私のベットの下や周りは、新旧の本が散らばっています。
その中でいつもあるのが宮沢賢治の数冊の本。真夜中にパッチッと目覚めてしまったときや、すごーーく心持がいいときなどフット手にする本なのです。何十回と読んだことか、それでも忘れてしまっている物語があります。
「十月の末」という短編はその一つで昨夜読んでみました。
「があ(母)ゆうべな、土ぁ、しみだぢゃい」と女の子がいいます。
「霜ぁ降ったのさ。今日は畑ぁ、土はぐじゃぐしゃづがべもや」とこたえる母親。
其れだけの会話で、晩秋の東北の朝の様子が浮かんできます。
昔の東北言葉での会話を、そっと、聞いてみたいものです。
十月末の話ですからもう一週間くらい後かもしれませんが、昔は寒かったのでしょう、経験があります。
私も信州に暮して長いのですが、今頃は防寒着を着ていた。
今日も暖かな朝で、先日雪をかむった常念岳は、夏山の顔になってしまいました。
その中でいつもあるのが宮沢賢治の数冊の本。真夜中にパッチッと目覚めてしまったときや、すごーーく心持がいいときなどフット手にする本なのです。何十回と読んだことか、それでも忘れてしまっている物語があります。
「十月の末」という短編はその一つで昨夜読んでみました。
「があ(母)ゆうべな、土ぁ、しみだぢゃい」と女の子がいいます。
「霜ぁ降ったのさ。今日は畑ぁ、土はぐじゃぐしゃづがべもや」とこたえる母親。
其れだけの会話で、晩秋の東北の朝の様子が浮かんできます。
昔の東北言葉での会話を、そっと、聞いてみたいものです。
十月末の話ですからもう一週間くらい後かもしれませんが、昔は寒かったのでしょう、経験があります。
私も信州に暮して長いのですが、今頃は防寒着を着ていた。
今日も暖かな朝で、先日雪をかむった常念岳は、夏山の顔になってしまいました。