私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

異なっている感覚

2009-04-15 | 15雑観
ブログは日記であるからして、しばらく自分の備忘録としての書き込みが多くなっているような気がする。

ここ数日で、明らかになったことがいくつかあり、幾分スッキリした想いの私なのだが、意思疎通の図れない時、そこにはゼネレーションギャップと言ってよい観念の違いが存在していた。

例えば戦前の教育を受けた人々の
「親の為に子があれこれするのは当たり前」という観念と、
戦後すぐの教育を受けた人の
「親が子のためにするのは当たり前」という180度異なる観念。

この二つの相反する立場が、いつも私に釈然としない感じを抱かせていたのだ。

すべての人がそうだというものではなく、これは私の周りの老年に差し掛かった限られた人々がサンプルなのだが、観念が全く異なる人同士がいるとき、その人間関係は決してしっくりゆかない。

基本的人生の観念は変え難く、相反する観念をもって生きる人々が、ぴったりと寄り添うような共感を得るチャンスは、恐ろしく少ないだろう。

そうした条件下で、現実が積み重ねられてきたことをじっと静かに眺める、どちらともつかない立場の私である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする