新しく買った靴はやけに重く感じられた。途中まではいい雰囲気で、今後の展開も期待できたのに、あんな年寄りにまで色目をつかっているのを目にして、悲しくなるやら、情けないやら、そのうち怒りもこみあげてきて、平静をよそおうのに苦労した。帰りがてらにゴミ箱を見かけたときには叩きこんでやろうかとかぶりを振りかけ、まわりの目も気にしてそのまま手をおろした。そもそも高い金を払って買ったばかりのものを捨てられるような身分ではない。商品の代金に接客分が含まれているならなおのことだ。
誰にでも同じサービスをしているのならばいちいち気にすることではなく、値段にその分が反映されていても納得することはできても、これはアナタだけに特別ですとか、サービスしますとか、次はこんな特典がありますなどと言われれば嬉しいと思う反面、他の客にも同じようなことを言っているのだと透けて見えてくる。そう考えはじめると自分以外の客は、もっと良いサービスを受けているのではないかと疑いはじめるともう止まらない。あの年寄りはえらくご機嫌な顔でニヤけていた。紳士然とした姿は様になっており、自分より高給取りであることは一目瞭然で、自分にはない多くのものを手にしている余裕が外見ににじみ出ていた。これはあの女だけに限らず、少し値段のはる買い物をする時に必ずあたまをよぎることだ。親密性を高めるために、オンリーワンの対応をすればするほど、懐疑的になってしまい、小さなほころびは決壊を導き、その効果は諸刃の剣となっていく。
自分になどに時間をかけているより、利益率が高いほうに手間ひまをかけるのは当然の成り行きだ。自分を基準にしてものごとを標準化することは、あまりにも一方的な押し付けであっても、そうだとしか考えられなくなった人間にとっては、より寛大な心を持った人間を認めるには至らない。人を妬む負の気持ちはネガティブなパワーを生み出し、一度そこに足を踏み込めばもう後戻りはできずにすべてを疑い出し、すべてを憎み出す。その『気』に自分が蝕まれ、侵されてしまい、ノガミは多くの損失を被る羽目になっていると気付かないで生きている。
ノガミは地下鉄に乗り込むために、地下道へ続く階段に向かっていた。予想以上にあの店で時間を取ってしまっており、時計をのぞきこむと次の予定の時間を三十分もオーバーしていた。カウンターカフェでコーヒーでも飲んでからと考えていたのに、これでは約束の場所へすぐに向うしかないようだ。久しぶりに取れた有給休暇なので、効率的に時間を遣わねばもったいないと焦る気持ちになり、それもこれもあの年寄りに時間を割いているからだと、またしても恨み節が顔をのぞかせる。
階段を降りる足取りがついつい早くなるノガミの目に、ひとりの老人がゆっくりと階段をのぼりはじめる姿が目に入った。一歩登っては休憩し、一歩登っては休憩している。これではこの長い階段をあがるのに、どれほどの時間をついやすのだろうかと、なかば呆れて目が離せなくなった。ずいぶんとバリアフリー化も進んだこの街とはいえ、すべての階段にエレベーターや、エスカレーターを設置できるほど、財政に余裕があるわけでも、弱者に優しいわけでもない。行政側の自己満足で、かたちばかりの支援が老人たちの目線や導線を考慮して考えられているわけでもなく、行動を制限されれば出不精になる老人は増える一方だろう。つまりは高齢者への無料パスなど待遇は、努力しているというポーズでしかなく、使い勝手が悪ければ誰も使わない。ならば無料にしておいても営利の損益にはつながらないという図式が成り立つ。ノガミも自分もあんなふうにしか歩けなくなったら、みっともなくて外出などしないはずだと、一方的な行政批判とともに、なんの拘束性も持たない無責任な決意をしていた。
