private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over20.21

2019-12-07 06:52:57 | 連続小説

「よう、待たせたな」
 ケイさんがかたずけを終えて戻ってきた。おれもようやく解放されたところだ。
「どうだった。皿洗いのバイトは。スタンドとはまた違うだろ」
 どうだって言われても、3時間ずーと同じことしているのは、なかなか厳しかったとしか言いようがなく、そのうえグラスも、皿も、スプーンも、フォークもなんか高そうで、特にワイングラスはセロファンみたいに薄っぺらで、少しでも強く握れば粉々になってしまうぐらいで、気をつかってカラダがバキバキになった。
「おっ、わかるか。そうなんだ、ここで使ってる漆器類は最高級の本物だ。よかったな割らなくて。一枚でバイト代が吹っ飛ぶだろうからな。マリイさんにいくらもらった?」
 おれはマリイさんにもらった封筒を取り出して中をのぞいてみた。一万円札が一枚入っている。ケイさんは横目でのぞいて、まあそんなもんだなと笑った。おれはてっきり千円札が一枚と思っていて、てことはおれが洗ったモノはみんな一万円以上するのかと知り、いまさらながらに冷や汗が出てきた、、、 やるまえに聞かなくてよかった、、、
 いったいこの店はなんだんだろう。外見はどこにでもありそうな安キャバレーぐらいにしか見えないのに、入っているバンドも、店の調度品も本物だとは。実際に営業中の店内は見れなかったけど、その客層は安給料のサラリーマン相手ではなさそうだ。
「おれもさ、最初は腰抜かしたよ」
 ケイさんは春空色のチンクのドアを開けようとしたて、カギがかかっていて開くことができず手をあげた。朝比奈はカギをかけてクルマをとめておいた、、、 あたりまえだ。借りモノだし、、、 
 店の駐車場に止めておくのにいちいちカギはしないそうで、ポケットからカギを出して差し込み中に乗り込んだ。助手席側のロックをはずしてくれたのでおれも乗り込んだ。
「こういうところ、調子狂うな。ひとにクルマを貸したあとは。ホシノ、家のほうは大丈夫なのか」
 家には電話をして遅くなると伝えておいた。母親はあらそうと、とくに問い詰めもせず、言い訳をいくつか考えておいたのに意外だった。お泊りはダメよと言って電話を切られた。それは遊びまわって朝帰りするなっていうより、朝比奈と一緒に朝までいるなってことのように思え、それはえらい勘違いのようで、ありもしない心配をされたかと思うと、複雑な気持ちになるのは、なんだか遠方から操作されているようで、、、 安心してくれ、朝比奈はもういないからな。
「マリイさんはあれでいて、けっこうな策士でさ、オーナーはどっかの自動車販売店の社長で、節税対策のためにつぶれたキャバレーを安く買い上げて、適当に商売するつもりだったんだけど、マリイさんがなんだかんだで、ここまでの店にしちまった。利益も十分に出したし、それにあわせて店の調度品もそれなりのものになっていった。ついには業界の名士があつまる社交場になった。ついでにバンドマンもな。一部を除いた」
 ケイさんはそうやって自虐ネタでしめた。それは本心からいまの自分の状態を示したかったのだと思う。バンドのほかのメンバーのことを貶めるのではなく、自分がまだまだこの店にふさわしくないと思っていて、これまでしてきたことと、これからしなければならないことをバンマスに試されている。だから朝比奈もそうなんだけど、そこから自分の未来をもつかみ取らなきゃその先はないって宣告されているようなもんなんだ、、、 おれもな。
「なあ、ホシノ。みんななんてことないような顔して生きているように見えるだろう。自分からすれば、ほかのヤツらは楽してるとか、誰もそんなこたあない。誰だってこころや、からだにひとつやふたつの傷を持って生きている。そこで終わるのか、まだ続けるのか、そいつはいつも自分次第だ。そうだろホシノ」
