マヌケに聞こえますが、
いつのまにやら、
気がついてみたら、
こんなことになっていた!!
と。
今さらながら、
オッパイがほんとになくなっちゃったんだなあ~、
とか、
ほんとにハゲちゃってるね~、
などと、
他人事のように、
ずいぶん遅れて、
自分を認識する。
まさにマヌケ、間が抜けていることがよくあり。
素な自分になれている今、
たぶん、無意識だけど、自分を守るために、故意にマヌケになっていたのかなあ~と、思います。
告知されてから、約10ヶ月。
この間、希望を失ったり、底知れぬ恐怖に襲われたり、無気力になったり、、、
でも前を見て、とにかく笑って、と自分の背中を蹴りまくってきた。
ときに、真実が、見えないフリ、聞こえないフリ、言わないフリも、
心を折れないようにするために必要なことだった。
今、抗がん剤治療も半分過ぎて、やっと現実を受け止められるようになったかも。(もしかしたら、まだかもしれない)
ただ、今何をすべきか?、と問われたら、
自分をできるだけ癒すこと、
『心を癒すこと』だ。
からだや心が楽しいことをしてあげる。
周りの人たちからの励ましを心から受け取り、喜ぶ。
自然の美しさに触れて、たくさんのエネルギーを感じる。
どんな小さなことでもいいから、希望を見つける。
体の調子は、確かに悪いことの方が多い。
オッパイもない、麻痺は残り痺れる、全身の毛も抜けて、閉経もした、体型も変わるし、見るからに変貌した。
カツラがよく似合う、
太ったなんて全然わからない、などと人は言ってくれるけれども、
かつての自分と全く違うのだ。
告知されたあの日をもって、根底から自分の『何か』を変えた。
『何か』は、まだよくわからないけれど、生きる、とか、幸せ、とか、コアなる意識のようなものだと思う。
癌になったことを感謝する、と癌関係の本を読むとよく目にするが、
最初は、
ふざけんな~!感謝なんかできるわけないだろ!!
と、どこかで思っていた。
まだ思っている自分もいます。
けれども、今は、癌になったことに感謝できる自分もいる。
少しずつ、癌という事実を自分の人生に受け入れられるようになってきたのだろう。
昨日、海の中でふと思った。
『癌の部分は、切り取られた乳房と一緒に全て摘出されたのだから、
もう癌患者ではない、と断言したい!』
このとき、今後の人生での癌との関わりについて、考えた。
抗がん剤や放射線の治療が終わって体調が元に戻ったら、
癌は完全に100%消えた、と信じて、
健康な人として、暮らせるだろうか。
ホルモン療法が5年もあるらしいから、あと5年は、癌を完全に忘れて暮らすなんてできないのだ。
癌から一刻も早く解放されたいけれども、
5年の毎日、薬を飲む1分位は、自分が二度と癌にならないように念じる意識を持つことが懸命だろう。
つまり、生きたいのならば、癌であったことを忘れちゃいけないし、自分のからだに注意深く生活するということだ。
再発の可能性は、2~3割はあるらしいから、
あと10年しか生きられないとしたら、どう生きるか、ということは、私には絶対的に大切なことだ。
これは、ネガティブなんかじゃない。
後悔するような無駄なことは、もうありえないのだ。
もう、回り道している時間はない。
今、やりたいことをする。
今、会いたい人に会う。
今、必要なことをする。
愛を与え、
愛を受け取り、
Judy流の幸せを
たくさん、たくさん、見つけていきたい。
美しい熱帯魚と泳ぎながら、思ったことがある。
せっかく与えられた、このJudyの肉体をもっともっと利用しなくちゃ!!
おっぱいが片方無いのも、超~Judyだけの個性的なカラダだもん~!!!
そして、Judyにしかできないユニークな人生を作っていこう!
と・・・♪
息が苦しくて、イルカと泳ぐのをあきらめ、海に浮いていたとき、
息子がイルカに囲まれて遊んでいるシーンを見た。
嬉しくて一生懸命イルカと泳ぐ息子がいた。
自分にできないことを息子がやってくれている大きな喜び。
もしも、この世からいなくなる日があっても、
彼の喜びは永遠に私の喜びなのだと確信した。
そして、たくさんのことを周りの人達と分かち合い、
人生を全うしたいと思う。
そう、この旅の終わりに、船の中で、思っています。
いつのまにやら、
気がついてみたら、
こんなことになっていた!!
