民放のとある局のニュース番組で
「湘○ホームレスの光と影」
なんて特集をやっていた。
ホームレスに「光」があるだろうか?
解せない…と思ってみたが、内容を見てもやっぱり「光」は見えてこなかった。
「ホーム」を失った時点で「光」は差さないのが常識だろう。
夢や希望があってこその「光」であって、その日を安寧に送るだけの望みを「光」とは言うまい。
薄暗い日陰で、雨風しのぐ空間を守っているのだ。
その場が、光あふれる湘○であっても、彼らの生活に燦々と日の光が降り注ぐわけではない。
語呂だけのタイトルに腹立たしさを覚える。
取材者は、決してホームレスの悲哀を感じ取ってはいまい。
家こそ保っているが、夢も希望もないなぁ…と常々考えている私にとって、苛立ちを覚えるタイトルの特集であった。
報道やドキュメンタリー番組が薄っぺらになり、魂がこもらなくなっている。
取材者側の感受性が貧しくなっているのだ。
人生をかけてつくられる番組を期待することが、今の世の中無理なのかもしれないが。
「湘○ホームレスの光と影」
なんて特集をやっていた。
ホームレスに「光」があるだろうか?
解せない…と思ってみたが、内容を見てもやっぱり「光」は見えてこなかった。
「ホーム」を失った時点で「光」は差さないのが常識だろう。
夢や希望があってこその「光」であって、その日を安寧に送るだけの望みを「光」とは言うまい。
薄暗い日陰で、雨風しのぐ空間を守っているのだ。
その場が、光あふれる湘○であっても、彼らの生活に燦々と日の光が降り注ぐわけではない。
語呂だけのタイトルに腹立たしさを覚える。
取材者は、決してホームレスの悲哀を感じ取ってはいまい。
家こそ保っているが、夢も希望もないなぁ…と常々考えている私にとって、苛立ちを覚えるタイトルの特集であった。
報道やドキュメンタリー番組が薄っぺらになり、魂がこもらなくなっている。
取材者側の感受性が貧しくなっているのだ。
人生をかけてつくられる番組を期待することが、今の世の中無理なのかもしれないが。