どうやら老人はなにかを尋ねたいらしく、人が通りかかるたびに声をかけても、誰も彼も足早に老人を遠巻きにしてすり抜けていく。急いでいるとかという問題ではなく、なるべく関わりたくないといった感じだ。ノガミも同様に関わり合いたくはないので、反対側を駆け下り目線を向けない。そこにスマホを操作しながら階段をあがってくる若い女性はそんな老人に気づいておらず、不用意に老人の脇を通っていく。老人はこれが最後のチャンスと思ったのか、その女性の腕をつかみ「あのう… 」と声をかける。驚いたのは若い女性で、あわてて持っていたスマホを落としかけた。老人も申し訳なく思ったのか、すぐに手を離して詫びを入れたあとに、どうやら市役所への行きかたがわからないらしく、その女性に訊きはじめた。
あの老人がどんな理由で、市役所へむかっているのか。あの女性がこの階段をあがっているのは、ここまでくるのにどんな経緯があり、この先にどんな予定があって、どのような段取りで目的地に向かうつもりだったのか。それぞれに生活の背景があっただろう。ただこのひとコマを切り取れば、困った老人を助けた若い女性という構図は、まだまだこの世も捨てたものじゃないと、こころ温まる光景に感銘を受け、それを目にした人々は、まるで自分がしたことのように親近者に話し伝えるだろう。
親切心はなにも人間性だけでははかれないのだ。ひとには生きていくための営みがあり、ひとりで生活しているわけではない。理由があってここにいて、理由があってどこかに向かっている。その流れを停止できるほどの理由を、多くの人が持てなくなってしまったのは、生活のスピードが上がりすぎて、通りすがりのひとの話しを聞くというのは、高速道路でクルマを急停車させるぐらい現実的でない行為といえる。
老人にとって幸運だったのは、その女性が優しく老人の手を取り、一緒になって階段をのぼりはじめてくれるような人間だったことだ。常識的に考えれば、女性の腕を握った段階でアウトのはずで、最悪の場合は叫び声をあげられて警察を呼ばれても文句は言えない時代だ。ノガミにしても、あの女性のおかげで老人に話しかけられもせず先に進めることができ、これは彼女の親切の恩恵を受けたことになる。もし老人から声をかけられたら無視して素通りすることは難しかった。それはけして親切心からではなく、老人の記憶に無下に断りをいれる自分の姿が残ることが嫌だという、自分本位の理由からでしかない。最善の方法として、待ち合わせを理由に手伝いをできないと告げ、なるべく遺恨を残さないようにするぐらいしか思いつかなかった。嫌な経験を重ねるたびに、自分が徐々に臆病になっていき、そういった場面からは身を引くようになっていくのはしかたがないことだと考えていた。
以前、階段を前にベビーカーを引いた女性がうんざりした顔をしていたので、その時は余裕もあり、勇気を出して、お手伝いしましょうかと声をかけたら、おびえたような顔をして断られたことがあった。とまどったノガミは、なにもなかったように装い、恥ずかしさもあってその場を足早に立ち去っていた。後日の会社で、真意を知りたいのも半分含ませた笑い話として女子社員に話しをしてみたら、いまどき見ず知らずの人間に赤ん坊を委ねるなんてありえないと、違う意味で笑われ、ノガミもそこでようやく母親の気持ちがわかったという経緯もある。とはいえ親切心を踏みにじられた気持ちは消えないし、自分が善良な人間ではないと選択されたことにも複雑な思いがある。
経験はひとに勇気を与えることもあるし、勇気を奪うことにもなる。あの老人はこれからも誰かに声をかけて親切を求めるだろう。あの若い女性が例外などとは思わずに、誰もがこのかよわい年寄りに救いの手を差し伸べてくれると。そうして、そうではない人間に巡り合ったとき、これまで手にした親切の蓄積をすべてご破算にするほど傷つくことになる。あの母親が誰の手も借りずにベビーカーを持ち上げて、階段をのぼることをどこかの段階で決意したのも、そうした経験の呪縛から逃れられずに、百人中にひとり悪意を持った人間がいると知ってしまえばもう、残りの99人にが善人だとしても、巡り合うことはないと決め込んでしまっている。
