私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

叫ぶ父

2009-02-06 | 3老いる
父は左脳の梗塞を何度かやって、今や右半身がほぼ動かない。

左脳の言葉を発する機能をつかさどる部分(ブローカ野という)もダメージを受けていて、相手の話していることはわかっても、自身の思いを言葉にして発語することは困難だ。

頑固で、昔から気の合わない父だったのだが、老いてもその気質は変わらない。

やさしい老人施設の職員の方達に見守られ、認知状態の低下している時は、可愛らしい、端正な御老人でいるが、意識がクリアな時、言葉が出ないストレスもあって彼の表情は苦々しい様子だ。

そして、自分の意に反した行為がなされるとき、あるいは拒否したいとき、40kgに満たない体重で、どこからそんな声が出るのかと驚くばかりの声量で、彼は叫ぶのである。

「もういい、わかった!」
「うるさい、それ以上言うな!」
「そこは触ってくれるな!」
おそらくそういった思いを伝えるべく、彼は腹式呼吸で思いっきり叫ぶ。
「あ、あ、あーぁあっ!!」と。

その大声は、フロア中に響きわたるが、そんなことお構いなしだ。
とにかく、表現方法はそれしかないのだから。

その大いなるエネルギーを見せつけられ、私はただしらじらと冷めてゆく。
相変わらず、父は自分のことしか考えていない。

温かい周りの人たちの手を借りなくては、一日たりとも過ごすことが出来ない状態にありながら、いつもいつも一番の高みにいて、必ず他者を見下ろしていた彼の姿は健在なのだ。

父のその生命力を称える気持ちがない訳ではない。
親子の情愛が全く枯れてしまった訳でもない。

しかし、強烈な父の声を聞く度、心は冷え冷えとし、情愛は凍りついてしまいそうだ。

看護や介護を専門とするスタッフは、夫々に癖のある御老人達を、穏やかに淡々と受け止めていらっしゃる。
家族としての記憶や歴史がないから出来ることか。
もっと具体的に言えば、個人的な恨みつらみがないから、長く生きてきた、一つ一つの尊い命として接することができるのかもしれない。

プロたちの見事な対応を見るにつけ、割り切ることができず、いつまでも子供としての葛藤を抱え続ける自分を哀しく感じるばかりだ。
コメント
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