんだけど。
おれはやいのやいのと言う母親のあとについて洗面所に向かった。子ネコの粗相が染み込んだTシャツは、慎重に脱がないと顔で拭うはめになる。おれは首の輪っかをなるべく広げて、息を止めて顔や髪につかないように脱ぐようにした。脱いだTシャツはすかさず洗面に放り投げる。これでいい。
「なにやってんの、自分で流しなさいよ。そこまで面倒見ないわよ。臭い取れるかしらねえ… あらっ? アンタ、子ネコどうしたの? そのまま置いてきたって。バッカじゃないの? また、隙間に入ったら元の木阿弥でしょ」
ハイ、もう何とでも言ってください。私が悪うございました。早く洗面に行けと追い立てたのはアンタじゃないか、と言いたかったけど止めておいた。
廊下に牛乳は溢さなくても、結局は同じようなことで叱られるハメになったおれは、バッカじゃないのじゃなくて、バカそのもので、母親の持ちネタをまたひとつ増やしただけだった。
「ほら、ボヤボヤしてないで、早く子ネコ見てきなさいよ。服なんかあとで着ればいいでしょ。これだけ暑いんだからハダカで十分よ、また汗かいて洗濯物なんか増やさないの。終わったら、そのままおフロ入っちゃいなさい」
ハイ、おれは母親のおおせの通り、上半身ハダカのまま外にほっぽりだしてきた子ネコを回収しにいった。
そんなアホなおれとは違い、出来のいい子ネコは従順にも門戸に鎮座してた。一宿一晩の恩義でも感じてるのか、、、 一宿はまだしてないけど、、、 一食のみでも恩義を果たそうとしたのか、それともコイツに付いてけば、オマンマの食いっぱぐれは無いと計算高い判断か。どっちにしろ野性の勘であったり、危機管理能力はおれより秀でているのは間違いない。
おれが門戸で子ネコをピックアップして、玄関に戻ると、新聞紙を敷き詰めた段ボールを持った父親が不機嫌そうな顔をして立っており、おれに突き出すようにして渡してきた。きっと、新聞なんか読んでないで、空の段ボールと溜まってる古新聞でネコの棲家を作るようにとか母親に言われたんだ。役目が終わった父親はあたまを掻きながらダイニングに戻っていく。つまりはあとの仕事は全部おれに背負わされたわけだ。
この家の男たちはひとりの女性にいいように振り回されている。オマエもめでたくその仲間入りできるぞ。あれっ? てことはこの母親は子ネコを飼う気なのか。
生き物を飼うなんて絶対しないタイプだ。金魚もカラーヒヨコも死んだ時は二度と飼わないでちょうだいと釘を刺された。どういう風の吹き回しか、気まぐれかなのか、朝比奈の影響力か。どっちにしても母親についていけば生きていけるんだから、おまえは運が良かったんんだ、、、 きっと。
おれは子ネコを段ボールでできた宮殿にそっと置いてやった。古新聞のインクの臭いが気になるのか鼻をピクつかせてしかめっ面をしている。そのうちなれたのか丸くなって目を閉じた。
そりゃあコンクリの壁の隙間に比べればよっぽど寝心地がいいはずだ。明日になれば母親が古タオルでも用意して敷いてくれるだろう。よかったな。とりあえず生きながられることができて、、、 一晩放っておいたおれに言われたくないだろうけど。
この子ネコが幸せになるのがどの選択肢をたどった場合かなんて、あと何十年もしなきゃわからない。それこそ死ぬときまでわからないはずだ。
そんなことがわかっていれば誰も苦労しないし、誰もが幸せな選択をできるはずだ、、、 このおれだって、、、 そう、このおれだって数年後の自分がどうかなんて、いま進んでる道が正しいかなんて、、、 そもそも、なにが正しいかさえわかんないし、、、 わかるわけのない道を、ただ、どこかにあるはずの正解を求めてるだけなんだ。
例えばもし、このネコが隣の家に助けられたらどうだったろうなんて、おれがもし隣の家に生まれたらと想像するに近いことで、そんなこと言い出せばキリがないんだけど、偶然にも我が家に収まったこの子ネコと、おれの行く末を考えれば、まったく考えないわけにもいかなかった。
いったいなにが人の、、、 ネコの、人生、、、 猫生? ああ、めんどくさい、、、 とにかく、その運命をつかさどっているんだろうかなんて、おれたちはこうやって、自分で選んでいると勘違いしながら、まわりに振り回されているだけなんだ、、、
だからっていつまでも、選ぶことを拒んでいれば、それはたとえばいつかは現れる王子様を待つオンナのように、理想のオンナとの偶然の出会いを信じているオトコのように、それ以外をすべて妥協と思えてしまい、おれたちはもうそこから前には進めないだろう。
おれはそのまま風呂に飛び込み、夕食もそこそこにフトンに入った。母親は、食欲ないわねアンタもミルク飲む?なんてからかってくる。父親は極力関わらないようにしている。
おれだって子ネコの将来の心配より、自分の「もしも」を心配するほうが先だろって、、、 休み明けの「模試も」心配だ、、、 おっ、うまいか?