親切というものは関係する者とのあいだだけの直接的なことではなく、誰かの行動で、誰かが幸せになり、他の誰かもその恩恵を受けることもある。その陰で、別の誰かは傷を負い、そのせいで、もっと多くのひとが辛い目にあったりもする。一度の失敗で学べる人間がえらいのか、否定されても何度も挑戦できる人間がえらいのか。ただ、ノガミは前者を選び、ひととの関わりを最小限にとどめたために、手にできなかった幸運も、被らなかった不幸もあり、その配分がどのようになっているのか知ることはできない。
…誰もが見えない手によって動かされている。
ノガミは階段から通路におり、地下鉄の改札を目指して歩き出す。地下街にはいると寒いくらいの冷房が効いており汗冷えしてくる。地下街の終点となる駅の切符売り場までたどり着くと、そこにはイライラとした風体の男が、右に左に意味もなく歩き回りなにやらブツブツとつぶやいている。これもまた危険な存在だと、なるべく距離を保とうと遠巻きに離れていく。
男はやはり大きな声を出して駅員を呼びつけはじめた。驚いた様子の駅員は何事かと、その男に呼ばれるがまま寄っていく。ノガミは背を向けて発券機に向かいながらも、やりとりが気になり列に並ぶふりをしてまわりを見渡すといったい、かなり怪しげな行動をとりながら、二歩、三歩と横にずれてふたりに近づいていく。
男はまだこの時点では怒りを押し殺していた。聞こえた内容からすると、バス乗り場がどこかわからず、戸惑っているあいだにバスに乗り遅れ、重要な約束に間に合わなくなったということらしい。ノガミもこのあと約束が待っていたが、かといって遅れたとしてもそれほど重大な問題に発展することではなく、渋滞していたとか、電車が遅れていたとか、それこそ困っている老人を助けていたといえば問題なくクリアされる範囲内であった。
あの男は遅れることによってどれほどのダメージを受けるのだろうかと、気になり引き続き聞き耳を立てていたところ、どうやら、男の争点はそこではなく、乗り遅れたことよりも、バス乗り場がわからず右往左往しているうちに、時間だけが虚しく過ぎていったことが無性に腹立たしくなったらしい。それを駅員が自分の立場を守るために、その男に同意するどころか、丁重ではあるが少し歩けばバス乗り場へ誘導する案内があるなどと、怒りに火をそそぐような言い方をするものだから男もつい声を荒げてしまった。一度、堰が崩れれば着地点を用意しない限り、沸点はどんどん上昇していく。男はもう収まらない。誰もがあそこまで行ってバス停の場所を確認すると思うのか、改札を出てそこに表示されていれば、すぐにわかるじゃないか。なぜ、そうしない、これは駅の怠慢でしかなく、それを使用者に、あそこまで行って確認しろというのは押し付けでしかない。いますぐ、ここに案内を作りなさい。それをしない限り私は絶対に許さない。約束に遅刻した責任を取って貰う。裁判も辞さないからそう思えと、ノガミが聞き耳を立てる必要もないほど、大きな声をはりあげた。
突然の声に驚いたのはまわりの乗降者だった。何がはじまったのかと、足を止め誰もが振り返った。期せずして注目を浴びてしまった男は、引くに引けない状況に陥った。責任者を呼んできなさい。キミでは話しにならない。困った顔の駅員も、もう自分には手に負えないと途方に暮れていた矢先に駅長を呼んで来いと言われれば、それを理由に駅長に託すことができると考えたのか、しばらくお待ちくださいと言ってその場を離れた。
ひとりになった男はまわりの視線が痛くなっていた。腕を組みイライラと足を打ち始める。怒るべき相手がいるうちはいいが、ひとり残されてしまった状況では奇異な人間として色眼鏡で見られているようで、ヒソヒソ話が聞こえるようになると、もうその場にとどまることが耐えきれなったらしく、なっとらん!とか、まったく!と捨てゼリフを残してそそくさと立ち去って行った。たぶん男はなぜこんな大ごとにしてしまったのか自分でもわからないのだろう。騒ぎを起こすぐらいなら、次のバスの時間を確認したり、別の方法で現地へ向かった方がよほど良かったはずだ。これでますます時間に遅れるようなことになれば目も当てられないのだから。 …あの男だって見えない手によって動かされているのだ。
