片山日出雄大尉の遺書を掲載してまいりましたが、今回は4回目、この次が最後です。
文章は「百万人の福音2006年8月号」より転記しています。
片山大尉遺書④
ラバウルの刑務所生活は、一九四六年五月二日より始まりました。
天の父は、行くところすべてで共にいてくださるのです。
ここラバウルで神は、牧師マッピン少佐を送ってくださいました。彼は神の存在から始まり、キリストの復活に終わるキリストの生涯の講義をしてくださいました。
さらにラバウル収容所には二人の日本人クリスチャンがいました。長老派の奥座克己氏とホーリネスの瀧本清廣氏です。我々は毎晩集まって祈りました。
やがて、ここで伝道会を毎夜開こうと祈り始めました。
キリストの福音は普遍的なメッセージです。それゆえ、いついかなる場所においても応答を見いだします。私はこの福音の勝利を、地上の、実に陰惨なこのところで見いだしました。
多くの同僚たちが、イエス・キリストを通じて神の愛とゆるし、その力に親しく接するうちに、新しい人に生まれ変わるのを見ました。
「キリストと共にある」という意識は、私たちの魂を富ましめ、忍耐力を与えてくれました。信仰が生きた現実である限り、私たちの悲しみが柔らかな心、へりくだりと感謝、キリストへの新たな信頼と献身を生み出すことを知りました。
ここに刑務所においてキリスト信者となり、信仰を言い表した一人の若者のことを述べたいと思います。彼の名はSです。翌朝絞首刑に処せられるために、彼はセメント造りの隔離された小屋に入れられました。Sはかねてより覚悟しておりましたので、雄雄しくこれを受けました。そしてこの地上での最後の望みとして、死刑前に受洗したいと申し出ました。暗い陰気な部屋の中で、マッピン少佐と奥座氏によって厳かな洗礼式が行われました。私も参列いたしました。
処刑の朝、私はマッピン少佐と一緒にSに会いにまいりました。少佐は、Sが誇りと確信とに充たされて安らかに眠るように彼のために祈りました。
「イエス言い給う『我は復活なり、生命なり、我を信じるものは死ぬとも生きん。凡そ生きて我を信じるものは永遠に死なざるべし』」 (ヨハネ十一・二十五)
彼は平静そのものでした。Sは私たちに向かって、再び天国に生まれ変わることを信じていると告白しました。微笑しながら深い感謝を述べ、「昨日、少佐によってキリストのものとされ、今日はキリストとともに新婚旅行に行くのです。」と申しました。
Sのほかにも、収容所でキリスト信者になって、驚くほど強固な信仰を抱きつつ、国際間の友誼と礼儀の回復を祈りつつ処刑されていった多くの日本人がいました。
彼らの勇敢さの秘訣は、単に冷徹な決断の実行にあるのではなくして、キリストを通して日々、神の愛とゆるし、力を味わうことにありました。これらの事実はキリストの教えによって、我らの魂に「永遠」というものがいかに光輝ある現実となったかを示しています。
続く