そんな現実的な危機を身に感じてしまったのが運のつきだったのか、もんもんとしたまま寝入っていたら、あろうことかおれはバイトで扱き使われている夢を見ていた。起きている時も扱き使われて、せめて寝ているあいだくらいは、いい夢見てればいいのに、これが貧乏暇なしってヤツなんだろうか。
自分に負い目があると夢見が悪いって聞いたことがある。日頃から人に迷惑をかけることをかえりみず、ろくな人生を歩んでいないおれは、こうやっていろんな罰を受けながら、それでも懲りずに、また思いやりとか、親切心とかを偽善な行為だとか、自分の都合のいいように解釈してひねくれたまま生きていく。
それがちゃんと自分に跳ね返ってくるってわかっているのに、ノド元過ぎれば熱さ忘れる、、、 あっ、最後まで言えた、、、 で、おんなじことを繰り返している。
翌日も、朝から暑かった。玄関脇に置かれた段ボールには、満足気にごろ寝を決め込んでいる子ネコが、気持ちよさそうにしている。やはり母親はタオルを用意していた。それもお古でなく新品を。どんな思い入れがあったのか母親に愛されてよかったな。
おれといえば二度寝したいのをこらえて、バイトに、、、 図書館に勉強という名目の、、、 でかけるっていうのに、コイツはのうのうとして、しかもめんどくさそうに片目だけを開けおれを見定めると、さも興味もなさそうに、大きなあくびをひとつして、すぐに閉じてしまった。
そうだよな、もうおれは用済みだ。おれに愛想を振らなくても、誰からメシがもらえるのかわかってる。
昨夜出しておいた牛乳は、まだ皿の中に残っていた。おれはもう十分だからいいだろって母親には言ったのに、育ち盛りなんだからとかなんとか、あんたの時だって、なんて講釈をはじめたから、もう好きなようにさせておいたら案の定余っている。
子ネコが大切にチビチビと飲んでいるわけじゃない。動物とか子供とかって腹が減れば口にするし、満たされれば残ってたからってもう食べるのを止めてしまう。もったいないとか、残さず食べろなんて説教が通用するはずもなく、母親に言えば傷んでるかもしれないからって、新しいものに取り替えてもらえるだろう。
壁のあいだで人知れず餓死するかもしれなかった状態から、一転、星の王子様へ転身ってわけで、、、 ホシノ家だけに、、、 いまだけを考えれば羨ましい限りだ。人生は何が幸いするかわからない。
人間が小さいおれは、いやがらせのつもりで、足先でダンボールを蹴ってやったら、箱の中で子ネコはカラダを身構えた。だけど鳴き声も立てずに、それ以上の危険がないことを知ったのか、なにごともなかったように再び寝に入った。
おれとしてはそいつが気に入らなかったんだけど、どうやらこのウサ晴らしがいけなかったようで、その日以降からおれに襲い掛かってきた不運の数々の直接の原因になったのか、ネコは執念深いっていうし、、、
もう子ネコのスイートホームを攻撃するのは止めよう、、、 後悔先に立たず、、、 後悔してもすぐに忘れるくせに、、、 同じこと繰り返すくせに。
そしてその日、またひとつの厄介事がおれにまとわりついてきた、、、