立ち止まって見ていた人々もそれをきっかけに立ち去りはじめ、人気がなくなったところに、駅長を引き連れた駅員が戻ってきた。当の男が見当たらず、あたりを見回していると、駅長がどうなっていると安心しながらも駅員を叱咤する。クレームの客が見当たらないことを伝える駅員に、駅長はやれやれと帽子をとり、あたまを掻いてブツブツとぼやきだした。まったく近頃は、なにかっていうと文句言うことしかあたまにないんだからなあ、困ったもんだ。お客様は神様だって勘違いしてるんだから。おまえもそういう客のあしらいかたを覚えておくんだな。こんなことでいちいち呼び出されてたら、仕事にならないぞと、ほかの客の耳に入ったらまたひと悶着起こりそうな言葉をはいた。気の弱そうな顔立ちの駅員は、小さくなって何度もあたまをさげている。
もともとこの駅員はトラブルを呼び込みやすいタイプの人間なのだと、ノガミは知ったように判断していた。なんだかわからないけれど、話していてイライラしてくる人間がいる。本人に悪気はない、ないだけにややこしい。こちらが冷静に話しているつもりでも、ついつい声が大きくなってきてしまう。自分がそういうつもりじゃないだけに、声を荒げる理由を相手に求めてしまう負の連鎖だ。どれだけ下手にでようと、どれだけあたまを下げられようと、そうすればするほど、なぜかあたまに血が上ってくる。駅長とふたりで駅員詰所に戻っていくあいだも、ふたりのすがたが遠のくほどに駅長の説教じみた言葉が大きくなっていき、ふたたび人々の目線を集めはじめている光景がそれを物語っている。お気の毒にとノガミは券売機に向かった。足止めばかり食わされて時間は過ぎるばかりだとノガミがぼやく。自分が気になったから見ていたせいなのに、それを棚に上げて他人のせいにする理由作りだけにはことかかない。
券売機の前に立ち、手に持った紙袋がじゃまで財布が取り出しづらくモタモタとしていると、うしろにならんでいる若者に舌打ちされた。ひとを待たせていると思うとよけいに指先がうまく動かなくなり、さらに小銭がうまく取り出せなくなってくる。たしかに自分が後ろの若者の立場であれば、小銭を用意してから並べよぐらいのことは、口に出さずともこころのなかでつぶやいているだろう。さきほどのことに気を取られて、何も考えずにふらりと券売機の前に立ってしまったことが悔やまれ、知らない男にでさえ十分な準備ができていない人間だと思われることに恥じていた。事態の大小にかかわらず、こういったトラブルに関わること自体がノガミに取っては気に入らないのだ。
こういうときは焦ってもしかたない。これが自分の間合いだと、あえてゆっくりとした動作を取ったほうがかえって動作もなめらかになる。うしろの男は足を小刻みにゆらしてイラついた気持ちをノガミにぶつけてくる。そんな圧力の中でノガミはなんとか切符を購入して、その男には目をあわさないようにあたまをさげて、ゆっくりと立ち去った。それに対して男がどんなリアクションをしているかは見ない。どんな表情をしていようがどちらにせよ気分がいいわけじゃなく、嫌な思いが重なるだけだ。すぐに切符の購入を終えた若者はノガミの脇を足早にすり抜けていった。見たわけではないのに剣のあるまなざしを向けられているとノガミは感じていた。
少し間合いを取って改札を通るためにゆっくりと歩いていたら、その前に家族連れが割りこんできた。普段なら無礼な行動に悪態のひとつでもつくところだが、若者との距離をとりたい今はかえって感謝したいほどと、まったくいい気なものだ。すんなり通過していくと思われた家族連れは、ノガミの存在を気にすることなく、家族イベントを堂々とおっぱじめたからあいた口がふさがらない。
「さあ、アッくん切符、入れてくださいねえー。入れないと門が開きませんよー」