と。
今さらながら、
オッパイがほんとになくなっちゃったんだなあ~、
とか、
ほんとにハゲちゃってるね~、
などと、
他人事のように、
ずいぶん遅れて、
自分を認識する。
まさにマヌケ、間が抜けていることがよくあり。
素な自分になれている今、
たぶん、無意識だけど、自分を守るために、故意にマヌケになっていたのかなあ~と、思います。
告知されてから、約10ヶ月。
この間、希望を失ったり、底知れぬ恐怖に襲われたり、無気力になったり、、、
でも前を見て、とにかく笑って、と自分の背中を蹴りまくってきた。
ときに、真実が、見えないフリ、聞こえないフリ、言わないフリも、
心を折れないようにするために必要なことだった。
今、抗がん剤治療も半分過ぎて、やっと現実を受け止められるようになったかも。(もしかしたら、まだかもしれない)
ただ、今何をすべきか?、と問われたら、
自分をできるだけ癒すこと、
『心を癒すこと』だ。
からだや心が楽しいことをしてあげる。
周りの人たちからの励ましを心から受け取り、喜ぶ。
自然の美しさに触れて、たくさんのエネルギーを感じる。
どんな小さなことでもいいから、希望を見つける。
体の調子は、確かに悪いことの方が多い。
オッパイもない、麻痺は残り痺れる、全身の毛も抜けて、閉経もした、体型も変わるし、見るからに変貌した。
カツラがよく似合う、
太ったなんて全然わからない、などと人は言ってくれるけれども、
かつての自分と全く違うのだ。
告知されたあの日をもって、根底から自分の『何か』を変えた。
『何か』は、まだよくわからないけれど、生きる、とか、幸せ、とか、コアなる意識のようなものだと思う。
癌になったことを感謝する、と癌関係の本を読むとよく目にするが、
最初は、
ふざけんな~!感謝なんかできるわけないだろ!!
と、どこかで思っていた。
まだ思っている自分もいます。
けれども、今は、癌になったことに感謝できる自分もいる。
少しずつ、癌という事実を自分の人生に受け入れられるようになってきたのだろう。
昨日、海の中でふと思った。
『癌の部分は、切り取られた乳房と一緒に全て摘出されたのだから、
もう癌患者ではない、と断言したい!』
このとき、今後の人生での癌との関わりについて、考えた。
抗がん剤や放射線の治療が終わって体調が元に戻ったら、
癌は完全に100%消えた、と信じて、
健康な人として、暮らせるだろうか。
ホルモン療法が5年もあるらしいから、あと5年は、癌を完全に忘れて暮らすなんてできないのだ。
癌から一刻も早く解放されたいけれども、
5年の毎日、薬を飲む1分位は、自分が二度と癌にならないように念じる意識を持つことが懸命だろう。
つまり、生きたいのならば、癌であったことを忘れちゃいけないし、自分のからだに注意深く生活するということだ。
再発の可能性は、2~3割はあるらしいから、
あと10年しか生きられないとしたら、どう生きるか、ということは、私には絶対的に大切なことだ。
これは、ネガティブなんかじゃない。
後悔するような無駄なことは、もうありえないのだ。
もう、回り道している時間はない。
今、やりたいことをする。
今、会いたい人に会う。
今、必要なことをする。
愛を与え、
愛を受け取り、
Judy流の幸せを
たくさん、たくさん、見つけていきたい。
美しい熱帯魚と泳ぎながら、思ったことがある。
せっかく与えられた、このJudyの肉体をもっともっと利用しなくちゃ!!
おっぱいが片方無いのも、超~Judyだけの個性的なカラダだもん~!!!
そして、Judyにしかできないユニークな人生を作っていこう!
と・・・♪
息が苦しくて、イルカと泳ぐのをあきらめ、海に浮いていたとき、
息子がイルカに囲まれて遊んでいるシーンを見た。
嬉しくて一生懸命イルカと泳ぐ息子がいた。
自分にできないことを息子がやってくれている大きな喜び。
もしも、この世からいなくなる日があっても、
彼の喜びは永遠に私の喜びなのだと確信した。
そして、たくさんのことを周りの人達と分かち合い、
人生を全うしたいと思う。
そう、この旅の終わりに、船の中で、思っています。