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奥の細道詳講
月日は百代の過客にして行かう年も又旅人なり
ご存じ 松を芭蕉の「奥の細道」の冒頭です。
ときおりコレが読みたくなるのです。
コレとは昔に古本市で500円で買った昭和17年・9版目の解説本です。
芭蕉の文章をそのまま理解でき、味わえるにこしたことはアリマセンが、そんな学識はありません。
この本自体の文や、漢字すらわからないところがありますが、何処となく現代解説本の空々しさがありません。
つまり、芭蕉の時代背景に近いと言いますか、想像力ばかりでなく、生活観が似ている時代の著書だったと感じます。
芭蕉が詠った現地調査にしても、新幹線で行ったとか、国道何号線を何キロ行ったとか、そんな興ざめする文では無く、歩いているペースというか真実味を感じるのです。
前記の文頭について著書では
「この紀行全編のうち、この文章が特に言い知れぬ魅力を感じさせるのは、その簡潔流暢な筆ずかいのためでもあろうが、それよりも更に文章のそこに流れる彼自らの真実観が、一言一句の間にも、じっくりと染み出ているからであらう。
実にこの一節は前編の冒頭として、よく全容を窺はしめるに足りる妙文というべきである。」
索引なども現代の状況とかなり違って、その又索引が必要なくらいですが面白い。
明治は遠くなりにけり--ではなく芭蕉の元禄時代(1668-1704)は、学芸・文化が盛んで、「人生は旅」の哲学的観念がピッたしな時代だったのでしょうか。
少なからず、現代の著書よりは感動が生きています。
奥の細道詳講
月日は百代の過客にして行かう年も又旅人なり
ご存じ 松を芭蕉の「奥の細道」の冒頭です。
ときおりコレが読みたくなるのです。
コレとは昔に古本市で500円で買った昭和17年・9版目の解説本です。
芭蕉の文章をそのまま理解でき、味わえるにこしたことはアリマセンが、そんな学識はありません。
この本自体の文や、漢字すらわからないところがありますが、何処となく現代解説本の空々しさがありません。
つまり、芭蕉の時代背景に近いと言いますか、想像力ばかりでなく、生活観が似ている時代の著書だったと感じます。
芭蕉が詠った現地調査にしても、新幹線で行ったとか、国道何号線を何キロ行ったとか、そんな興ざめする文では無く、歩いているペースというか真実味を感じるのです。
前記の文頭について著書では
「この紀行全編のうち、この文章が特に言い知れぬ魅力を感じさせるのは、その簡潔流暢な筆ずかいのためでもあろうが、それよりも更に文章のそこに流れる彼自らの真実観が、一言一句の間にも、じっくりと染み出ているからであらう。
実にこの一節は前編の冒頭として、よく全容を窺はしめるに足りる妙文というべきである。」
索引なども現代の状況とかなり違って、その又索引が必要なくらいですが面白い。
明治は遠くなりにけり--ではなく芭蕉の元禄時代(1668-1704)は、学芸・文化が盛んで、「人生は旅」の哲学的観念がピッたしな時代だったのでしょうか。
少なからず、現代の著書よりは感動が生きています。