母親が困った表情で芝居がかったセリフを言うと、3歳ぐらいの男の子が、切符を手に屈託のない笑顔で嬉しそうにしている。自分はつまり、家族のこの先を託された重要な任務を背負った主役となったのだ。そんな寸劇を目の前で見せられることになったノガミは、目端がひきつり、イラつきの虫唾がはしった。両親はノガミの姿を知っているのか知らないのか、自分たちの世界に入り込んでいる。この子の晴れの舞台をあなたも見てくださいと、あたまのひとつでも下げられれば、こちらとしてもそれぐらいの寛容は持ち合わせており、無事に子供の切符で開門できたときには笑顔で祝福の拍手でもしてやってもいい。それが、ふたりの態度を見る限り、あなたこの名場面をこんな間近で見られて幸運ですねとでも言いだしそうなぐらいの勢いだ。
「ほらほら、アッくん、どうしたのかな、切符入れるところわからないかな?」
そう言う父親は、そんな顔を会社のヤツらに見せられないだろというぐらいの雪崩を起こしている。そうやって両親があおればあおるほど、子供は得意顔になり、じらすように、勿体ぶるようにこの状況を楽しんでいる。こいつはろくな人間にならない、オンナを泣かすタイプだと、ノガミの非難も飛躍していく。うしろを振り向いてもノガミ以外に改札を待つ者はおらず、共闘できる状況にならない。
十分に主役の自分を堪能したあと、こどもは切符を入れた。自動改札のとびらが開くと両親は拍手で子供をたたえていた。ノガミも手に紙袋をぶら下げていなければ、一緒になって拍手してやりたい心境だった。そのあてこすりがこの両親に理解できるのか確認してみたかった。両親は勇者が切り開いた道をありがたそうに通っていく。モーゼが海を割って通路をつくり、人々を救ったように。
今日という一日は、足止めをくう日であったのだ。そう自分に言い聞かせ納得させてみる。そうでなければやりきれない思いだけが噴出してくる。そういう日に、無理に前進しようともその先々で、新たなトラップが待ち受けているだけなのだ。ならばここは素直に従った方がいい。ノガミは改札を通ることで新たな試練が発生するのではないかと、その先の人々の流れを注意深く観察していた。もはや約束の時間には間に合わない。それはどうだって言い訳できるぐらいの相手だ。靴屋の件はさておき、お年寄りに道を尋ねられてとか、駅員と客が言い争っていて、人ごみができて大変だったとか、改札で家族連れがもたもたしているから一本乗り過ごしたとか、適当に着色してわびれば許してもらえるはずだ。
切符を持ったまま、改札前で立ちつくす不審な男の姿に、通行人は避けるように、目端でチラ見するように、ひとり、またひとりと、自分たちの行動をすべてデータロガーに送り込まれているとも知らずに、磁気カードを当てて、通過していく。ピッ、ピッと音声がなるたびに行動データが蓄積されている。
ノガミの目線の先ではなにも起こらなかった。ここで、ナイフを持った殺人者でも現れて、無差別に通行人を殺傷するようなことが起これば自分の判断にほくそ笑みもできたはずだ。それほど世の中はノガミにとって都合よくできていない。むしろ、不運をかかえこむようにプログラムされているぐらいだ。
ノガミは一歩踏み出して、自動改札に券を入れた。自分は通過できると証明ができたらしく改札口のとびらが開く。そうするとなんだかこの先は、安心安全であると確約してもらえたようにも思えてきた。機械は限定された情報の中で、善し悪しを判別していく。人間の経験も判断も必ず役に立つとは限らないし、時にあやまった記憶を引き合いに出し、同じ過ちをすることもある。いつかは人生のすべての選択を検索して、ヒット数が多いものから順にならんだ情報から選び出し、これを選んだ人はこんな人生も選んでますと、バナーが呼びかけてくるようになるのかもしれない。いまでさえ自分の意思を半分以上機械にたよっていると気づかないままに。
…自分だって誰かの手によって動かされているだけなのだ。
これも単なる人生の一日。
今日もまた人生の一日。
明日もまた人生の一日。