私は発想から本製作を始めるまでに、かなりの時をかけ熟成させる。
完成した作品を夢にまで浮かびあがってくるまで、頭の中で、またはクロッキーを重ね、練って無駄をそぎ、ふたたび貼り付けてみる。
そんなことを繰り返しているうちに、なんでもないときにポッ!と観えてくるのである。
そして、最初の発想にもどし、その表現法に最も最適な画材を選ぶのである。
作品の意図によって、油彩・水彩・墨彩と、それぞれの画材によって、画面が異なってくる。
当然技法もちがうし、手順も異なるが、それら全てが、頭の中に出来上がってからの製作になる。
いつしか、独自の技巧は高度で複雑なものとなり、判りにくいものとなっている。
自分自身の動きで少し困ってしまうのは、あまり天気がいいと、アトリエでじっとしてなんかいられなくなってしまう。
正直 身が入った製作にならない。それでは、描く意味が無い。
さりとて雨のときは、寝ているに限る。(健康での昼寝は楽しいのだ)
つまり、グーータラなのである。
その私が、腰痛でヒーヒーなりながらも、長年構想しクロッキーを繰り返していた作品にとりかかっている。
「千手観音」160X90cmで、仏の姿をビッシリと描きながらも、空気・光のごとくに感じる・・。
虚像でも実像でもなく、空像とでもいおうか。
一体描くだけでもシンドイ対象であるのに、20体描くことになる。
シンドイ。体がピンピンのときは、とてもやっていられずに筆を投げ出してしまってきたものだ。
腰痛で動けないからこそ出きる仕事だと、前向きに捕らえ、一日2時間くらいが限界だが、筆を取っている。
かなりの日数になると思うが「この作品を描くために今まであった」というものにしたい。
完成した作品を夢にまで浮かびあがってくるまで、頭の中で、またはクロッキーを重ね、練って無駄をそぎ、ふたたび貼り付けてみる。
そんなことを繰り返しているうちに、なんでもないときにポッ!と観えてくるのである。
そして、最初の発想にもどし、その表現法に最も最適な画材を選ぶのである。
作品の意図によって、油彩・水彩・墨彩と、それぞれの画材によって、画面が異なってくる。
当然技法もちがうし、手順も異なるが、それら全てが、頭の中に出来上がってからの製作になる。
いつしか、独自の技巧は高度で複雑なものとなり、判りにくいものとなっている。
自分自身の動きで少し困ってしまうのは、あまり天気がいいと、アトリエでじっとしてなんかいられなくなってしまう。
正直 身が入った製作にならない。それでは、描く意味が無い。
さりとて雨のときは、寝ているに限る。(健康での昼寝は楽しいのだ)
つまり、グーータラなのである。
その私が、腰痛でヒーヒーなりながらも、長年構想しクロッキーを繰り返していた作品にとりかかっている。
「千手観音」160X90cmで、仏の姿をビッシリと描きながらも、空気・光のごとくに感じる・・。
虚像でも実像でもなく、空像とでもいおうか。
一体描くだけでもシンドイ対象であるのに、20体描くことになる。
シンドイ。体がピンピンのときは、とてもやっていられずに筆を投げ出してしまってきたものだ。
腰痛で動けないからこそ出きる仕事だと、前向きに捕らえ、一日2時間くらいが限界だが、筆を取っている。
かなりの日数になると思うが「この作品を描くために今まであった」というものにしたい。