【差延】
フランスの哲学者ジャック•デリタは、意味の決定不可能性を強調するために「差延」という哲学用語を作りました。差延とは「異なる」+「延期する」の合成語です。それまでの西洋思想は、変化するものの中に「同一性」を求めてきました。同一性とは、世界を正しく言い当てようとすることです。変化するものの中にあって同一性をもとめる思想を「形而上学」と言います。形而上学は、哲学とだいたい同じ意味です。
これまでの西洋哲学では、世界は言葉で正しく言い表すことが出来るものだと考えられてきました。しかし、同一性は、現実には実現できません。なぜなら現実の世界は、常に変化しているからです。形而上学では、差異の解消を果たすため、根源的なものを想定してきました。しかし、言葉の意味は、差異に依存しているため、それを解消することは出来ません。
【定義できないもの】
言葉によって何かを定義しても、必ず「差異」が生じます。差異とは「違い」や「ズレ」のことです。例えば「信号は赤だ」と定義したとします。しかし、青になった場合、それを定義し直さなくてはいけません。このように現実は、時間などの状況によって変化しています。それは、決して、言葉では、正しく言い表すことは出来ません。言葉で言い表した瞬間から少しずつズレが生じてくるからです。
【差異化】
現実に差異が生じたら、その差異を解消するために新たな同一性が求められます。人間が、何かを定義しようとしても、絶えず繰り延べられて、真の意味に到達することが出来ません。この絶えず繰り延べられる差異化の運動を差延と言います。それは、一見すると、無意味な作業かもしれません。しかし、事象は言葉を媒介としてしか解釈出来ないものです。人間は、正しく定義が出来ないと分かっていても、それでも言葉で言い表そうとします。そうせざる得ないのは、もともと人間には、そういう要求があるからです。
【痕跡】
そもそも、世界には、最初から差異しかありません。たとえ正しく言い表せなくても、世界を定義しようとした「痕跡」だけは残ります。世界には、始原や終局「目的」があるわけではありません。それは、絶えず繰り延べられる何かの痕跡です。我々が見ている世界は、言葉による「文節化」を受けています。そのため、その根源は、決して目の前には現れません。何かが、目の前に現れることを「現前」と言います。現前は、常に現在という時間様態です。
【脱構築】
我々は、すでに解釈された世界を、さらに解釈しているに過ぎません。決して、言い表すことが出来ないのに、世界の解釈行為を繰り返しています。それは、終わることのない形式的な戯れです。その戯れを「脱構築」と言います。脱構築は、従来の形而上学を批判するために使われるようになりました。それは、真理性への欲望を持続しつつ、絶えず思考を切断します。脱構築とは、概念を一度破壊し、再び組み直すことです。それによって、物事をさまざまな価値観で、捉え直すことが出来ました。
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