92歳で亡くなった晩年の母を訪ねたとき、時おりものを投げるように置くことがあった。
振る舞い・作法に細やかな人なのに、そのしぐさにいささか戸惑い
「いやーーボケがいよいよでてきたのかなー」と、兄たちとも話したものだった。
ところが、現在私が腰痛で動きがままならぬと、いつしか投げるように物を置かざるをえないのである。
ソット置くとか、ゆっくりたおやかに動くということは、ことのほかエネルギーを使っていたのだ。
今回初めて気がついた。
母はて思うように手足が動かず、自分の動きに腹立たしさをいだいていたのだと。
今さらと云われてしまう事ですが、苦楽は自分で体験して始めて判ることが多いのでした。
特に、人から判りにくい病や苦悩は、なおさらのことです。
一つ一つの体験から、人のやさしさを感じ、自分も出きることが増えてきました。