 それまでは後輩からしたわれた頼りになる先輩であった永島さんであったのに、そこで終わることを決めた。ひょうひょうとした物腰で、朝比奈やマリイさんと軽快に会話するケイさんだって、簡単に生きているわけじゃない。どこかで間違えればその先の判断を読み間違うことだってあるんだ、、、 誰もがラクじゃない、、、
「へっ、なんかな、エリナがおまえのこと買ってるのがわかってきた気がする。オレだってさ、アユカワさんもそこんとこわかってるから、オレがエリナにかこつけて、自分もなんとかしようとしてるのが。だからこれは、エリナにとっても正念場だけど、おれにとっても分岐点になる。そこんとこよろしくな、ホシノくん」
 なに、なんなの、そのまとめて面倒見ろみたいな流れ。でも、朝比奈に買われてるとか、それでケイさんも期待してくれるとか、思いつきでしゃべってるだけなのに、おれにとっちゃブタもおだてりゃ木にのぼるってなもんで、いい気になっちまう、、、 それだけに成果を出さなきゃ、面目丸つぶれ。
 こうして知らないうちに、大なり小なり、そんな期待や、おしつけを背負って生きていくのがおれたちで、自分の許容より大きかろうが、無責任に投げかけられるもんだから、その重圧につぶされりゃ、、、 いや、それは簡単に口にするべきじゃないな、、、
 帰りのチンクの中は、朝比奈の運転を知るおれには、行きを思えば平穏そのものだった。ケイさんは見た目にそぐわず安全運転派なのか、、、 あくまでもおれの見た目、、、 比較対象は朝比奈しかないし。
「エリナのやつずいぶんエンジン回してくれたな。おかげでフケが良くなったな。これからは月一で乗り回してもらおうか」
 いやいや、朝比奈のヤツ、免許持ってませんし、それを押し付けちゃまずいでしょ。そもそも、貸してくれって言われてはいどうぞって、安易すぎないか。
「まったくだな。でもよ、アイツのやることって、いちいち意味がありげで、ホシノだって、の先どうなるか楽しみだろ。どうやらオマエを一本釣りするための道具にされちまったようだし。それでなにが生まれるか、それが楽しみだ。そうだろ」
 そうなんだ、朝比奈の行動や、言動はいくつもの伏線となり、結果的につながっていく、それが押し付けではなく、自分にわからせてくれる。おれは自分でわかったような気になり、その実はいいように操られているだけだったりする、、、 ここでも遠隔操作、、、 おれがそうなだけか?
 それなのに、今日観たステージは、これまで見た中で一番生き生きとした顔をして、そこになんの含みも計算もなく、その時間だけに生を受けていたことも新鮮だったはずだ。
「自分の居場所があるっていいよな。それだけで、他のことはなんとでもなるように思える。学校が居心地が悪いってのは間違いないだろうな。そんなのもどうでも良いと思えるのは、自分の居場所がちゃんと確立されているからだ。それによ、他のバンドのメンバーぐらい年上の方が、相性がいいようだ。可愛がってもらえるのになれちまうのもあまりよくないんだろうけど、近くの年齢のヤツらではタルくって、そういうつもりじゃなくても、冷たい態度が前面に出るだろ。オレは中途半端だしな」
 そう。おれも同い年だけど。と言ってみたら、フフフッと笑っていた。いや、笑われただけか。
「どうするつもりだ? それで」
 ケイさんは、シガーソケットを押し込んでから胸ポケットからタバコを取り出して、火をつけるのももどかしく口にくわえる。おれはケイさんの問いかけにこたえられないのは、なにをどうするつもりかわかっていないからだ。
 ケイさんは、おれが長考しているとでも思っているのか、気長に待つ気でいるのか、それともタバコに火をつけることに意識が集中しているのか、ポンと跳ね返ったをシガーソケットをもどかし気につまみとり、タバコに火をつけ大きな煙を吐き出した。
「タバコはさ、バンドの控室や、ましてやエリナの前では吸えないからな」
 タバコ臭いクルマを貸しておいてよく言うとツッコミたかった。どうするつもりかの質問とともに飲み込んでいった。どうかしなきゃいけないことはいくらでもある。それなのにどうにもならないことばかりが増えていくだけだ。ケイさんは質問したことも忘れてしまったのかうまそうにタバコを吹かしていた。