陸前高田ユースホステル 思い出その4
2008年 6月22日~25日、宿泊
ペアレントの方とビールを酌み交わし こんな日が来るのを想定した様な会話をしました 東北の方に沢山親切にしてもらい一期一会の旅、もう2度と会えないかもしれない、お礼ができない事など話しました。 恩返しは出来る時に出来る人へ返せば良い、と答えてくれた それから旅の仕方を少し軌道修正、お蔭で楽しい旅を続ける事が出来た様に思います。 そんな心に残るユースホステルでした
陸前高田ユースホステル 思い出その4
2008年 6月22日~25日、宿泊
ペアレントの方とビールを酌み交わし こんな日が来るのを想定した様な会話をしました 東北の方に沢山親切にしてもらい一期一会の旅、もう2度と会えないかもしれない、お礼ができない事など話しました。 恩返しは出来る時に出来る人へ返せば良い、と答えてくれた それから旅の仕方を少し軌道修正、お蔭で楽しい旅を続ける事が出来た様に思います。 そんな心に残るユースホステルでした
2008年っていったら、その当時のPさんは「関隆司」さんという方ではないっすか?
日本ユースホステル協会が直営ユースを維持管理できなくなって、直営職員の営業でなくて、
研修を受けた民間の方が経営に携わった初期の方では…っす。
道東から神奈川へ帰省する途中によく立ち寄ったところで、ホント世話になりましたっす。
施設の水利等が不便で大変だったと思うっすが、
施設の老朽化をカバーするだけの人間性をお持ちだったのっす。
というか、YHに着くなり受付カウンターにロング缶が置いてあって、「まずは一飲み」…
「何か食いたいものあったらできるだけのことすっから」
つまみ作ってきて、「ハイお待たせ、これ本醸だけど…」って深夜まで飲みニケーション…で
「ごめん、飲みすぎて起きれなくって、朝食好きなもの喰って!」
そして、「こういうのが出会いだから、自分もしたくってしてるんだから、お礼とか謝礼とかいらないから、
他の人に返してやればいいっしょ!」
まさに「恩返しはできるときにできる人へ」っす。
お金を払ってそれ以上それ以下でないサービスとは違うものをいただいた感じがしたっす。
その後、おいらせユースで、偶然お会いした時にも、
(県北の方なんで、おいらせユースのほうが都合がよかったらしいっす)
よくしてもらったっす。震災後、一回電話入れてみたけど、つながらなくて…無事なんだべか?
・・・ユースは「施設」でなくて「人」っすゆたか
「ちょっと肉控えてるから…」といえば、野菜だけのおでんを用意して作ってくれたり、
(酒は当たり前のように無料で出てきますが…)
海水浴を兼ねて、海中から貝をたくさん拾ってくると、台所と小刀を貸してくれて、
むき身にした貝を酒のつまみにしてくれたり、
サポートしていたイトウさん?は、一日かけて釣り船に乗せて湖を案内し、
町内別の「けんか神輿」を一つ一つ見せてくれたりと、親切に案内していただきました。
こういった宿泊施設…というより親切…気持ちのいい方々には出会えたことはよかったな…と。
ボランティアもできればいいけど、それこそ、『できる時、東北以外でもいいんでね?」っていわれそうです。
・・・イトウさん?は高田の人だと思うから…はじめっち
9月2日まで気がつかず、すいませんでした
全く悪意は思えません
雰囲気、お人柄を私より詳しく表していただいており、当時の事を懐かしく思い出しました
有り難うございます。
振り返ると心に残る思い出は正に
ユースは「施設」でなくて「人」
今の時代にも引き継がれていればと願います
コメント有難う御座いました